2024年9月21日土曜日

シャワーラン

 


あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。(マルコ1337

 


今日は雨の中を走り続けた。シャワーラン。

22キロ完走。

雨にぬれてもまだ気持ち良い時期である。

これが一気に寒く感じるようになる。

それを常に意識して走ることにする。

土曜日だ。

準備の日である。

そのための重要なのは平安である。

そのためには必要条件がある。

内側と外側のバランスである。

心を乱すような出来事、言葉に惑わされずに過ごすことである。

また不安と悩みを信仰によって消して過ごすことである。

明日のことは明日に任せて、自分は与えられた今日という日を精一杯に生きることである。

2024年9月20日金曜日

雨、雷、風

 


疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」  

(マタイによる福音書112830節)



 

雨、雷、風。

今朝はこういう天気だ。

今日は大年寺階段トレーニング。255階段10回往復。

雨の日も良し。

雷も良し。

風も良し。

共に生きるべし。

2024年9月19日木曜日

味方となる神様

 


主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。(詩編373節)

 


今日は小雨の中を走った。

途中、止んだけど今の時期の小雨はありがたく気持ちよい。

今日は32キロ完走。



生きようと思えばどんな場合でも生きる道が開かれる。

過去の過ち、失敗、いやな経験に縛られず、今を、与えられた今日の日に感謝して精一杯に生きることである。人の評価にとらわれず、出来る自分を信じて前に進むことである。



いつも信頼する者の背中を押してくださる、真の味方となる主なる神様を信じる信仰によって生きることが重要である。今日も信じて生きる。

2024年9月18日水曜日

生きることを考える

 


城門よ、頭を上げよ/とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる。(詩編24編7節)

 

少なくとも今の自分の空間だけは平和である。感謝。

今朝は大年寺階段トレーニングを行った。

255階段を10回往復する。汗びっしょりだ。

30キロランニング並みの汗をかいた。

 

外の世界は自分が見ようとしない限り知ることは出来ない。

外の世界が魅力的であるならばよいが。。。

だから見ようとせず、知ろうともしない。

 

生きることだ。

生きることを考えて生きることだ。

2024年9月17日火曜日

命がある限り

 主に望みをおく人は新たな力を得/鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。(イザヤ書40:31)


今日も走る。

31キロ完走

命がある限り走り続ける。

特別なことがなくても、特別な日として受け止めて生きることである。

感謝と喜びをもって。





2024年9月15日日曜日

太陽は昇る

 今日も走り続けた。



太陽が昇る。



生きなさい、という。



21キロ完走。

今日はランニングの時間以外には雨が降り続いた。



墓前礼拝にも雨。

恵みの雨だ。

感謝






2024年9月13日金曜日

今日も走る



 午前3時から走り出す。

今日も頑張って30キロ完走。

今日はあまり風がなく、大変だったけど最後まで走り続けて感謝。



2024年9月12日木曜日

31キロ完走



 暗い街を走る。

20キロ先から次第に明るくなる。

太白大橋を走ると真っ赤な太陽が昇り始めた。今日という新しい日が始まる。

まだ水が足りない。

もう少し大き目の容量のステンレスボトルが欲しい。

無事に到着。31キロ。

今日も生きる。

精一杯に生きる。


2024年9月11日水曜日

中止せずやり続ける

 


希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。(ローマ書15:13

 


昨日の朝ランは33キロ完走。

今日は散歩の日なので大年寺階段から愛宕神社へ、それから広瀬川沿いを歩くと

例の白鳥に出会います。人々から見られないところへと移り、平和に過ごしています。

この暑さも次第に消えていき、確実に実りの秋へと向かっているのが分かります。自然の法則です。自然の法則を無理やりに変えようとした結果、今、人間は自然災害などの報いを受けています。後から気づいた一部の人々は元に戻そうと必死に頑張っていますが、元に戻すことは不可能であるのです。ただこれ以上悪くならないように頑張るしかないのです。あきらめずに頑張り続けてほしいです。

