真夜中の来訪者と壊れたコーン――不条理な世界に開かれた「命の扉」
肌寒い夜気が街を包み込む、深夜23時50分。
静寂を破るように、教会のインターホンが鳴りました。この時間帯の訪問は、経験上あまり良い知らせではありません。少し身構えながら扉を開けると、そこには不安そうな顔をした三人の若者が立っていました。
壊れたコーンと、青年のまっすぐな声
事情を聞くと、駐車場にあったコーンを車で轢いて壊してしまったとのこと。現場に行ってみると、確かにワゴン車の下敷きになったコーンは完全に砕け散っていました。車の後ろには、まだ初々しい初心者マーク(🔰)が貼られています。
運転していた青年は、まっすぐな目で「弁償します!」と声を張りました。 私は彼らに、砕けた破片を倉庫まで運んでもらい、こう伝えました。
「大丈夫だよ。コーンで良かったよ。人とか他の車だったら、大変だったでしょう?」
「本当に、すみませんでした!」と深く頭を下げる彼ら。聞けば、東北工業大学で建築を学ぶ1年生とのことでした。「最後は気をつけて帰ってね」と背中を見送り、真夜中の一連の出来事は静かに幕を閉じました。
「弁償できるもの」と「弁償できないもの」
その後、愛犬ノアと夜の散歩に出かけました。帰宅して段ボール箱をまとめ、温かい卵スープと食パンでお腹を満たし、冷え込む夜の静寂の中で仕事に向かいます。
暗闇の中で、先ほどの青年の「弁償します」という言葉が胸の奥で静かに反響していました。
人生には、新しい物を買ってお金で弁償できる出来事があります。しかし一方で、この世界には「絶対に弁償できない事柄」も存在します。その最たるものが「人の命」です。
現代社会は、命の重さすらもお金で解決できるかのように錯覚してしまうシステムを持っていますが、それは実に不条理で、恐ろしいことです。どれほどの対価を積んでも、失われた命や時間は二度と元には戻りません。
不条理を貫き、開かれた扉
この不条理な世界に決して飲み込まれることなく、ご自身の「正義」を貫き通された方がいます。それが、イエス・キリストです。
「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネによる福音書 14:6)
キリストの貫いた正義とは、罪を犯した人間に厳しく弁償を求めることではありませんでした。自らが代価となり、人類に「救いの道」を開くこと。自分の過ちを前に立ち尽くす私たちに、「もう大丈夫だ」と語りかけ、真の命が得られる扉を開いてくださることでした。深い夜を経て、再び眠り(二度寝)につく時間がやってきました。
本日の朝のランニングは、無理をせずに休息にすることに決めました。時には立ち止まり、体を休め、静かに恵みを味わうこともまた、神様から与えられた命を大切にする一つの歩みです。
夜中に逃げずに謝りに来た、あの誠実な青年たちの未来が守られますように。 そして、今日という不条理な世界を生きる私たちが、キリストの開かれた「命の扉」の奥にある、確かな希望の光を見つめ続けることができますように。
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