見えるものしか見えない人々がいる。
見えない部分まで見る人々がいる。
自分の目で見たものがすべてであると信じる人々がいる。
自分の目には見えない他の部分があると信じる人々がいる。
自分の目には見えない部分を見ようとする人々もいる。
しかし見えない部分には関心がなく、見える部分だけを取り上げて問題にする人々が多い世界である。
それが話題になるからだ。
これもやはり幼稚な人間の姿である。
日曜日の朝はランニングを休み、久しぶりに大年寺の階段から愛宕神社へ、そして広瀬川の川沿いを散歩してまいりました。約 1 年にも及んだ大年寺階段入り口の修繕が終わり、清々しい気持ちで石段を上りました。朝 4 時過ぎでしたので、まだ辺りは静寂に包まれており、鳥のさえずりと風の音だ...
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