2023年10月21日土曜日

一人よりは、二人が

 


見よ、兄弟が共に座っている。 なんという恵み、なんという喜び。(詩編133:1

先週、広瀬川のハクチョウが一羽増えました。どこからやってきたのか、まったく分かりませんが、すぐ仲良くなり、一緒に行動するようになりました。3月からず~と一羽だったのが、一羽増えただけで広瀬川が別世界に見えました。平和です、仲間です、安心感です、希望です、未来です。今の我々人間の世界では失っている言葉です。争い、戦争、憎しみ、妬み、憎悪、不安、悩み、絶望、暗い現実だけが漂っている世界です。けれども、そういうど真ん中にイエス・キリストの十字架が付いている教会があるのです。その十字架は希望のしるしです。閉ざされている未来を切り開く光です。

イエス・キリストこそ真の希望であるのです。このイエス・キリストに頼って生きることです。すべての人に真の命を与えることが出来る方、この世界に真の平和をもたらす方を絶えず宣べ伝えながら歩む教会になることです。そういうキリスト者になることです。それが主なる神様からわたしたちに与えられた尊い使命であるのです。キリスト者はこの使命のために生きる者です。そのために神様は信仰の友を与えてくださいました。共にその使命を果たさせるためです。この友は人生最後まで一緒に歩み続ける友であるのです。一人よりは、二人が良いのです。共に生きることです。

2023年10月18日水曜日

だから生きる

 


どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケ一5:18

In every thing give thanks: for this is the will of God in Christ Jesus concerning you.1 Thessalonians 5:18

 


夜中にノアちゃんと散歩に出かけると、途中、この時期に味わえる美味しい甘い香りに出会う。キンモクセイである。その香りは風に乗って僕たちのところにやって来る。期間が短いので出来るだけ香りをいっぱい漂わせて人々に知らせる。この香りは時々自分をタイムカプセルに入れて未来ではなく、過去へと連れ戻す。大学の寮の前にキンモクセイの木があってその香りは忘れられない。人間の五感の内一番長く記憶に残るのが嗅覚という。確かにそうかも知れない。甘くて美味しい香りだ

 


今日も26キロ完走。だんだん距離を伸ばして行く。最終的には毎日30キロを走ることを考えている。祈祷会が終わって昼の散歩。大年寺階段から愛宕神社、そして広瀬川沿いへ。

ハクチョウが一羽増えた。昨日まではなかったのにその一羽はどこからやってきたのだろう。でも良かった。仲間が出来て。後二か月後には大勢の仲間たちがやってくるだろう。楽しみにしている。

 

秋は深まりつつある。そしてすぐに冬になる。

 

戦争はいつ終わるだろうか?

 

戦地では厳しい冬を迎えるだろう。

 

それぞれ異なる環境や状況ではあるが、感謝して生きよう。

とにかく生きることだ。生きることを考えて生きる。

なぜなら命を与えてくださった主なる神様が生きよう、と言われるからだ。

だから生きる。

2023年10月16日月曜日

弱い時こそ強い人

 


それゆえ、私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、私は弱いときにこそ強いからです。(コリント二12:10

 


人は自分の弱さを隠し、強さを誇る傾向があります。しかし使徒パウロは反対に自分の強さを隠し、弱さを誇るというのです。なぜなら「私は弱いときにこそ強いからです。」と考えているからです。その弱さのために自分は主なる神様に頼ることが出来る、と言うのです。

人はすべてが整えられ、心配することも、悩むこともない場合、神様に頼らず自分の力で生きようとします。すべてに満足しているのにわざわざ神様の助けを求める人はいません。



けれどもそういう環境が本人にとって裁きとなり、結局、救われずに罪人して去って行くのです。イエス・キリストの救いを得られず死んでゆく人の行き先は地獄であると聖書は教えています。死んだら何もかもお終いだと言う人がいますが、決してお終いではないのです。神様の審判が待っているのです。それを聖書は繰り返して警告し、イエス・キリストによって救われる道を示しているのです。イエス・キリストによって真の命を得て生き、真の命をもったまま死ぬことです。真の命を持った人の死は葬りではありません。復活の準備のための時であるのです。この復活の信仰によって生きるのがキリスト者であります。だから苦しみの中でも、悲しみの中でも、痛みの中でも信仰と希望をもってそれらに耐えられ、前に進むことが出来るのです。人生最後までこの復活信仰によって生きることです。

