2025年3月21日金曜日

今日の日を生きる

 


5時のランニングと朝の光

最近は5時ごろになると、ライトなしのランニングができる時間帯になる。もちろん、ライトなしでも走れないことはないが、安全のために5時前の暗い時間帯では腕にライトをつけて走っている。徐々に空が明るくなり、そのころにはライトを外して自然への感謝を込めながら走ることができる。

 


今日は正直、少し休もうかとも考えた。しかし、いつものように体が勝手に動き出してしまう。「今日は走らなくてもいいのでは?」という心の声を感じる一方で、体のほうが先に反応して、

今日もしっかりとランニングをしてきた。21キロという絶妙な距離を走り終えたときの達成感は

やはり格別だ。冷たい空気を肺いっぱいに吸い込みながら、足を一歩一歩進める感覚は新鮮で、

生命そのものを感じさせる。

 

やがて太陽が昇り、地平線を赤く染めながら今日を照らす光が広がる。この光はただ大地を照らすだけでなく、人々の心まで包み込み、温かさを届けているように感じる。そんなふうに太陽の恵みに感謝しながら、広瀬川沿いを走った。そこで出会う白鳥たちは、いつ旅立ちの時を迎えるのだろうか。彼らの姿を見ながら「今を共に生きている」という言葉が自然と胸に浮かぶ。人生もこれと同じで、どんな時も今を大切にしたいと感じるランニングのひとときだった。

 


保育園卒園礼拝と未来への祈り

今日はYMCA長町保育園の卒園礼拝が教会で行われた。神様への感謝と共に、旅立ちを迎える園児たちをみ言葉で励まし、応援する時間はとても温かなものだった。子どもたちは間違いなく国の未来を担う存在である。そのため、大切に育てることは親たちにとって最大の使命であり責任だ。とはいえ、残念ながら時に家庭の中で子どもの未来が芽を出す前に、親自身の問題によって壊されることもある。それは何とも悲しい現実だ。

 


この現実に向き合うことが必要であり、今度の説教ではこの問題にも触れることになるだろう。聖書の「聞く耳のある者は聞きなさい」という教えにあるように、心を開き、それぞれの家庭が愛の中で未来を育むことの重要性を伝えたいと思う。卒園する子どもたちの笑顔を見ながら、未来が彼らにどのような形で訪れるのか祈りを込めて考えさせられる日となった。

 

不条理な世界での生き方

私たちは不条理な世界を生きている。その中で、自分の正義や信念を崩さずに歩むことがいかに難しいかを、日々感じている。それでも、この世界を生き抜くためには、時によりシンプルな生き方を選ぶことが求められる瞬間もある。余計なことを考えず、目の前の課題に集中して生きるということだ。

 

とはいえ、「面倒なこと」は確かに人生に多く存在する。そうした問題に向き合うことを避けて生きることは難しい。むしろ、この世そのものが、問題を避けずに歩み続けることを私たちに課しているように感じる。それがまた、厄介でありながらも、同時に生きる意味を与えてくれているのかもしれない。

 

それでも結論はただ一つ。「生きることだ。」生き抜くというその単純で奥深い使命に向き合いながら、この不条理な世界で自分自身を見つめ続けたい。

世界は変わる

 


昨日は37キロの海沿いを完走しました。潮風を頬に受けながら走る爽快感は、何物にも代えがたい喜びです。

 


早朝から釣り糸を垂れる人々、太陽の光を浴びてきらめく海面、水平線を行き交う船舶…一定の距離を保ちながら眺める景色は、どれも美しく、心を穏やかにしてくれます。

 


しかし、一歩近づいて目を凝らすと、異なる感情が湧き上がってくることがあります。だからこそ、距離感は大切なのだと実感します。夫婦、親子、教師と生徒、上司と部下、恋人同士…あらゆる人間関係において、適切な距離を見つけるのは容易ではありません。距離の調整に失敗すれば、衝突は避けられません。だからこそ、私たちは知恵を必要としているのです。

 


現代社会は情報に溢れていますが、真の知恵は乏しいように感じます。時代を築き上げていく人々の知識と知恵のギャップは、依然として大きいのではないでしょうか。

 


