デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年10月6日火曜日

朝ラン32キロ完走

 


永遠ではない「今日」を愛し尽くす――明け方の小さな喜劇と、32キロの道のり

午前3時半、まだ夜の底にある冷たい空気の中、愛犬ノアとの散歩に出かけました。 ふと見ると、教会の前に一台のタクシーが停まっており、運転手さんが携帯電話でどこかへ連絡をしていました。散歩を終えて戻ってくると、今度はパトカーが到着しており、警察官が後部座席で横になっている客に声をかけています。

私たちはいったん帰宅し、私はランニングの支度と準備運動を済ませて、再び外へ出ました。 すると今度は、客のお母さんのような女性が到着しており、タクシーの後ろで眠りこけている人を叩いて起こしていました。おそらく、深く酔い潰れてしまった若い女の子だったのでしょう。運転手さんはむやみに体に触れるわけにもいかず警察へ連絡し、警察官の声かけにも反応がないため、住所を調べてご家族を呼んだのだと思います。お母さんが駆けつけたことで、無事に事態は解決へ向かっていました。

ご家族にとっては人には言えない恥ずかしい出来事かもしれませんが、傷害事件や事故ではなく、第三者から見ればどこかホッとするような、明け方の小さな喜劇でした。 32キロの朝のランニングから帰宅し、娘にこの顛末を話すと二人で大笑い。「自分には絶対にありえないことだ」と、娘はきっぱりと言い切っていました。

 


忙しすぎる日常という名の「恩寵」

今日も娘は実習へと出かけ、妻も仙台での仕事へ向かいます。 私は二人のために、美味しい料理を準備します。これだけを聞くと、私が専業主夫のように思われる方もいるかもしれません。

しかし、私はおそらく日本の牧師の中でも、一番忙しく立ち回っている一人です。 ノアの散歩、ゴミ出し(今日は資源ごみの日でした)、3時間に及ぶ朝のランニング。並行して、大人用と子ども用の二つの礼拝説教の準備、週報のコラム執筆、教会員への手紙の作成、そして月報「EL CAMINO」の発行と印刷。さらに、夕食の準備や日々の掃除、日用品の買い出し……。

息をつく暇もないほどの予定が、毎日びっしりと詰まっています。 しかし、この慌ただしくも豊かな日常のサイクルを回しながら、私の心の奥底には常に、ある静かな「自覚」が横たわっています。

 


いつか手放す日が来るからこそ

それは、「これらのことが出来なくなる日が、必ず訪れる」という厳粛な事実です。

32キロの距離を駆け抜ける強靭な脚力も、複数の原稿を同時に書き上げる思考力も、家族のために台所に立ち続ける体力も、永遠に続くものではありません。人間は土の器であり、やがて老いと共に、一つ、また一つと、出来ていたことを手放していく季節がやって来ます。だからこそ、私は「出来る今」を心から愛おしく思います。 永遠に続かないからこそ、今日という一日に与えられたすべての役割――資源ごみをまとめることも、み言葉を紡ぐことも、額に汗して走ることも――そのすべてを大切に、精一杯に生きたいと願うのです。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」(コヘレトの言葉 3:11)

聖書のこの言葉が教えるように、人生のどの季節にも、神様が定めた美しさがあります。若さゆえの失敗も、働き盛りの忙しさも、やがて訪れる静かな老いも、すべては過ぎ去っていくからこそ尊いのです。

 


新しい街の風を想像しながら

今、私は仙台という街を愛し、この場所で祈り、生活し、走り続けています。 しかし、この仙台を離れ、新しい街で走る自分を想像することがあります。実は、その日はそう遠くないのかもしれません。

次に住む都市で、新しいコースを見つけ、見知らぬ景色の中を走る。その時、私の胸の中にはきっと、今のこの仙台での忙しくも愛おしい日々が、温かい思い出として息づいていることでしょう。その未来を思うと、不思議と寂しさよりも、新しい希望と楽しみが湧き上がってきます。

 

人生は、天の故郷を目指す巡礼の旅(カミーノ)です。 私たちは、一つの場所に永遠に留まることはできません。しかし、今与えられているこの街で、この体で、この家族と共に過ごす「今日」という日を、力の限り走り抜くことはできます。

今朝も32キロを完走しました。 筋肉の心地よい疲労と、家族が帰ってくるのを待つ静かな家の中で、私はまた、明日という新しい道を踏み出す準備をしています。

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