 


今日も猛暑日になると言います。毎日天気に敏感な人になりました。別に職業とは関係もないのに・・・・ニュースは見なくても、毎日天気予報だけはスマホで確認しています。第一はランニングのために、それから毛深い愛犬のために・・・・

 


100キロマラソンまであと12日。

 

500キロ祈りの旅まであと50日。

 


こうして次々と予定している出来事、自分一人だけのイベントのために頑張って生きています。あきらめずに毎日の日課をこなし、出来るだけ楽しく、仲良く、笑顔で・・・・・・

毎日、30キロ以上の朝ラン、掃除、20章の聖書朗読、料理、勉強、祈り、散歩、読書などやり続けることが生きるためのエネルギーとなっています。命がある限りやり続けるべし。今日も、そして明日も・・・・・

 

 

2024年9月9日月曜日

プラスαの人生

 


 

「さあ、我々は主のもとに帰ろう。主は我々を引き裂かれたが、いやし/我々を打たれたが、傷を包んでくださる。二日の後、主は我々を生かし/三日目に、立ち上がらせてくださる。我々は御前に生きる。我々は主を知ろう。主を知ることを追い求めよう。主は曙の光のように必ず現れ/降り注ぐ雨のように/大地を潤す春雨のように/我々を訪れてくださる。」(ホセア書6:1-3

 

今日は月曜日なのでランニングは休んで、大年寺階段トレーニング10回往復。

昼前には南署の人が教会の防犯カメラを見せてほしいということで来会、地域社会のためによく用いられているが、少し面倒なのが正直な気持ち。犠牲が必要である。昼過ぎには床屋、買い物、夕食はビビンバップを作って食べた。白ワインも。しばらくアルコールは終わりだ。

プラスαの人生を生きることが重要である。ありきたりの日々を送るのではなく、特別なイベントはないが、日々与えられる主なる神様の恵みを感じながら生きることである。それには主の約束の言葉を信じる信仰が必要である。希望である。死んでも生きるとの復活の希望である。我々は死に向かって行く人生ではなく、真の生に向かって行く人生である。このプラスαの人生があるために不安や恐れなしに生きることが出来る。そして明日を迎えることが出来る。感謝である。

2024年9月8日日曜日

走り続ける

イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。(ヘブライ13:8


 

今日は26キロ完走。

3時にランニングスタート。暗い道を切り開きながら走り続ける。最初の方は大変だったけど、なんとか頑張って走ることが出来て感謝。再び新しいランニングコースを考えながら走った。同じ道は走らないようにするための工夫が必要である。大丈夫でしょう。明日から。

 

今日は主の日である。

今日も変わらずに神様の栄光のために精一杯に生きることである。

礼拝の前の勉強会、礼拝、礼拝後には婦人会の例会である。すべてに感謝して行う。

今日も生きるのだ。感謝と喜びをもって生きることだ。ハレルヤ!!!

  

2024年9月7日土曜日

重荷を共に担う

 互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。



今日はランニング休みの日だ。その代わりに散歩7キロ。



白鳥を見に行った。静かなところに移り、平和に暮らしているように見えた。



速足で歩くと汗をかく。帰宅してシャワー。昨日と今日の朝は妻がバイトなので自分が洗濯をして

干した。なんでも出来るようになった。基本的なことは一人でもぱっちりだ。

今日も生きよう。どうせ生きるならば精一杯に生きることだ。さらに感謝と喜びと希望をもって生きることだ。感謝。






2024年9月6日金曜日

朝日は昇る

 あなたの仰せによりすがらせ/命を得させてください。わたしの望みを裏切らないでください。



今日も30キロ完走。感謝。



走り続け、生き続ける。最後まで自分の道を歩く続ける。



今日も、明日も・・・・




2024年9月5日木曜日

今日も走る

 