広瀬川には、まだ白鳥たちが羽を休めています。その姿は見る人々の心を癒しますが、彼らが去ってしまった後の寂しさは計り知れません。だからこそ、今この瞬間を大切に、感謝の気持ちを持ちながら、精一杯生きていきたいと思っています。明日は明日の風が吹くように、今日という日を大切に生きることが大切です。

 


帯状疱疹の痛みに悩まされて二週間目に入りました。今は受難節、少しの苦しみと共に過ごそうと心に決めています。

 


戦争、洪水、事件、事故、デマ、偽り、詐欺、偽証、憎しみ、妬み、憎悪…これらの暗い言葉は、人間が存在する限り消えることはないでしょう。毎日のように新聞を賑わすこれらの言葉に、世の中は暗いと思わずにはいられません。

 


しかし、絶望の淵にも希望の光は灯ります。これらの暗い言葉の狭間に、愛の花が咲く時、すべては変わり始めるのです。時間はかかるかもしれません。それでも、確実に世界は変わっていきます。なぜなら、悪意を持つ人よりも、善を願う人の方が圧倒的に多いからです。

 


暗い時代の一筋の光のように、イエス・キリストの光は暗闇を追い払い、世界を明るく照らします。この光を信じ、希望を持ち続ける人が増えれば増えるほど、私たちの未来は明るいものになるはずです。

 

帯状疱疹、花粉症、受難節…これらの試練の後には、必ず復活祭が訪れます。希望を胸に、今を耐え忍び、力強く生きていこうと思っています。

2025年3月15日土曜日

42.57km完走

 


帯状疱疹と診断されてから一週間。体調が少しずつ回復に向かい、心にも余裕が出てきたことを実感しながら、今日はランニングで荒浜海岸を訪れました。往復42.57キロ。久しぶりに海岸のさわやかな空気を吸いながら、土曜日ならではの穏やかな風景を楽しむ時間となりました。

 


海岸では、釣りをする人たち、波に乗るサーファーたち、犬の散歩やランニングを楽しむ人々に出会いました。遠くでは野球の試合を準備している人たちもいて、海岸の静けさの中に人の活気が溶け込んでいました。さらに、バードウォッチングを楽しむ年配の方々もいらっしゃり、自然の中で過ごす優雅なひとときを垣間見ました。こんなにも日常が溢れる風景の中に身を置けることが、今日の自分にとって特別な喜びでした。

 


朝の気候は寒すぎることもなく、暑すぎることもなく、ランニングをするには最高のコンディションでした。帯状疱疹に伴う一週間分の治療薬は昨日で終わり、これからは薬に頼らず、自分の力で体を休め、栄養をしっかり取りながら治す方向に切り替えました。そうした変化の中で、心の中には新しい希望が生まれていることを感じます。

 


ランニング途中では、残り少ない白鳥たちの姿を目にしました。冬が終わる頃に白鳥が旅立つように、季節の移ろいを感じざるを得ません。白鳥の姿を見ながら「時が過ぎ去る」ということについて改めて考えさせられました。どんな出来事や苦しみも、時と共に必ず過ぎ去る。新しい出会いや変化を迎える準備の時間でもあるのだと思います。

 


今、目下の悩みは花粉との闘いです。春の季節が過ぎ去る頃には、この辛さも消えていくことを知りながら、粘り強く過ごす日々。しかし先が見える苦しみは耐えられますが、見えにくいもの、終わりがわからないものは、時に私たちを絶望に追い込むことがあります。

 


そこから教訓として得た考えは、聖書の教えです。聖書は「終わりのない苦しみはない」と教えています。そして、その苦しみがどこから来たのかを知ることも重要だと解いています。戦争や災害といった特別な出来事を除けば、多くの苦しみや痛みは、自分自身の行動や選択が招いた結果だとする視点。一見厳しく思えるこの指摘ですが、聖書は「あなたが自力で何とかせよ」とただ厳しく突き放すわけではありません。「主なる神様に助けを求めなさい」と進言するのです。その助けを求めれば、救いがある。これが聖書のメッセージです。

 


ただ、この事実を知る人は多くはありません。そして、それを知りながら行動に移す人はさらに少ない。この現実は少し寂しくもあります。しかし、私は心の支えとしてこの教えを知っていることに、感謝の気持ちを持っています。

