深い霧の向こうで待つ、希望の朝日
霧に包まれた夜明けのスタート
季節は確実に歩みを進め、朝の4時半にもなると、すっかり明るさを感じる季節になりました。今朝もその時間に靴紐をしっかりと結び、ランニングをスタートさせました。
今日は、土曜日に走る尚絅学院中高のコースを少しアレンジして走り、トータルで30キロを完走しました。
走り始めの空気は、とても不思議なものでした。辺り一面に深い霧が立ち込め、いつもなら見えるはずの風景が白く濁り、少し先すら見通せない状態だったのです。しかし、一歩一歩と足を進めるうちに、だんだんとその霧が消え去り、やがて見慣れた街の姿がはっきりと現れました。そして帰りの道では、力強い朝日が昇り、周りのすべてを暖かく照らしてくれました。気温もちょうどよく、息を呑むような美しい朝の光景でした。
見えない不安という「霧」のなかを走る現代人
この「深い霧のなかを走り、やがて光に出会う」というプロセスは、私たちが生きる現代の姿、そして人生の歩みそのものに重なるように思えます。
私たちは今、常に先の見えない「霧」のなかを走らされているような時代を生きています。 仕事の先行き、複雑に絡み合う人間関係、将来への漠然とした不安。SNSやニュースには情報があふれかえっているにもかかわらず、本当に信じるべきもの、進むべき確かな道は、かえって見えにくくなっています。足元すらおぼつかないまま、「この道で合っているのだろうか」と孤独や葛藤を抱えながら、手探りで日々を駆け抜けている方がたくさんいらっしゃいます。
しかし、立ち止まることはできません。 私自身も今日、午前中には近所の大学チャペルで礼拝説教を担当し、お昼には家族を送り出し、その後は教会員の方との打ち合わせが控えています。私が立ち止まっても、時間は待ってくれず、一日はすでに始まって静かに流れていくのです。
光はすでに昇っているという真理
焦りや不安に押しつぶされそうになりながら走る私たちに、聖書は確かな希望の言葉を届けてくれます。
「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。」(詩編 119編105節)
私たちが自分の力で、目の前の霧を吹き飛ばそうと必死にもがく必要はありません。霧のなかで先が見えなくても、ただ神様の言葉を小さな足元の「灯」として信じ、今日与えられた一歩を黙々と踏み出し続けていればよいのです。
今朝のランニングが教えてくれたように、霧は必ず晴れます。 私たちが気づかない間にも、分厚い雲の向こう側では、すでに「希望の朝日」が昇り始めているのです。神様の完全な光が差し込むとき、私たちが恐れていた不透明な現実は、かつてないほど美しく、温かい景色へと姿を変えます。現代の効率やスピードばかりを求める社会の中で、私たちはすぐに「結果(晴れ間)」を求めますが、神様はあえて霧の中を歩ませることで、見えないものに信頼する「本物の信仰」を育ててくださるのです。
すべてを感謝と喜びに変えていく一日
今日もまた、慌ただしい一日が流れていきます。 皆さんの目の前にも、いまだ晴れない霧のような課題が立ちはだかっているかもしれません。しかし、その向こうには、あなたを照らす愛の光がすでに用意されています。
今日というかけがえのない一日を、決して悔いのないように生きたいと願います。思い通りにならない状況に不平をこぼすのではなく、霧のなかにあっても共に歩んでくださる神様を見上げ、すべての状況を「感謝と喜び」に変えていく一日でありたいものです。
霧が晴れたあとに広がる、あの温かい朝日を信じて。
今日も、共に前進です。