主の御名をわたしは呼ぶ。「どうか主よ、わたしの魂をお救いください。」

主は憐れみ深く、正義を行われる。わたしたちの神は情け深い。

哀れな人を守ってくださる主は/弱り果てたわたしを救ってくださる。

(詩編1164-6節)

 

321分にランニングスタート。いつも八木山動物公園の前で会う年配の方がいる。熊ベル、赤いランプ、リュックを背負って仙台城方面へと歩く方である。

この人だけと朝の挨拶を交わす。その後、しばらく歩く人は見かけない。まだ暗いからだ。涼しい風が吹いても汗はかく。走り続ける。

 

今日は途中、17キロ地点で、コースを変えて走り続けた。鈎取イオンの近くで名取川の方へ走った。セントケアー施設とパンセのパン屋さんがある方面である。栗木橋(?)という短い橋を渡って熊野神社(熊野新宮社)へ、そして名取川沿いを走って太白大橋を渡って名取川沿い、そして広瀬川沿いを走る。それから千代大橋を渡って川沿いを走ると30キロになる。それから走り続け広瀬橋を渡って帰宅した。疲れたけど31キロ完走。感謝。


 

今日と明日は暑くなると言う。それでも早朝は涼しい。感謝。

今日は久々に買い物を兼ねて市内へ。

今日も主のために、教会のために、家族のために、そして最後は自分のために精一杯に生きる。

 


今月のブログはこれで終了。

毎月1日から5日までにだけ更新することにした。時間がないので・・・

2024年9月4日水曜日

今日も楽しく生きる

 


久々に爽やかな風に吹かれながら気持ちよく走りました。だんだん明るくなる街を走り続けるのです。すると一人、二人と、人の姿も増えて挨拶を交わします。3時半からスタートすると人影もなく、静かでまだ暗い街ですが、夜明けと共に街は再び眠りからよみがえられ、活き活きとした街へと変えられます。今日はどんな一日になるのか?と考えながら走ります。

 


多くの場合。教会や教会員のことを祈りながら走る場合が多いですが、時間が過ぎて疲れが出ると考えが止まる場合があります。すると機械的に走り続けるだけのことになります。ただ音楽のリズムに合わせて走り続きます。25キロが過ぎるとそういう状態になります。でも冬場には最後まで祈り、考えながら走ることができます。これが自然の影響を受ける人間の姿です。


 

今日から祈祷会が再開しました。感謝。短い時間でも共に聖書を読み、共に心を合わせて賛美し、祈るのは大きな恵みです。

 


今日も与えられた新しい命に感謝しながら精一杯に生きることです。特別なことがなくても、自ら特別な事を考えて楽しく過ごすことも出来ると思います。相手がなくても別に一人でも出来ることはいっぱいあります。成り行きに任せず自ら行動して歩むことです。

2024年9月3日火曜日

皆が一つの心で

 


老人を叱ってはなりません。むしろ、自分の父親と思って諭しなさい。若い男は兄弟と思い、年老いた婦人は母親と思い、若い女性には常に清らかな心で姉妹と思って諭しなさい。身寄りのないやもめを大事にしてあげなさい。やもめに子や孫がいるならば、これらの者に、まず自分の家族を大切にし、親に恩返しをすることを学ばせるべきです。それは神に喜ばれることだからです。身寄りがなく独り暮らしのやもめは、神に希望を置き、昼も夜も願いと祈りを続けますが、放縦な生活をしているやもめは、生きていても死んでいるのと同然です。やもめたちが非難されたりしないように、次のことも命じなさい。自分の親族、特に家族の世話をしない者がいれば、その者は信仰を捨てたことになり、信者でない人にも劣っています。(テモテ一5:1-8

 

