2023年7月31日月曜日

感謝して

 


モーセは民に答えた。「恐れることはない。神が来られたのは、あなたたちを試すためであり、また、あなたたちの前に神を畏れる畏れをおいて、罪を犯させないようにするためである。」(出エジプト記20:20

And Moses said unto the people, Fear not: for God is come to prove you, and that his fear may be before your faces, that ye sin not. (EXODUS 20:20)

 


初めがあれば終わりがある。この世の法則である。そしてこの法則の影響を受けて生きるのが我々人間である。厳しい暑さが続く。だからと言って自然に文句は言えない。環境団体の人々は企業に文句などを言うが、企業だけの問題ではない。すべての人間の責任である。

もっと暑くなると言う。地獄化する地球。終末かな・・・・・・それでも与えられた大切な命は無駄にしない。生きるべし。

 


先日は教会員ではないが、ガンを患いステージ4の奥さんを持つ方が奥さんを含めて家族と一緒に面談に来た。彼はこの数か月間毎週礼拝に集っている。本人はもちろん家族はキリスト教式の葬儀を望んでいる。彼女は中・高をミッションスクールで学んだという。ゆりが丘にある学校である。さらに故M兄から中学校の時に教わったという。世は狭い。それで話が盛り上がった。次女の方も長町幼稚園卒園児だった。いろいろなつながりがあって是非と頼まれた。僕は快く受け入れ、今度の長老会で審議することになった。これも導きであろう。

 

今日も頑張って走ってきた。夏のラニングはスピードが出ない。一般的な定論である。だから夏はスピードよりは走り続けることを重んじて走るようにと言われる。いつものようにノアちゃんとの散歩から帰ってきて3時半スタート。今日も24.33km完走。太白山の自然観察の森までの間に何人かと挨拶を交わすことになった。言葉は交わさないが毎朝大体同じ時間帯、同じ場所ですれ違うのでお互いに覚えて挨拶を交わす。走る人はいないが、多くは歩く人々である。そして6時前には教会に帰って来る。汗びっしょり!!!これで3キロ減量。

 

学校に向かう生徒たち、仕事先に向かう自転車軍団?散歩する人々、除草作業に励んでいる作業員たちを見ながら仙台朝市へ。皆頑張って生きている。僕はまた汗びっしょり・・・・ハクチョウも元気でいて感謝。毎日トマトとキュウリを食べるようになったので仙台朝市へではトマトを買った。キュウリはノアちゃんもよく食べている。夏はキュウリとトマト。

大きな変化は期待しない。平凡な日々を大事にして生きている。世間の話題にも惑わされず

与えられた家族、人々を愛し、時間を大切にし、ある力を最大に発揮して精一杯に生きる。

 

9月にはちょっと大きな仕事が入って、それの準備で忙しくなっている。今日も最後まで主の栄光のために精一杯に生きるべし。どうせ生きるからには精一杯に生きる。そして楽しく生きるように頑張るべし。すべてに感謝して明日からの新八月?を迎える。生きる。

2023年7月29日土曜日

親孝行

 

あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。(出エジプト記20:12

Honour thy father and thy mother: that thy days may be long upon the land which the LORD thy God giveth thee.(EXODUS 20:12)

 


散歩。一日一回、ノアちゃんの唯一の外での時間である。今日は2時過ぎに散歩。毎週土曜日は週報投函コースで二つの所に週報を投函しながらの散歩となるので比較的に短いコースである。それでも約1時間はかかるが・・・今日は少し風があってよかった。感謝。毛深いノアちゃんは受難の時を過ごしているが、今年は特に残暑も長引くというので耐え忍ばなければならない。最近、ノアちゃんもクーラーのきくところで涼しく過ごしているので大丈夫でしょう。全てに感謝。

 


今日も24キロ完走。一回走ると3キロは体重が減る。それほど汗をかいて走っている。

24キロのランニングによる一番の収穫は健康の面よりはメンタルが強くなることである。上り坂の多いコースなので1回も止まらず2時間以上を走り続けるためには忍耐が必要であり、また途中少し休もうとする誘惑に打ち勝ち、走る続けることでメンタルが鍛えられる。また今日はちょっと休もうかなという誘惑もある。その誘惑を打ち破り、出かけることで自分の一日が誘惑に勝つ事から始まる。これも良し、と考える。人生は常に闘いであるからだ。おそらく死ぬまでこの闘いは続けられるであろう。諦めずに自分は戦い続ける。

 


親孝行。中には親孝行は期待しないから迷惑はかけないでくれ、と考える親も多い。年を取って人生を振り返る時に、静かに過ごしたいと思うときに成人した子どものことで悩まされ、

