闇をひらき、光へ向かう71キロ——祈りと共に走る明け方の道
夜と朝の境界線すらまだ見えない、23時59分。
真夜中の静寂の中で目を覚まし、私の一日は始まりました。部屋を整えるための掃除、静かな祈りの時間、ノアと一緒に歩く夜気の中の散歩。資源ごみを出し、部屋に戻って聖書のページをめくる。このいつもと変わらない、しかし決して疎かにできない一つひとつの営みが、これから始まる非日常の挑戦へ向けて、私の心を静かにチューニングしてくれます。
現在、午前1時過ぎ。本日の午前2時半から始まる、約71キロの道のりに向けた最終点検を行っています。
未知の領域へ踏み出す不安と期待
今日の目的地は、南相馬市にある原町教会です。午前10時から地区全体研修会のための会合があり、せっかくの機会なので、自分の足で走って向かうことに決めました。
過去に徒歩で2度、この道を歩き通したことはあります。しかし、「走って行く」のは今回が初めてです。暗闇の中、71キロという途方もない距離を前にすると、心の中に小さな問いが波紋のように広がります。 「無事にたどり着けるだろうか?」 「一体、何時間かかるのだろうか?」先が見えない道のりに対する不安は、私たちが人生の転換期や、新しい挑戦を前にしたときに感じる震えによく似ています。結果ばかりを急ぎ、まだ見ぬゴールを思って息苦しくなってしまうことは、誰の日常にもあることではないでしょうか。
恵みの「区切り」と、歩み続けるための知恵
しかし、今回の道程において、私はフルマラソンのようなスピードを求めるつもりはありません。最初の休憩地点は、長町から約23キロ先にある亘理のローソン。そこから先は、15キロごとに立ち止まり、一呼吸を入れる計画を立てています。
一気に走り切ろうとするのではなく、区切りをつけながら進むこと。 焦らずに、自分の体の声に耳を傾け、調子に合わせて祈りながら走り続けること。
これは単なるランニングの戦略ではなく、私たちが日々の困難や長い試練を乗り越えていくための、一つの生き方のようにも思えます。
祈りという呼吸、委ねるという前進
聖書には、このような言葉があります。
「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」(イザヤ書 40:31)
長い人生の道のりの中では、力強く駆け抜ける時もあれば、立ち止まって深く息を吸い込む時も必要です。亘理のローソンでの最初の一息も、その後の15キロごとの休息も、決して「立ち止まることへの敗北」ではなく、次の一歩を踏み出すための「恵みの時間」なのです。冷たい夜の空気を切り裂き、やがて東の空が白んでいくのを見つめながら、私は一歩一歩、アスファルトを踏みしめていきます。速さや結果ではなく、その道中にある祈りと、体を通して感じる神様の守りに意識を向けること。今日、原町教会までの71キロは、私にとって一つの長い祈りの道となります。あなたも今、先の見えない長い道のりの途中にいるかもしれません。 どうか焦らないでください。途中で休んでもいいのです。あなたの呼吸に合わせて、今日という一日をゆっくりと進んでいきましょう。
さあ、出発の時間が近づいてきました。 静かな祈りとともに、夜明けの道へ踏み出してきます。
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