 


荒浜海岸でのランニングを通して改めて感じたのは、自然の美しさや人々と風景の調和だけではありません。苦しみを経験したからこそ、時の移ろいや新しい希望に心を開くことができるということ。そして、苦しみに向き合う時に聖書の教えがどれほど励みになるかを静かに考える一日となりました。

 

人生は移り変わる。自然も、人の営みも、苦しみも。そしてその先には必ず穏やかな光があるということを、改めて感じながら今日の人生を生きています。

 

2025年3月7日金曜日

新しい季節を迎える

 


この雪景色も、そろそろその静かな幕を下ろそうとしています。白銀の世界は終わりを迎え、いよいよ緑豊かな新たな季節が訪れます。しかし、季節の「着替え」をするのは木々や自然だけではありません。動物たちも、そして私たち人間も、心や生活の中で何か新しい変化が求められる大切な時期です。

 


春を迎えるためには、単に衣替えをするだけではなく、心の準備も必要です。これまで冬の寒さで固く閉じていた心の扉を、春のそよ風と共にそっと開く時がやってきます。私たち人間は、環境が変わることによって生き方や気持ちも自然と変化する傾向があります。それは決して悪いことではありません。むしろ、変化を受け入れることで新たな可能性や希望を見つけられるのです。同じ環境にとどまり続けるには忍耐が必要ですが、新しい季節がやってくると、私たちの中に自然と喜びや期待が生まれてくるものです。

 


寒さ厳しい冬を乗り越えた分だけ、春の暖かな日差しや桜のつぼみの姿に心が癒やされていくでしょう。そして、それがまた次の一歩を踏み出す力となります。さぁ、春の訪れを心から喜び、明るい明日を迎えに行きましょう。



どんなに長く厳しい冬であっても、必ず春はやってきます。そしてその春は、新しい始まりを告げる輝く季節です。この時期は、私たちの心にも大切な変化をもたらしてくれるでしょう。前を向き、一歩ずつ進んでいく中できっと新しい発見や感動が待っています。寒さを乗り越えた自分を信じて、これから訪れる喜びの季節を全身で感じてください。あなたの明日には、必ず光が満ちていることでしょう!

今朝のランニングの時に海からの日の出。32キロ完走。

2025年2月26日水曜日

〇〇兄姉へのお手紙

 


主の御名を賛美いたします。

 

こんにちは。

少しずつ暖かさが感じられるようになりましたね。季節の移ろいを肌で感じるたびに、人間ほど天候に左右されやすい生き物は他にいないのではと思うことがあります。私たちは毎日のように天気予報を気にしながら過ごしますが、それだけその日の天候が、私たちの日々の生活で大きな意味を持つからなのでしょう。

 


やがて巡る季節とともに春がやってきます。

しかし、「心の春」はいつ訪れるのだろうと考えながら日々を過ごしている方も多いと聞きます。厳しい寒波のような試練が続く生活の中で苦しんでおられる方々がいるからです。そんな中で、時折吹いてくる「春風」が、厳しい状況を一瞬でも和らげ、もう一度頑張る力と希望を与えてくれることがあります。その「春風」は、御言葉であったり、賛美であったり、心温まる手紙や信仰書籍だったりします。そのような意味で、今回の青山学院大学聖歌隊による賛美コンサートは、とても意義深い、恵みに満ちたひとときでした。

 


このコンサートは、おそらく仙台長町教会の新会堂以来、最多の人数が集まったのではないかと思います。100人以上の方々が来場し、会堂内には入りきれないほどで、受付の近くにまで椅子を並べて座るほどでした。このような一つの出来事が、人々に「明日を生きるための心の栄養」を与えてくれたのではないでしょうか。

 


少し話題を変えますが、広瀬橋のハクチョウたちも北の国へと旅立っていきます。来月には姿を見かけなくなることでしょう。しかし、11月には再び戻ってくることを私たちは知っています。その約束があるからこそ、彼らを快い気持ちで送り出せるのです。

 


