2022年9月29日木曜日

キンモクセイ

 


それから、イエスは弟子たちに言われた。「だから、言っておく。命の事で何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。(ルカによる福音書1222-34節)

 


2214分起床。

新しい命が与えられた。感謝。

会堂で祈り、散歩。

今日は久々にノアちゃんと大年寺山公園、愛宕神社、宮沢橋ルートを歩いた。



教会から出て大年寺階段へ向かってしばらく歩くと、甘い香りが風に乗って来る。キンモクセイの香りだ。秋の香りである。どんなことがあったとしても季節は必ず廻って来る。自然の法則だ。



こうして人間の感覚で確認できる自然の法則があるとうに、目に見えない霊の法則もある。その法則は覆すことが出来ない絶対的なものである。人間はただ受け入れるしかない法則である。ならば反発せず素直に受け入れる方が良い。どうせ受け入れることになるのだから。

 



問題はいつもすぐ変わってしまう感情である。

この厄介なものがいつも足を引っ張る。

この感情に屈する事のない強い意志が必要である。

何よりもまず意志を優先して行うことだ。

感情は最後に出るようにせよ!

相手の態度や反応にも影響を受けないようにせよ!

先に自分がこうすると決めたことを行う。

その意志がすべてを導くことにせよ!


 

命が与えられた以上は精一杯に生きることだ。

今日も頑張って歩み続ける。

2022年9月28日水曜日

つまらない人生にならないために

 


神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。

罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。(ヤコブの手紙48節)

 


先日、娘が言った言葉。

娘:早くパパに韓国語を教えてもらったらよかったのに

僕:パパが日本語を初めて勉強したのは25歳だよ!全然遅くない!大丈夫だよ!

こうして希望を与える。

 


偉大な芸術家ミケランジェロは、自分の信仰は作品に押し出され、居場所を失ったと告白しました。

そして世を去る数日の前に次のような言葉を残しました。

「今になって芸術をもって偶像と王にした狂気ある熱情がどれだけの過ちをもたらしたかを悟った。

世のつまらないことをしている間、神様を考える時間を全部奪われてしまった。」

 


人は

つまらないことで喧嘩をし、

つまらないことで時間を無駄にし、

つまらないことで苛立ち、

つまらないことで人生を浪費する。

 

正義や大義のために人生を用いる人々は少ない。

誰かのために生きる人も少ない。

厳密に言えば結局のところ、ただ自分自身のための行為である。

ただ自分のために行ったことが都合よく他人にも良い影響を与えたことになる。

それでも良い。

世の中、他人を巻き込んで不幸にさせる人々もいるからだ。

他人の平和を壊さず、迷惑をかけず、相手を尊重して生きる社会はどれだけ良いだろうかと考える。

 

しかし

そういう世界は存在しないのが悲しい。

せめて家族の間だけでもそういう世界を作り上げること。

まずそこからスタートすれば良い。

それから少しずつ広げていく。

 

自分の考え方、主張、欲を横に置いて、まず相手の意見を聞いてあげる。

先に相手の考え方、主張、願いを聞いてあげる。(それが理にかない、家族全員にもプラスになる事ならばとのことだが・・・)

あんまり複雑に考えない。

難しく考えない。

ネガティブに受けとめない。

プラスに考える。

こういう習慣を身につけることが家族の平和をもたらす一歩である。

先日のベルリンマラソンで男女ともに世界記録を更新した。素晴らしい。

家族に対する愛も更新してほしい。

これまで以上に愛し続けることが出来たことがもっと素晴らしいことである。

決してあきらめずに忍耐と愛をもって生き続ける。

 

毎日

祈りとみ言葉、

勉強も読書も

散歩も続け、

ランニングも続け、

料理も続け、

掃除も

買物も

生き続けることが感謝である。

犬を亡くして寂しさを感じている人のためにも祈り、手紙を書き送る。

今日も命がある限り精一杯に生きるべし。

悔いのない今日の人生を生きる。

 

2022年9月22日木曜日

日課

 


「すべての肉なる者は草/その栄えはみな野の花のようだ。

草は枯れ、花はしぼむ。/主の風がその上に吹いたからだ。/まさしくこの民は草だ。

草は枯れ、花はしぼむ。/しかし、私たちの神の言葉はとこしえに立つ。」(イザヤ書406b8)

 


月曜日:16キロの祈りのマラソンをにクリア!

