【争い合う世界と、32キロの思索】人間の限界を知り、天の平和を乞い願う
呼吸を整え、一定のリズムでアスファルトを踏みしめる。 今日、私は深く思いを巡らせながら、32キロの道のりを走り抜きました。長い距離を走るとき、身体は苦痛と向き合いますが、その一方で精神は研ぎ澄まされ、普段は通り過ぎてしまうような根源的な問いが心の水面に浮かび上がってきます。今日、私の頭を占めていたのは、今私たちが生きているこの「争いばかりの世界」の現実でした。
崩れゆく「平和の塔」と人間の現実
走りながら、ふと考えました。 国連の創立の目的は、二度と悲惨な戦争を繰り返さないため、世界に平和をもたらすためであったはずです。それなのに、なぜ今の国連は、非難の応酬と喧嘩の場へと成り下がってしまったのでしょうか。
残念ながら、これが今の時代を如実に代弁しています。 世界には常に争いと、憎しみと、妬みが蔓延しています。誰もが自らの正義を振りかざし、決して他者に譲ろうとはしません。自国の利益だけを最優先し、少しでも自らを脅かすものがあれば容赦なく相手を攻撃する。武力による戦争だけでなく、経済の覇権を争う貿易戦争までもが世界を覆い尽くしています。「グローバル」という、かつて希望をもって語られた言葉は、もはや空虚で無意味な響きしか持たなくなりました。
この時代を生き抜くための知恵
私たちは、この息苦しく、分断された時代をどう生き抜けばよいのでしょうか。 膨大な情報を前にして、特定の国を非難したり、新しい政治システムに期待したりすることも一つの反応かもしれません。しかし、32キロの道のりを一歩一歩進む中で、私の中に確信として迫ってきた「知恵」は、もっと深く、根本的なものでした。
それは、「人間の力だけでは、決して真の平和を築くことはできない」と、徹底的に思い知ることです。私たちは賢い生き物であり、高い理想を掲げて国連のような素晴らしい機関を創り出す知性を持っています。しかし同時に、自らの利益のためならいとも簡単にその理想を裏切り、他者を傷つけてしまう「罪」や「本能(獣性)」を内包しています。
どんなに立派なシステムを作っても、それを動かす人間の心が妬みや自己中心性で満たされていれば、そこはすぐに争いの場へと変わってしまうのです。
限界の先にある、真の平和
この時代を生き抜くための最も確かな知恵。 それは、人間の知性や力に対する傲慢さを捨て去ることです。
- 自分たちの力では世界を救えないと認める「謙虚さ」を持つこと。
- そして、人間の外側から与えられる「神の平和」を切に求めること。
本当の平和(シャローム)とは、人間同士の妥協や利害の一致で作られる脆い協定ではありません。それは、私たちの内なる罪を赦し、憎しみを愛へと造り変えることのできる、神様だけが与えることのできる恵みです。32キロの長距離を走り終えたとき、人間の肉体がいかに限界のある弱いものであるかを実感します。しかし、自分の弱さと限界を知るからこそ、私たちは天を見上げ、助けを求めることができるのです。
世界がどれほど騒がしく、争いに満ちていても、あなたの心まで憎しみに染まる必要はありません。 今日、自らの力の限界を静かに認め、天から降る真の平和を祈り求める者でありたいと思います。その謙虚な祈りこそが、この荒れた時代に灯をともす、確かな希望の一歩となるのですから。
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