Forgetting the past

 


兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、(フィリピ3:13

Brethren, I count not myself to have apprehended: but this one thing I do, forgetting those things which are behind, and reaching forth unto those things which are before,Philippians 3:13

 


人は大切な時間を無駄にする場合があります。その一つが過去の失敗や過ちに対する悔いなどで時間を費やすことです。あるいは成功した過去の世界に入り、なかなか出られません。現実が待っているのに過去の出来事に酔って座り込んでいるのです。人は現実を生きる者です。過去は取り戻すことができません。未来も早く来させることも出来ないのです。その過去と未来の間を生きている者です。また、時間は止まってくれません。だから慎重に生きることが大事です。


 


言うべきこともちゃんと見分けて話し、行動することです。出来れば言うべきことも5秒間もう一度考えて話したら想像した以上の効果を得ることができます。問題になった場合、いつも思うのは、もう少し考えれば良かったとの悔いです。悔いのない人生を生きるためには心の余裕をもって歩むことです。人間が失敗するのは性急に進めるからです。今日も余裕をもって生きる事です。秋を味わいながらたまには青空を見上げ、美味しい空気をいっぱい吸い込んで心を満たし、ゆっくり歩むことです。私たちが走っても、歩いても地球は同じ速度で回るのです。もう少し全体のスピードを落として歩むことで少しは心と生活に余裕が出来ると思います。今日も生きる事です。主のために、家族のために、人々のために、そして自分のために・・・・・

 

2023年10月8日日曜日

真の光

 


あなたの太陽は再び沈むことなく/あなたの月は欠けることがない。主があなたの永遠の光となり/あなたの嘆きの日々は終わる。(イザヤ書60:20

 


地球が滅びない限り、朝日は必ず昇ります。わたしたちが死なない限り、この朝日を見ることが出来ます。わたしたちの信仰がなくならない限り、日々注がれる神様の恵みを感じて生きることが出来ます。わたしたちの信仰の目を閉じない限り、主なる神様の恵みの光を見ることが出来るのです。そしてその光が指している方向へと進んで行くことができるのです。けれども多くのキリスト者はこの真の光に頼らず、この光が指している方向ではなく、この世のあらゆる光が指している方向へと進んで行くのです。結局のその光はイエス・キリストなしの虚しい人生へと導く光であるのです。そして最後には悔いと虚無のみを残して消えて行くのです。

 


わたしたちは日々新たに注がれる主の恵みに頼って生きることです。主が示して下さる方向だけを見て歩み続けることです。この世の価値観、生き方、金銭至上主義などの誘惑に負けず、イエス・キリストを信じる信仰によって生きることです。そのためにも絶えず主の約束が書かれている聖書を読み続け、祈り続けることです。そして毎週の礼拝を通して主の御言葉に耳を傾けることです。わたしたちは弱い者です。誘惑に負けて、倒れてしまう者です。だからこそ主なる神様のみに頼って歩むのです。主を信頼して生きることです。その御手を放さずしっかり握られたまま歩むことです。今日も、明日も、その次の日も・・・・・

2023年10月7日土曜日

 

雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。(創世記916節)

 


神様の約束は必ず実現され、守られるものです。なぜなら神様は真実な方であるからです。旧約聖書で繰り返して約束され、預言されたメシア、その救い主を送ってくださいました。救い主イエス・キリストによって全人類の罪が赦され、救われる道が開かれました。それは昔のイスラエルとの契約によるものではないことが大きな恵みです。もしも神様の御前で正しく生きるならば救われるという契約だったならば我々の中に誰一人救われる人はいなかったことでしょう。

 


しかし、愛の神様は人間の弱さを知り、ただ信仰による救いの道を備えてくださいました。律法を行うことによる救いではなく、それを完全に行うことは不可能なことですので、可能なことを提示してくださったのです。ですから救いは神様からの一方的な恵みによる出来事であるのです。その神様の大いなる恵みに与る人は祝福された人と言えるのです。この恵み深い神様に頼って生きることです。イエス・キリストを真の希望として歩む人は幸いな人であるのです。人生最後まで真の希望であるイエス・キリストと共に歩むことです。私たちが最後まで守るべきものはイエス・キリストに対する信仰です。なぜならキリスト者は何よりも信仰によって生きる者であるからです。

 


 事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。(エフェソの信徒への手紙2810節)

どちらにフォーカスを合わせて生きるか?

  さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠さ...