【見えざる泉に潤されて】30キロの渇きと、今日を生き抜く食卓
雨上がりのしっとりとした空気を切り裂くように、朝5時、ランニングをスタートさせました。
降り続いていた雨はやみ、雲の隙間からは柔らかな晴れ間が顔を覗かせています。日中は気温が30度まで上がるとの予報通り、走るほどにじっとりとした熱気が身体を包み込みました。本日の走行距離は30キロ。 久々に帰宅して体重計に乗ると、なんと走る前より3キロも減量していました。流した汗の重さが、そのまま3キロ。それは、今日という日に私が注ぎ出した「命の水分」の重さでもありました。
どこにでもある「命の泉」
途中の道すがら、私は一台の自動販売機に立ち寄り、渇ききった喉を潤しました。
街のあちこちで見かけるこの会社の自販機。設置台数でギネスブックに登録されているそうで、確かにどこを走っていても目に入ります。しかも、飲み物の価格はおそらく一番安い。
普段は何気なく通り過ぎているだけの四角い箱ですが、汗をかき、限界まで水分を失いながら走る私にとって、それは道端に用意された「命の泉」そのものでした。
「どこにでもある」ということ。 それがいかにありがたく、人を救うことか。安価で、至る所に置かれているおかげで、私は今日も倒れることなく30キロを走り抜くことができたのです。
枯渇と満たしのサイクル
今月は少し厳しいランニングが続いています。ですが、あと200キロ走れば、目標である「月間600キロ」に到達します。身体がその距離に完全に慣れるまでは、しばらくこの月600キロという負荷を自分に課し続けると決めています。
人は、自らをすり減らし、汗を流し、空っぽになるまで力を出し尽くす生き物です。 しかし、空っぽになったなら、また満たせばいい。道端の自販機が私の渇きを癒やしてくれたように、私たちの歩む道のりには、見えなくても必ず「潤いの泉」が用意されているからです。神様の恵みもまた、その自販機のように「私たちの人生の至る所に、すでに置かれている」のだと気づかされます。
愛する者を潤すために
今日は連休の休日です。 しかし、私の娘はこの連休中も、自分のアルバイトに一生懸命励んでいます。彼女もまた、自分の持ち場で懸命に汗を流し、エネルギーを注ぎ出しているのです。だから私は、これから「ロピア」へ買い物に出かけます。
頑張って帰ってくる娘のために、とびきり美味しい料理を作るためです。
- 自分が注ぎ出したものは、天からの水で潤される。
- そして今度は、自分が誰かのための「潤いの泉」となって、温かい食事を差し出す。
これこそが、私たちの日常に流れる美しく尊い循環です。 特別なことは何もありません。ただ汗を流し、水を飲み、家族のために肉や野菜を買い、火を使って料理をする。
「今日も生きることです。」
特別な奇跡を求めるのではなく、与えられた今日という一日を、誠実に、精一杯に生き抜くこと。 あなたの今日が、たとえどれほど汗を流すような一日であったとしても、その道の途中には必ず、あなたを潤す泉が用意されています。
どうか、安心してその歩みを進めてください。 今日もまた、温かい食卓があなたを待っています。
0 件のコメント:
コメントを投稿