    表の教会の工事が始まる。

依頼されていた文書を書き終えてメールで送信。




 

火曜日:台風で休校となる。妻も休み。

    ノアちゃんと僕は関係なく夜中の散歩、

 


水曜日:パパ、今日は暇?

暇でないけど、あなたのために暇にするよ!と答える。

学校まで迎えに来てほしい。

了解しました。

1245分学校に到着。結構のお迎えの車が多い。

帰りに若林のマックでランチ用のバーガーセットをテイクアウト。

今年に入ってからたまにマックでテイクアウトをするようになった。

人生、初めての経験を娘のおかげでさせてもらっている。

(食べてみると意外に美味しかった。)

 


木曜日:娘のテスト最終日。試験が終わったら友だちと名取の海に行くと言う。

妻は仕事で仙台へ。今日は、工事は休み。

僕は午前中に買物のために仙台朝市へ。

いつも大年寺階段から決まったルートで歩いて行く。リンゴ、キュウリ、サツマイモ、トマトなど。

ドン・キホーテにも寄って買物。

帰りは荷物があるので地下鉄で。

今日の夕食は鶏のもも肉を使った料理を作ることに・・・

 

こうして一日一日を生きている。

 

10月は毎週のように東北学院大学や高校の礼拝のために出かけることになり、その説教準備でちょっと忙しくなった。忙しくても3年ぶりの休暇が待っているので頑張っていける。後164日。

娘と僕は二人で来年3月に韓国へ行くことに。すでにチケットもとっている。5年ぶりだ。

それで娘は韓国語の勉強にも励んでいる。

妻とノアちゃんは留守番。

 

どういう生き方で生きるにしろ、何を考えているにしろ、時は流れて行く。流れる時をぼっとして見るよりはその時の真ん中に飛び込んで現実と受け止め、戦いながら生きた方が人生は面白いかも。つまり、観客にならず舞台の主人公になって生きることだ。どうせ時は流れ、人生の舞台は必ず終わるからだ。ならばもっとリアルな世界のど真ん中で様々な経験をしながら生きた方がよっぽど良いわけだ。苦しみも痛みも味わい、楽しみも、喜びも経験しながら、それを自ら造り上げながら人生の主体となって生きることだ。周りの環境や状況、また人々に操られる人生ではなく、自分が主人公になって自分が主導して生きることである。決して悔いのないように、また決してつまらない人生ではなく、活き活きした人生を生きることだ。どういう人生を生きるかは他ではなく、自分が決めることである。今日も自分の人生を最後まで精一杯に生きることである。人生は案外面白いし、楽しいものである。その生き方ですべてが決まるからだ。今日は教会員からお土産で日本酒をもらった。約1か月もまったく飲んでない。最近はあまり飲みたくもないので無理に飲むことはしない。飲みたくなった時に飲むようにした。自由に考え、自由に生きよう。縛られずに生きることだ。もちろんそういう生き方も可能である。すべては自分次第である。

2022年9月19日月曜日

16km ランニングで記録更新

 青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。太陽が闇に変わらないうちに。月や星の光がうせないうちに。雨の後にまた雲が戻って来ないうちに。(コヘレトの言葉1212節)

 


時間は止まらず流れて行く。

そして、台風がやってくる。

 


過ぎ去る人々。

そして、生まれる新しい命。

 


始まりがあり、終わりがある世界。

そして、その間に長く留まろうとする人々。

 


いったいどこへ向かって行くのか?わからず、生きている人々。

そして、最期を迎える人々。

 

上記の聖書の著者はソロモン王であると伝えている。

この世の富、知識、知恵を手に入れた人がすべてを味わった後、老年期に語った言葉である。

青春時代を悔いのないように楽しく過ごし、喜ぶべきだと言う。

同時に創造主である神様を心に留めて放縦な人生を送るな、と警告している。

しかし多くの人は最期の時に悔いてこの世を去る。

それが人生だと自分に言い聞かせて自ら慰めようとする。

・・・・

でもそれは人生ではないと聖書は指摘している。

人間は幸せな人生を生きる権利があり、実際に幸せな人生を生きることも出来る。

その人生は創造主を心に留めることから始まるのである。

その創造主の御声に耳を傾けることから幸せな人生を生きることができる。

 


今日から教会の外側の工事が始まる。

工事が終わるまでは静かに過ごすことが出来ないかも・・・・だからといって行くところもない。

娘はテスト勉強に励み、ノアちゃんは相変わらずのんびり・・・・

妻もなんとか仕事に励んでいるので感謝。

今日は3時過ぎに茂庭へ。

まだ暗い。

祈りながら歩き、歩きながら祈る。

さらに走りながら祈り、祈りながら走る。

こういう調子ならハワイマラソンには早く参加できるかも・・あと2年後かな・・・頑張るべし!!!

