『帰る場所をつくるということ』
五日間続いたランニングを終え、昨夜はようやくゆっくり休むことができました。 目が覚めると、まず考えるのはノアの散歩のことです。特に雨の日は、弱まる時間帯を見計らって外へ出るので、窓の外の様子を確かめるのが習慣になっています。深い眠りができない理由のひとつは、きっとこの「ノアのリズム」に合わせて生きているからでしょう。でも、それを悪いと思ったことはありません。これもまた、人生の伴走者と共に生きるということなのです。
今朝は娘を駅まで送りました。整形外科での実習は明日で終わるとのこと。受け持っていた70代の女性の患者さんも、同じく明日退院されるそうです。娘は「良かった」と言いましたが、同時にこうも言いました—— 「でも、帰る家が天国みたいな場所とは限らないんだよね。」病院より家のほうがつらい。 家より病院のほうが安心できる。 そんな声を聞くこともあるそうです。
家は本来、 安らぎの場所であり、 平和の場所であり、 心身を充電できる場所であり、 喜びの場所であるはずです。しかし現実には、反対の場所になってしまう家庭も少なくありません。
けれど、よく考えるとその責任は「家」という建物そのものにあるのではなく、そこに住む一人ひとりの心にあります。犠牲を払うこと。 理解しようとすること。 愛を示すこと。
配慮すること。 忍耐すること。これらを担わず、互いに「相手のせい」にしてしまうと、家は簡単に壊れてしまいます。 家族が幸せになるのも、不幸になるのも、壊れるのも、実はとても単純なことから始まるのです。
自分のことばかり考えず、相手の立場に立ってみること。 少しでも寄り添って考えてみること。 自分の言い分だけでなく、相手の言い分にも耳を傾けること。
その姿勢こそが、家族の幸せを守る鍵なのだと思います。
今日、妻は仙台で仕事。 私は帰りにロピアで買い物をして、最近家族に好評だったロールキャベツを今晩の夕食に作ることにしました。 小さなことですが、こうした積み重ねが「帰る場所」を少しずつ温かくしていくのだと感じています。
✨ 今日の聖書の言葉
「互いに重荷を担い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を全うすることになる。」 (ガラテヤの信徒への手紙 6章2節)
家族とは、互いの重荷を少しずつ担い合う共同体です。 完全な人はいません。 完全な家族もいません。 しかし、重荷を分かち合うとき、そこに神様の愛が流れ始めます。
今日も、与えられた場所で、与えられた人々と共に、 小さな愛を積み重ねながら生きていきたいと思います。
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