何のために生きるのか ― ハクチョウが運んできた問い
走ることが仕事のように
文化の日の朝も、27キロを走り終えました。
昨日はフルマラソンの距離、42.20キロ。そして今朝も27キロです。まるで走ることが仕事のように、私は走り続けています。
広瀬川の川辺では、ハクチョウたちが少しずつ数を増やしています。飛来の季節が来ました。数千キロを飛び、自分たちの居場所を見つけにやって来る、遠い国からの「異邦人」たちです。その白い姿を見るたびに、ただ驚くばかりです。
いったいいつから、彼らはこうして飛んで来るようになったのでしょう。どんな歴史があり、どんないきさつがあったのか。私にはわかりません。けれども、一つだけ確かなことがあります。
彼らは「生きる」ために飛んで来るのです。
数千キロの空を渡る。それは人間には真似のできない行動です。翼一つで、命をつなぐための長い旅をする。その姿の前で、私は自分の小ささを思います。
「生きるために」の連なり
走り終えて、呼吸が整っていくのを感じながら、ふと考えました。
私たちの毎日は、「生きるために」という言葉で、どこまでもつながっています。
- 生きるために、食べる。
- 生きるために、息を吸う。
- 生きるために、料理をする。
- 生きるために、買い物をする。
- 生きるために、働く。
- 生きるために、学ぶ。
- そして、生きるために、生まれる。
今日は文化の日、祝日です。休む日です。けれども娘は、昨日も今日もアルバイトに出かけます。金曜日も土曜日もアルバイトだそうです。頑張って生きています。
二階で、ノアはリンゴを食べています。ノアも生きるために食べているのです。
ハクチョウも、娘も、ノアも、そして私も。命あるものの営みは、結局すべて「生きること」につながっています。
では、何のために生きるのか
けれども、ここで一つの問いが立ち上がります。
では、私たちは何のために生きるのでしょうか。
「生きるために」を重ねていくうちに、いちばん肝心なことを忘れて、ただ生きている。もしそうだとしたら、それは人間として少し恥ずかしいことかもしれません。
ハクチョウには聞けない話です。けれども人間なら、問いかけてよい話です。いえ、問いかけることこそ、人間に与えられた特権なのかもしれません。
生きる理由。生きる意味。生きる目的。
答えは人それぞれでしょう。それでも、一つ確かなことがあります。その本当の目的を知って生きている人は、決して多くないということです。
そしてこの答えは、深く学べば手に入るものではありません。どれほど知識を積み上げても、そこにたどり着けるとは限らないのです。
この答えは、学ぶことで得られるのではありません。信じることで与えられるのです。
だから、私たち人間には信仰が必要です。
その信仰が、生きる意味を教えてくれます。
その信仰が、生きる理由を教えてくれます。
その信仰が、生きる目的を教えてくれます。
鳥を養う方のまなざし
イエス様は、空を飛ぶ鳥を指さして、こう語られました。
「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」
(マタイによる福音書6章26節)
広瀬川のハクチョウたちは、自分の翼だけで生きているように見えます。けれども聖書は、その翼の奥に、鳥を養っておられる方がいると語ります。
そして、その方は私たちに言われるのです。あなたは鳥よりも価値ある者だ、と。
鳥は問いません。けれども人間は問うことができます。「私は何のために生きるのか」と。その問いを抱くことができる私たちを、神様は大切な存在として見つめておられるのです。
すべては神に向かっている
では、その問いへの答えは何でしょうか。パウロは、壮大な賛美の言葉でこう語ります。
「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。」
(ローマの信徒への手紙11章36節)
私たちの命は、神から出ています。今日の一呼吸も、今朝の27キロも、神によって保たれています。そして私たちの人生は、神に向かって流れていく川のようなものです。
「生きるために」の連なりの、そのいちばん先に立っておられる方がいる。そう知るとき、毎日の小さな営みが、まったく違う光を帯び始めます。
「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」
(コリントの信徒への手紙一10章31節)
食べること、走ること、料理をすること、働くこと。それらは、ただ生き延びるための作業ではありません。神の栄光を映す、小さな礼拝になるのです。
休日にアルバイトへ向かう娘の背中にも、ごはんを食べるノアの姿にも、命を与えてくださった方の恵みが静かに宿っています。
決めるのは、自分
生きる目的を教えてくれるのは信仰です。けれども、その目的に向かってどう生きるかを決めるのは、私たち一人ひとりです。
だから、こう生きたいと思うのです。
- 正しく生きよう。
- 誠実に生きよう。
- 頑張って生きよう。
- 楽しく生きよう。
- 笑顔で生きよう。
決めるのは、自分です。
数千キロを飛んで来たハクチョウたちが、今年も広瀬川に居場所を見つけたように、私たちもまた、神様の御手の中に本当の居場所を見つけることができます。
最後に、あなたにも問いかけてみたいと思います。
- あなたは今日、何のために生きていますか。
- 毎日の「生きるために」の営みの中で、神様に感謝できることは何ですか。
今日も笑顔で、前進です。


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