静寂の階段で見つけた光──微かな香りが教えてくれる命の確かさ
午前3時、静まり返った階段で
午前3時。夜の底とも言える深い静寂の中、愛犬ノアとの散歩に行こうと扉を開けました。しかし、いつもなら気配を感じてやってくるはずのノアが降りてきません。
静かな階段をそっと上がり、彼の小屋を覗き込むと、そこにはすやすやと眠る姿がありました。起こしてしまうのは忍びなく、しばらくその穏やかな寝顔を見守ることにしました。すると、微かに漂う私の匂いを鼻で捉え、ノアは静かに目を覚ましてくれたのです。
衰えの中に光る、確かな感覚
ノアは13歳になり、視力も聴覚も少しずつ衰えてきています。 見えにくく、聞こえづらくなっていく世界の中で、彼はどんな不安を抱えているのだろうか──そんなことをふと想像することがあります。けれどその一方で、以前なら敏感に反応していた物音が聞こえなくなったぶん、気にせずぐっすり眠れるようにもなりました。その姿を見ると、「それはそれで、ノアにとっては良いことなのかもしれない」と思わされます。
しかし、彼の嗅覚だけは今も抜群に澄み切っています。
- 大好きな散歩道の匂い
- 上り下りする階段の感触
- そして何より、家族の存在
目や耳が弱くなっても、残された確かな感覚を精一杯働かせ、彼は自分の生きる世界を正しく理解し、行動してくれます。食欲も全く衰えていません。寝ている時間は確かに多くなりましたが、それもまた命の「自然な形」です。
失われていくものを嘆くのではなく、今ここにある働きに心から感謝する。彼のすべてを快く受け入れ、共に生きていく覚悟が、静かな午前3時の階段で私の胸に深く刻まれました。
走れない日々の「辛抱」と、誰かを想う時間
私自身にも、受け入れなければならない「今の状態」があります。足指の痛みが引かず、ランニングを休んで今日で3日目。身体は「走りたい」とどうしようもなく疼き、エネルギーを持て余しています。しかし、今は我慢するしかありません。これは、次の一歩を力強く踏み出すための「辛抱」の時間なのです。
走れない代わりに、今日は心と手を使って誰かのために動く日にしようと決めました。
- 教会員8名へ心を込めて書いた手紙を投函すること
- 少しの買い物を済ませること
- そして、実習や仕事に励んでいる二人の家族のために、「究極のメニュー」を考えること
足を止めているからこそ、大切な人たちのためにじっくりと思いを馳せる時間が与えられています。
失われたものではなく、与えられているものを見つめて
老いゆく愛犬の姿も、怪我で走れない自分の身体も、私たちが思い通りにコントロールできない現実です。しかし、聖書が「見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続く」(コリントの信徒への手紙二 4:18)と語るように、目に見える能力や状況が損なわれたとしても、私たちの本質的な価値や愛のつながりが消えることはありません。
ノアが私の匂いを頼りに目を覚ましたように、私たちもまた、暗闇や静寂の中で、見えない導きの「香り」を頼りに立ち上がることができるはずです。
衰えを受け入れること。 痛みの中で辛抱すること。 そして、その限られた枠組みの中で、誰かを想い、愛を形にすること。それこそが、揺るぎない命の歩み方なのだと、教えられた朝でした。
今日も、共に前進です。
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