デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年11月3日火曜日

朝ラン27キロ完走

 


何のために生きるのか ― ハクチョウが運んできた問い

走ることが仕事のように

文化の日の朝も、27キロを走り終えました。

昨日はフルマラソンの距離、42.20キロ。そして今朝も27キロです。まるで走ることが仕事のように、私は走り続けています。

広瀬川の川辺では、ハクチョウたちが少しずつ数を増やしています。飛来の季節が来ました。数千キロを飛び、自分たちの居場所を見つけにやって来る、遠い国からの「異邦人」たちです。その白い姿を見るたびに、ただ驚くばかりです。

いったいいつから、彼らはこうして飛んで来るようになったのでしょう。どんな歴史があり、どんないきさつがあったのか。私にはわかりません。けれども、一つだけ確かなことがあります。

彼らは「生きる」ために飛んで来るのです。

数千キロの空を渡る。それは人間には真似のできない行動です。翼一つで、命をつなぐための長い旅をする。その姿の前で、私は自分の小ささを思います。



「生きるために」の連なり

走り終えて、呼吸が整っていくのを感じながら、ふと考えました。

私たちの毎日は、「生きるために」という言葉で、どこまでもつながっています。

  • 生きるために、食べる。
  • 生きるために、息を吸う。
  • 生きるために、料理をする。
  • 生きるために、買い物をする。
  • 生きるために、働く。
  • 生きるために、学ぶ。
  • そして、生きるために、生まれる。

今日は文化の日、祝日です。休む日です。けれども娘は、昨日も今日もアルバイトに出かけます。金曜日も土曜日もアルバイトだそうです。頑張って生きています。

二階で、ノアはリンゴを食べています。ノアも生きるために食べているのです。

ハクチョウも、娘も、ノアも、そして私も。命あるものの営みは、結局すべて「生きること」につながっています。



では、何のために生きるのか

けれども、ここで一つの問いが立ち上がります。

では、私たちは何のために生きるのでしょうか。

「生きるために」を重ねていくうちに、いちばん肝心なことを忘れて、ただ生きている。もしそうだとしたら、それは人間として少し恥ずかしいことかもしれません。

ハクチョウには聞けない話です。けれども人間なら、問いかけてよい話です。いえ、問いかけることこそ、人間に与えられた特権なのかもしれません。

生きる理由。生きる意味。生きる目的。

答えは人それぞれでしょう。それでも、一つ確かなことがあります。その本当の目的を知って生きている人は、決して多くないということです。

そしてこの答えは、深く学べば手に入るものではありません。どれほど知識を積み上げても、そこにたどり着けるとは限らないのです。

この答えは、学ぶことで得られるのではありません。信じることで与えられるのです。

だから、私たち人間には信仰が必要です。

その信仰が、生きる意味を教えてくれます。
その信仰が、生きる理由を教えてくれます。
その信仰が、生きる目的を教えてくれます。



鳥を養う方のまなざし

イエス様は、空を飛ぶ鳥を指さして、こう語られました。

「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」
(マタイによる福音書6章26節)

広瀬川のハクチョウたちは、自分の翼だけで生きているように見えます。けれども聖書は、その翼の奥に、鳥を養っておられる方がいると語ります。

そして、その方は私たちに言われるのです。あなたは鳥よりも価値ある者だ、と。

鳥は問いません。けれども人間は問うことができます。「私は何のために生きるのか」と。その問いを抱くことができる私たちを、神様は大切な存在として見つめておられるのです。



すべては神に向かっている

では、その問いへの答えは何でしょうか。パウロは、壮大な賛美の言葉でこう語ります。

「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。」
(ローマの信徒への手紙11章36節)

私たちの命は、神から出ています。今日の一呼吸も、今朝の27キロも、神によって保たれています。そして私たちの人生は、神に向かって流れていく川のようなものです。

「生きるために」の連なりの、そのいちばん先に立っておられる方がいる。そう知るとき、毎日の小さな営みが、まったく違う光を帯び始めます。

「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」
(コリントの信徒への手紙一10章31節)

食べること、走ること、料理をすること、働くこと。それらは、ただ生き延びるための作業ではありません。神の栄光を映す、小さな礼拝になるのです。

休日にアルバイトへ向かう娘の背中にも、ごはんを食べるノアの姿にも、命を与えてくださった方の恵みが静かに宿っています。



決めるのは、自分

生きる目的を教えてくれるのは信仰です。けれども、その目的に向かってどう生きるかを決めるのは、私たち一人ひとりです。

だから、こう生きたいと思うのです。

  • 正しく生きよう。
  • 誠実に生きよう。
  • 頑張って生きよう。
  • 楽しく生きよう。
  • 笑顔で生きよう。

決めるのは、自分です。

数千キロを飛んで来たハクチョウたちが、今年も広瀬川に居場所を見つけたように、私たちもまた、神様の御手の中に本当の居場所を見つけることができます。

最後に、あなたにも問いかけてみたいと思います。

  • あなたは今日、何のために生きていますか。
  • 毎日の「生きるために」の営みの中で、神様に感謝できることは何ですか。

今日も笑顔で、前進です。

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