デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年10月7日水曜日

笑顔で生きる?

 


澄み渡る秋空と過酷な世界——涙の谷で「笑顔」を灯すために

今朝は、大年寺の階段でのトレーニングと散歩から一日が始まりました。

見上げる高く澄んだ秋空、頬を撫でる涼やかな秋風、そして全身を包み込む柔らかな朝日。いつの間にか、自然はすっかり秋色へとその装いを変えていました。街を歩けば、店先には秋の食材が多く並んでおり、食欲を増す豊かな季節の訪れを視覚からも味覚からも感じさせてくれます。

深く深呼吸をしたくなるような、本当に素晴らしい朝の風景でした。

 


季節の色を持たない風景

しかし、その澄み切った秋の空を見上げながら、私の心の中にはある静かな痛みが広がっていました。この美しい季節の変化を、少しも感じることができない人々がいるという事実です。深い苦しみや悩み、痛みの中に閉じ込められ、空の青さにも、秋の風にも気づくことのできない人々の姿が心に迫ってきたのです。

  • 愛する家族を亡くし、心の時間が止まってしまった人々。
  • 戦場で戦う家族の無事を祈り、毎晩震えながら過ごしている人々。
  • 治療方法が見つからず、希望の光を失いかけている患者のご家族。
  • 通帳のお金が底をつき、「明日、どうやって生きていけばいいのだろうか」と途方に暮れている人々。

これが、私たちが生きているこの世界の、もう一つの偽りざる「現実」です。 どれほど過酷で、どれほど絶望的な状況に置かれていたとしても、「命がある限り生きなければならない」という重い事実が、容赦なく肩にのしかかってきます。

これほどまでに悲しみに満ちた危険で過酷な世界の中で、私たちはどうすれば、心からの「笑顔」で生きることができるのでしょうか。

 


痛みを抱えたままの笑顔

その問いに対する答えを探すとき、私たちは「笑顔」というものの本当の意味を考え直さなければならないのかもしれません。

私たちが目指すべき笑顔とは、苦しみから目を背け、「すべては上手くいっている」と自分に言い聞かせるような表面的な明るさではありません。過酷な現実をなかったことにするようなプラス思考でもありません。

本当の笑顔とは、涙を流す痛みを知っている者が、それでも絶望に呑み込まれないと決意したときに灯る「小さな祈りの光」なのではないでしょうか。

聖書の中に、このような言葉があります。

「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉の湧く所とします。」(詩編 84:6)

人生という道は、時にこの「涙の谷」を通らなければなりません。乾ききった過酷な谷底です。しかし、そこを歩きながら流した涙は、やがて誰かの渇きを潤す「泉」へと変わっていくと聖書は約束しています。

 


一段ずつ、階段を上るように

どうすれば笑顔になれるのか。 それはきっと、自分の力だけで笑おうとするのをやめた時です。悲しみの中にある時は、無理に笑う必要はありません。ただ、共に泣いてくれる人がいること、そして、この世界の痛みをすべて背負って十字架にかかられたキリストが、その涙の谷のどん底であなたと共に座り込んでくださっていることを思い出すだけでよいのです。「自分は一人ではない」 「この痛みを知ってくれている方がいる」

その静かな安心感に出会えた時、人の顔には、自然と柔らかな光が差します。それこそが、過酷な世界で生き抜くための、最も強くて美しい「笑顔」なのだと思います。

大年寺の長く急な階段を、息を切らしながら一段一段上るように。 人生の過酷な現実の前で足がすくみそうになっても、今日という一日、ただ目の前の一段だけを見つめて足を乗せてみてください。その小さな一歩を、天の神様は決して見捨てることなく支えてくださいます。美しい秋空の下、涙の谷を歩むすべての人々の足元に、今日、小さな泉が湧き上がりますように。間もなく水曜祈祷会です。

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