今日も与えられた命に感謝して精一杯に生きる。

2022年9月10日土曜日

希望の一歩

 


子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです。「父と母を敬いなさい。」これは約束を伴う最初の掟です。「そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる」という約束です。父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。

(エフェソの信徒への手紙6)

 


今日は満月。

昨日は久々に青空の下に仙台朝市へ。

東京のアメ横に比べると活気が足りないが、それでも他のところよりは元気のある市場である。

 


曇りの日が続き、さらに雨が続くと憂鬱な気分になるらしい。

だからそのあとの晴れた日は特別な気分になる。

枯れた花に雨が降って潤し、光が差して再び元気になるような感じかもしれない。

これは生きている生命体が感じる気分である。

死んだ者は決して味わえない気分である。

 


我々は天候一つだけでもこんなに左右される弱い人間である。

おそらく生き物の中でこんなに天候に気を取られる存在はないだろう。

他の生き物はその都度、ありのまま受け入れて生きるのである。(全部とは言えないが・・・)

雨が降れば、雨の中で生き、雪が降れば雪の中で生きる。

嵐の時は身を隠して時が去るまで静かに待つ。

災難の時には運命と考えて受け入れる。

騒ぐこともない。ありのまま受け入れて生きるのである。

 

人間の世界はいつも騒いでいる。

事件や事故で騒いでいる。

戦争で騒ぎ、テロで騒ぎ、葬儀で騒ぐ。・・・・

静かな時はない。

いつも騒ぐ。

いつから騒ぐようになったのか?と考えてみる。

思い出した!

平和なエデンの園で人間が神様に逆らい禁断の実をとって食べて以来、人間はいつも騒ぐようになった。

つまり、神様との不和、神様との関係が断絶されたことがその原因である。原因が分かれば答えは出ている。再び神様との関係を修復することである。そのためにイエス・キリストが遣わされたのである。平和の使者としてお出でになったのである。イエス・キリストを信じ、受け入れることで壊れた関係は回復され、平和な世界が戻されるのである。

 

韓国は秋夕だ。日本のお盆にあたる。墓参りやみんな集まって美味しい物を食べ、語り合い、遊ぶ。

懐かしい。

今日も頑張って生きる。

命がある限り、希望はある。

その希望の一歩を踏み出す一日であるように・・・・

2022年9月1日木曜日

自分の人生を生きる

 


あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、「今日」という日のうちに、日々励まし合いなさい。――(ヘブライ人への手紙3:13

 


誰にでも与えられる24時間。

しかし、使い方は様々。

時間を大事にし、悔いのないように用いる人々がいる反面、無駄遣いして悔いる人々がいる。

おおむね、時間の用い方によって人生が豊かになることが多い。その時間を誰のために、どのように用いるかが重要である。ただ私腹を肥やすために用いる人もいれば、他人のために自分を犠牲にして用いる人もいる。生き方はそれぞれ違うけれども、しかし、人に役に立つ人生は美しい。これは善し悪しで判断することは出来ない。そのように判断してもならないと思う。それが自分の人生であるからだ。ただ聖書は最後にその時間の用い方によって裁きを受けることになると教えている。ここに二種類の人々が存在することになる。聖書の言葉を重んじて出来るだけそれに従って生きようとする人と関係なく生きる人である。それも自由であろう。

 


1時ごろ、ノアちゃんとの散歩。

5時ごろ、ランニング14キロ。

9時ごろ、みやぎ霊園の清掃。

合わせて約40キロ、約50,000歩。

帰宅して料理。



 




今日は3つの料理を作った。

ジャガイモをもらったのでそれでポテトサラダを作った。

ナス料理とズッキニーステーキを作った。

これで自分の今日の一日はほぼ終了。無事に過ごすことが出来て感謝。

明日は明日に委ねて、今日の人生だけを精一杯に生きる。

シャワーラン

  あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。(マルコ 13 : 37 )   今日は雨の中を走り続けた。シャワーラン。 22 キロ完走。 雨にぬれてもまだ気持ち良い時期である。 これが一気に寒く感じるようになる。 それを常に意識...