苦しみながら過ごしている親は少なくない。ただ家族という事で知らん顔も出来ず、だからといって親の言う事をちゃんと聞く子供もいない。それで自分の教育が間違ったのかと考え、自分を責める親もいる。過去は過去である。過ぎたことは戻らない。自分が出来ることは今をどうするか、訪れる明日をどう迎えるか、である。

 


多くの場合、親孝行は親孝行をした親の下で育てられた子供が親孝行をするのである。つまり、親の背中を見て育てられた子供が親と同じことをするようになるのが一般的である。その意味でも日頃から自分の親に対する態度、話し方、接し方を子供たちは見て同じことを行うようになる。その意味でも子供の態度が悪いのは自分が親に対して態度が悪かったとの証拠である。なぜなら子供たちは親のまねをするケースが多いからである。それが全部じゃなくても多くはそれに従っている。家族の平和は親孝行から始まるかもしれない。きっとそうだろう。今日も自分の利益を求めず、なによりもまず神様を愛し、家族を愛し合うことである。結局、最後に残るのはどれだけ自分は家族を愛したのだろうか、という問いである。悔いのない人生を生きるために、今日も精一杯に愛し合いながら生きるべし。

2023年7月20日木曜日

主に従って生きる

 

主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。(出エジプト記13:21)

And the LORD went before them by day in a pillar of a cloud, to lead them the way; and by night in a pillar of fire, to give them light; to go by day and night(EXODUS 13:21)

 


今朝は久しぶりに気持ちよい散歩(?)が出来た。大年寺階段からベニーランド、青葉城、仙台朝市へ。汗びっしょり・・・・買い物を済ませて帰宅。雨が・・・・

 


今は朝と天候が一転してまとまった雨が降り続く。

広瀬川のハクチョウのことを考えると良いことだが、浸水や冠水の地域の事を考えると止んでほしいという願いである。同じ状況の中でも一方は助かるが、もう一方は被害を受ける矛盾する世界で我々は生きている。皆が同じく利益を得て喜ぶ世界にはならない。現実だ。

 


戦争は止まず、紛争も止まず、憎しみや妬みも止まず、苦しみも悩みも止むことなく続く。

悲しみの涙も・・・・こういう世界は他ではなく我々人間が作ったのである。誰かのせいではない。すべての責任は我々人間にある。しかし多くの人はそれに気づかずに生きている。

そして絶えず責任を他人のせいにして生きている。男は女のせいにする。女は男のせいにする。夫は妻のせいにする。妻は夫のせいにする。親は子供のせいにする。子どもは親のせいにする。上司は部下のせいにする。部下は上司のせいにする。皆は、自分は間違ってないと言う。間違ったのは相手だという。答えのない世界で生きている不思議な人類である。

 


先月から読んだ本を大量に処分している。いつでも軽く行けるように・・・今の荷物を5割は減らす作業を行っている。最終的には9割は捨てるつもりで作業を進めている。旅人にとって荷物は邪魔になるからである。軽く生きることにした。最低の物だけを残して全部処分する。この作業が楽しくなっている。感謝。

 


走り続け、歩き続け、作り続け、祈り続け、読み続け、愛し続ける人生を生きる。今日も明日も、そしてその次の日も自分の道を歩き続ける。明日が最後の日だとしても同じことを行うだろう。すべては主の栄光のために・・・・・・先立って進む主の後ろについて行く人生が一番幸せな人生である。

 

2023年7月17日月曜日

過ぎ越し

 あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。(出エジプト記12:13)

And the blood shall be to you for a token upon the houses where ye are: and when I see the blood, I will pass over you, and the plague shall not be upon you to destroy you, when I smite the land of Egypt.(EXODUS 12:13)


 

厳しい暑さが続く。でも今のアメリカの一部の州では50度もあるという。経験したことがないので分からないが、暑い、という言葉よりはサウナ状態のような感じだろう・・・・

地球がおかしくなっている。自然の秩序が崩れている。それらの現象が少しずつ現れている。

しかし、それより深刻なのはますます家庭崩壊が進んでいることである。家族の間の事件が毎日のように報道されている。人間の崩壊である。しかし厳密に言えば、人間の崩壊は天地創造の後すぐに始まったのである。創造主である神様に対するアダムの反逆がそれである。

その結果、すべての秩序がおかしくなったのである。兄弟同士の殺人事件が起こり、今以上に極悪非道な事件が起こっていたのである。その原因を聖書はこのように簡潔明瞭に語っている。人々はそれぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた。つまり、自分勝手に振舞いながら生きていたとの意味である。主なる神様を恐れず、自分が王になって振舞った結果が今のような世界を造り上げたのである。ひと言で言えば地獄を作ったのである。

 


しかし地獄の世界に神の国の建設のために神の御子イエス・キリストが到来したのである。

イエス・キリストによって罪人が義人に、憎しみが愛に、呪いが祝福に変わる時が訪れたのである。少なくともこの世界にある一部の群れがそれを目指して今も励みながら歩んでいる。

