デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年10月17日土曜日

歩く、走る、上るー私の人生の三つの章

 


ある御言葉との出会い

これからの人生を、10年ごとの章に分けて思い描いてみました。そのとき、ずっと親しんできたはずの一つの御言葉が、まったく新しい光を放ち始めました。

主に望みをおく人は新たな力を得、
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、
歩いても疲れない。
(イザヤ書40章31節)

「上る」「走る」「歩く」。
この三つの言葉の中に、私のこれまでと、これからの歩みがそのまま入っていたのです。しかも後ろから読むと、「歩く」「走る」「上る」。私が歩んでいく順番そのものでした。

 


第一章:歩く(2014年〜2027年)

2014年、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの祈りの旅が始まりました。

振り返れば、長い距離を歩くことは、30年間ずっと私のそばにありました。仙台に来て9年。ここから福島方面への道を8回以上歩きました。長町から石巻まで、往復100キロを22時間弱で歩いたこともあります。スペインの巡礼路では、巡礼者たちから「クレイジーだ」と言われるほど歩きました。

この祈りの旅は、2027年6月、61歳で迎える11度目の旅で締めくくります。

これまでは、歩くことだけに集中してきました。だから最後の旅は、高速バスや列車、飛行機に乗って、10年以上かけて数千キロを歩いた道と街を巡ります。足元ばかりを見つめてきた道を、今度はゆっくりと顔を上げて眺めるつもりです。

 


第二章:走る(61歳〜70歳)

本格的にマラソンを始めて、まだ2年足らずです。それでも、30年間歩いてきた土台が、今の走りを支えてくれています。

これまで、全力で走ったことは一度もありません。礼拝の前の早朝にフルマラソンの距離を走り、そのまま礼拝を担当する。それが私の日常でした。

この12月23日に、61歳になります。そこから10年間、国内外のマラソン大会に挑む新しい章が始まります。

  • 2027年11月3日:ぐんまマラソン。初めての公式記録
  • 2027年11月23日:大田原マラソン。サブ3への挑戦
  • 2028年〜:シカゴ、ベルリン、ニューヨーク、ボストン、ロンドン、東京、シドニー、セビリア
  • 2036年:70歳。ローマで、この章を締めくくる予定です

抽選に当たるかどうかは分かりません。それでも、道は描いておきたいのです。

最後の地をローマにしたのには、理由があります。伝承では、使徒パウロはローマからこう書き送ったとされています。

わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。
(テモテへの手紙二 4章7節)

70歳のゴールで、この言葉をかみしめたいと願っています。

 


第三章:上る(71歳〜80歳)

もし神様が、その先の10年を許してくださるなら。

71歳から80歳までは、無理のない範囲で、世界の山々に挑戦したいと思っています。

思い返せば、私の初めての登山は、いきなり富士山でした。

目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る
天地を造られた主のもとから。
(詩編121編1〜2節)

山を上るときも、助けは自分の脚からではなく、主から来る。そのことを、一歩ごとに確かめる章になるでしょう。

 


一人の道から、二人の道へ

振り返ってみると、サンティアゴ・デ・コンポステーラ祈りの旅で「歩く」ことも、マラソンで「走る」ことも、私一人の歩みでした。

けれども、最後の章である「上る」は、妻と一緒の道になると思います。私の初めての登山だった富士山も、妻と二人で登ったのですから。

一人で歩き、一人で走ってきた道は、やがて二人で上る道へとつながっていきます。あの富士山から始まった二人の登山が、人生の最後の章でもう一度始まる。そう思うと、10年先のその日が、今から楽しみでなりません。

 


三つの章を貫くもの

そして、80歳までは、今の牧師としての務めを続けます。

歩くことも、走ることも、上ることも、講壇から離れるためのものではありません。道の上で受け取った恵みを、また講壇で語るための歩みです。

イザヤの言葉は、「歩く力」「走る力」「上る力」の源がどこにあるのかを語っています。それは、私の脚の強さではなく、「主に望みをおく」ことです。

だから、この計画どおりに進まない日が来ても、恐れる必要はありません。歩けなくなっても、走れなくなっても、主に望みをおく者に与えられる「新たな力」は、決して尽きることがないからです。


今日の一歩から

壮大な計画に見えるかもしれません。けれども、どの章も、今日の一歩から始まります。

今朝もまた、靴ひもを結びます。
歩く者として。走る者として。いつか上る者として。

主に望みをおいて、今日も前進です。

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