2023年2月15日水曜日

なぜうなだれるのか

 


なぜうなだれるのか、わたしの魂よ/なぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう/「御顔こそ、わたしの救い」と。(詩編42:6

O my God, my soul is cast down within me: therefore will I remember thee from the land of Jordan, and of the Hermonites, from the hill Mizar.(PSALMS 42:6)

Was betrübst du dich, meine Seele, und bist so unruhig in mir? Harre auf Gott! denn ich werde ihm noch danken, daß er mir hilft mit seinem Angesicht.(PSALM 42:6)



人がうなだれる理由は、みじめな自分、自分の愚かな行為、どうしようもない人間だと自分自身を考えた時である。自分を責めることは自分を殺すことである。世の中で自分の味方はいないと考える。ならば自分だけでも自分の味方になるべし。決してせめてはならない。


だからといって自分の愚かな行為、社会で許されない罪を犯し、周りの人々に深い傷を負わせたことに対して、何の呵責もなく、平気にいるのはもっと悪い事だろう。それらのことを悔いたうえで、しかし自分を責めるのではなく、自分の行為を反省し、誓い、再び善を目指して歩み続けることである。そのためには主なる神様の助けが欠かさない。なぜなら我々人間は善を行う力がないからだ。利己的で、仮に利他的な要素があるとしても長続きしないからだ。常に聖霊の助けと導きによって我々は善を行い、主の御心に適った生き方で歩むことができる。それを信じて、今日も精一杯に生きる。


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