主イエスも私たち一人ひとりに数多くの約束を与えてくださいました。その約束が記されている聖書を読みながら、共に歩んでいくことの大切さを改めて感じています。これからさらに暖かくなる季節を期待しながら、信仰と希望と愛をもって歩み続けてまいりましょう。

2025年2月20日木曜日

新しい命、新しい道、新しい人生

 


今朝は32キロのランニングを完走しました。普通ならその距離を走り切るだけでも自分を褒めたいところですが、今回は少し特別な気持ちでこの道を駆け抜けました。初めて挑戦したコースは、若林区の太平洋を目指すランニングルート。以前走った名取の太平洋とはまた違う表情の海と風景に心を動かされながら、海辺の3キロのサイクリングロードを駆け抜けました。


 

まだ朝は肌に沁みるほど冷たい空気ですが、厳しい吹雪の中を走り抜いた前回の経験があるからこそ、この冷え込みも心地よく感じます。身体を動かしながら流れる景色に目を向けると、広がる空と水平線、そして一日の始まりを告げる朝日が、疲れた身体と心を軽やかにしてくれました。

 


何より、この写真に写る海の景色が教えてくれることは、「新しい朝には新しい恵みがある」ということ。その光はどこまでも広がり、昨日の疲れを癒し、今日という新しい日にチャレンジする力を与えてくれるようです。特にランナーにとって、このような道を見つけることは大きな喜びの一つです。曜日によって異なるランニングコースを選ぶことで、退屈とは無縁の毎朝を迎える。その期待感が、私のランニングライフをより彩り豊かなものにしてくれます。

 


一方で、今日だけで終わらない喜びもあります。それは、明日からの素敵な出来事の数々です。いよいよ青山学院大学聖歌隊の皆さんが仙台に到着します。午後から教会での練習が始まり、土曜日には本格的な準備に取り掛かります。日曜日の礼拝での賛美と、その後の賛美コンサートが、主の御守りと共に豊かな祝福のときとなるようにと祈りを捧げる時間を持っています。

 


忙しさに追われる日常の中で、こうして主のために、また愛する家族や友人、周囲の人々のために尽くすことができる日々に感謝しています。今日も新しい道を走ることができ、働く喜びを味わうことができたこと、何よりそのすべてを与えてくださる神様の栄光を覚えながら過ごせたことが、私にとっての幸せです。

 


この若林区の海辺で見た朝日は、何か特別な希望を語りかけてくれたように思います。人生もランニングと同じように、時には厳しい上り坂や向かい風に苦しむことがあります。しかし、それを乗り越えた先には、広がる景色と新しい朝が待っていることを知っています。

 


明日もまた、新しい道を一歩踏み出すことができますように。そして、その一歩が小さくても、主の栄光のために意味のあるものとなりますように。

#モーニングラン #ランニング #朝活 #太平洋 #若林区 #仙台 #感謝

2025年2月18日火曜日

吹雪の中を走る

 


吹雪の朝、冷たい風と雪に包まれる中、今日は32.85キロを走りきりました。厳しい状況の中で耐え抜くランニングは、心と体を試される時間ですが、走り終えたときの達成感は何物にも代えがたいものです。この白銀の静けさの中、橋の上を駆け抜ける私の心には、ただ前に進むことへの集中がありました。

 


その後、妻を仕事場まで送り届け、買い物を済ませて帰宅しました。家に着くやいなや雪かきをして、家庭のために夕食のミートボールを作り、冷凍保存用にほうれん草を茹でたり、小葱を切ったりと家事にも励みました。日常の一つ一つの作業に込める努力や思いは、家族のための小さな愛情の形です。


 

しかし、体は正直です。ランニング、雪かき、家事すべてを終え、ようやく一息ついたとき、さすがに疲れを感じました。それでも、家族のために使うエネルギーは決して無駄ではなく、それ自体がかけがえのない宝物だと実感します。こんな日々こそが、私の人生を満たしているのだと改めて思うのです。

今日の日を生きる

  5 時のランニングと朝の光 最近は 5 時ごろになると、ライトなしのランニングができる時間帯になる。もちろん、ライトなしでも走れないことはないが、安全のために 5 時前の暗い時間帯では腕にライトをつけて走っている。徐々に空が明るくなり、そのころにはライトを外して自然への感...