それぞれ自分の役割に充実すれば皆が幸せで、また笑顔で生きることが出来ると思います。特殊な場合があるかも知れませんが一般的にはそうです。父親は父親としての役割があり、母親は母親としての役割があります。また子どももそれぞれ役割があります。でも現代社会ではそういう個々の役割が複雑になり、区別がつかなくなりました。それでぶつかることが多くなっているのです。区別がつかないからです。間違ったら相手の責任だと考えるからです。しかしその原因はやはり愛の欠如です。自己主張ばかり言うからです。相手の話しに耳を傾けないからです。自分は正しいと思い込むからです。自分の過ちを素直に認めないからです。まず相手の立場を優先して考えることです。これが難しいです。というのは慣れてないからです。だから訓練が必要であるのです。失敗しても諦めずに相手の立場から考える習慣を身につけることです。結局それは自分のためになるのです。家族が平和になるからです。笑顔がみられるからです。

 


今朝、娘を送り時に、昨日バイト先から美味しい物いっぱい持ってきたから食べてね、と言われました。楽天のVIP室の喫茶でバイトをしています。仕事が終わるとVIP室のいろいろな店からの売り残りものをそれぞれ持たされて家に持って帰るようで、これまでもたくさん食べさせてもらいました。唐揚げ、たこ焼き、コーヒーなど・・・・、また長町駅の近くのそば&ラーメン屋でもバイトをしていて彼女なりに頑張っているようで親として感謝しています。時々東京にある大学に進学した高校の友だちの家に泊まりで出かけたり、コンサートに行ったり人生を楽しんでいるようで・・・そういう中でも信仰を大事にしているので一番の感謝ですね。何を重んじ、どのように生きるべきか、という人生の価値観と生き方が重要であるからです。そういうことは心配せず、任せな!と言われます。先月運転免許を取ったので土日は運転練習も積極的に行っている姿を見て逞しいと思っているところです。12月には一人で韓国旅行も行くことになり、(僕の実家には行かず)新しいことに挑戦しつつ前に前に進んでいくことを応援しつつ祈っていきたいと思います。

 

12時過ぎに大年寺階段10回往復トレーニングもクリア。感謝。

 

今日も最後まで主の栄光のために精一杯に生きるべし。

牧師の日課

 

主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください。朝ごとに、わたしは御前に訴え出て/あなたを仰ぎ望みます。(詩編5:4

 


2時起床。今日も新しい命が与えられました。当たり前のことではなく、神様の恵みです。生きなさい、と言われます。昨日のためではなく、明日のためでもなく、ただ今日のために与えられた命です。まず会堂で祈りをささげ、それから自分の周りの掃除を行い、ノアちゃんの散歩。今日は段ボールと古本を出す日ですが、昨夜、大量の本と段ボールを出したので今日は気軽く朝の日課に従って進みました。最初に仙台に来たときに持っていた本をこの7年間半分は捨てたと思います。これからも捨て続け、最終的には100冊だけを残す予定です。できるだけ身を軽くして動くときが来たら素早く荷物をまとめて離れる準備を日頃から行っています。まだまだ捨てるべき物はいっぱいありますが、未練があってなかなか捨てきれないらしく、僕とは正反対の性格の家族がいるために自分の思う通りには行かないですね。これもよしと考えます。

 


3時半にランニングスタート。教会から走り出し、城南高校へ向かい、八木山動物公園を通り、日赤病院の前を走って、八木山南小学校前を通り、ひより台大橋を渡って、太白小学校、太白第二橋(ここまで12キロ)でユーターンして太白区自然観察の森へ、またユーターンして山田へ、鈎取イオンスーパーの前を通り、笊川、富沢駅、名取川、広瀬川沿いを走って最後は宮沢橋を渡って286号線を走って帰宅すると30キロ。今日は30.86キロでした。途中、中にある住宅街を走るのでこの距離になりますね。

 