それが教会である。希望の灯台である。ここにこそ真の救いがある。だから語り続け、礼拝し続け、祈り続け、賛美し続ける。

 

昨日は礼拝の後、午後から教会員ではない家族との面談があり、とても有意義な時間を過ごした。感謝。どうかこの家族にイエス・キリストによる救いが与えられますようにと毎日祈り続けている。

 

その後は週報発送準備作業を行った。感謝。最近は16通ほどの発送準備となる。

 

それから行ったのがノアちゃんのシャンプーである。雨が続いたのでなかなかできなかったが昨日ついに実現した。そのために僕は汗びっしょり・・・・・シャンプーの後は毛のカットも行った。

 

昨日も頑張って生きたことに感謝。

 


そして今日も頑張って23キロ完走。掃除と共にノアちゃんの所のマット洗いと乾す作業。

こうして生きている内に御国へと導かれるのは幸せかもしれない。それを願いながら最後まで頑張って主のために生きるべし。そして家族のために生きるべし。今日もなんか作ろう!夏の食べ物!!!

2023年7月15日土曜日

口、耳、目

 主は彼に言われた。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。(出エジプト記4:11

And the LORD said unto him, Who hath made man's mouth? or who maketh the dumb, or deaf, or the seeing, or the blind? have not I the LORD?(EXODUS 4:11)


 

本格的な夏はまだ始まっていない。

夏は暑い。問題は暑過ぎである。今のように温暖化が進まなかった昔、夏は暑くてもそれなりの過ごし方があり、決して大騒ぎして熱中症対策などの話はしなかった。楽しい夏の風景が思い浮かび、子供たちは夏休みにおじいちゃんやおばあちゃんの家に行くのを楽しみにし、  

喜んだのである。しかし、今は夏休みの話題が変わり、部活や習い事や夏期集中講座など小学生からそれらに行かせる親が少なくない。いったいどうなっているのか?こうなっているのが現実である。・・・それよりは早く梅雨明けを待ちわびている毛深いノアちゃんの願いである。彼にとって今は試練の時である。

 


今週も走り続けたことに感謝。無事に家族が御手に支えられて過ごせたことに感謝。半年間の入院生活に耐えて無事に退院した姉妹の事に感謝。決して欲張らず、憎まず、怒らず、妬まず、すべてに感謝して生きることを絶えず求めて歩み続ける。

 


ハクチョウもなんとか暑さに耐えられて生き続けていて感謝。12月に仲間たちとの再会が出来るかも知れない・・・・・・

 




口は神様を賛美し、人々を励ましながら生きるためにあるもの。耳は神様の言葉を聴き、人々の話も注意して聞くためのもの。目は主が示して下さった道をちゃんと見て迷わずに進めるためのものである。しかし間違った用度で使う時にとんでもない悪い働きをするのである。常に主なる神様を心に留めて生きることが重要である。

2023年7月1日土曜日

全ては主の栄光のために

 


神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」(出エジプト記3:14

And God said unto Moses, I AM THAT I AM: and he said, Thus shalt thou say unto the children of Israel, I AM hath sent me unto you.(EXODUS 3:14)

 


72日は一年の半分がおわり、残りの半年が始まる日であると言う。

人生の半分は何才だろうか?人によって異なるので答えられない。

100年人生というけれどもそれは100年生きられる人に限ることであって皆が100歳まで生きるわけではない。100年まで生きることは望まないし、精一杯に生きている姿で神の国へと導かれることを願うのである。長く生きることが大事ではなく、どう生きるかが重要である。それも人々の目に映る姿ではなく、心を見抜く神様の御前で正しく生きることが一番大切な課題である。神様の御前で正しく生きることを常に心に留めながら歩んでいくことである。人の目に気にせず、神様の御前でまっすぐに歩んでいく。

 


広瀬川のハクチョウはまだ生きていた。この子が何とか頑張って今度の冬をここで一緒に迎えられるように願っている。

 


頑張って走り続けた一週間であった。一生懸命に生きることは良いことである、さらに言えば悔いのないように精一杯に生きることである。今、出来る事を行い、新たな事にも挑戦しながら生き続ける。しかしすべては神様の栄光のために・・・・・

主イエスと何の関係のないことは自分にとって意味のないことである。

希望がある限り生き続けられる。そして前に進められる。今日も傍にいる家族のために楽しく生きる。夕食は鶏の胸肉で美味しい一品を作ることにした。美味しく食べて明日の主の日を迎えよう。

シャワーラン

  あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。(マルコ 13 : 37 )   今日は雨の中を走り続けた。シャワーラン。 22 キロ完走。 雨にぬれてもまだ気持ち良い時期である。 これが一気に寒く感じるようになる。 それを常に意識...