教会に着くと、まずもみの木の水やりを行います。それからシャワー、朝食でプロティンパウダー40gとミルク400mlとバナナ、中より小さいトマト1個を食べます。そして今日のランニングデータを記録し、それから礼拝堂にある3台の除湿機タンクの水を捨てる作業をし、ノアちゃんのところの階段とロッカーの掃除を行い、朝の日記を書き、聖書を20章音読で読みます。聖書朗読の間に、二階から連絡があったら娘を駅まで車で送ります。745分頃かな。このわずかな510分の時間が娘との二人だけの会話の時間となりますので大事な時としています。帰ってきてまた聖書読み。毎週火曜日は妻の教区の仕事のために9時半頃に車で送ります。そして帰りに買い物。帰宅して説教準備など。こうして午前の時間が過ぎ去ります。12頃ランチを食べて夕食の料理を考えます。ほぼ毎日自分で料理をしていますので買い物も全部自分が行っています。ランチの後は大年寺階段でのトレーニングを行います。約1時間で10回往復します。今月の100キロのウルトラマラソンの挑戦のためのトレーニングでもありますが・・・・まだ内証ですが・・・・頑張ってクリアしたいと思います。前回60キロは二回完走しましたが、100キロはどうでしょう?・・・とにかく頑張るしかないと思います。新たな挑戦も楽しみですので。

 


午後はいろいろな勉強と読書などで時間を費やしています。それから2030分には就寝。起きるのは1時半。自分にとって毎日の日課は新鮮ですね。命がある限り精一杯に生きるべし。できるだけ楽しく、希望をもって生きています。

これもすべては主なる神様の栄光のために・・・これが一番大事な点です。

だから余計な時間を作らない方ですね。そういう時間もないし、本当に限られた時間の中で精一杯に生きるためです。そのために外部での集いにも出かけないほうですね。自分にとって一年の中で本当に休息の時となるのは11月に行う3週間のスペインのサンティアゴの祈りの旅の時だけですね。今年は500キロを祈りながら歩く旅となります。まだ公にはしていませんが、長老さんだけが知っていることです。

 


今日も与えられた命、時間、場所で精一杯に生きることです。主の栄光のために、そして家族や人々のために、そして自分のためにも・・・・



2024年9月2日月曜日

共に苦しむ


イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「群衆がかわいそうだ(Compassion)。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない。(マタイ15:32)

 

1952年の冬、朝鮮戦争の真っ最中、連合軍として参戦していたアメリカ兵士たちを慰め、励ますために韓国を訪問していたエボレット・スワンソン牧師は寒いある日の未明ごろ道を歩いていました。すると何人かの人がボロボロになっている袋を何回か足で蹴ってトラックに積んでいる姿が見えました。近くに行って見るとその袋から子供のような手が飛び出ていました。驚いた彼は急いでその袋を確認してみると飢えと寒さで夕べ死んだ子供たちの遺体であることが分かりました。


 ゴミ収集のようなトラックは死んだ人々を集めるトラックだったのです。ショックを受けたスワンソン牧師は帰国の飛行機の中で神様からその死んで行く子供たちのためにあなたが出来ることは何か?と言われた気がしました。その後、彼はアメリカの全国を飛び回りながら戦争の中で病と飢えで死んで行く韓国の子供たちの悲惨な状況を伝えながらまた自分が体験したその出来事を訴えながら後援者を募りました。

 


彼の祈りながらの訴えに多くの教会、人々が耳を傾け、献金を献げてくれました。そこで出来たのがCompassion Internationalでした。1954年、韓国で孤児院を設立し、救援活動を行っていたスワンソン牧師は多くの子供たちに対して衣食住だけの支援だけでは足りないと考えるようになりました。それはキリストの愛をもっていつも祈り、支えてくれる一人の、一つの家庭の、あるいは一つの教会の暖かい愛でありました。つまり、11の関係をもつ里親のシステムが必要であると感じたのであります。

 


1993年までの41年間、アメリカと世界の多くの国々からの援助を受けて韓国では約10万人の子供たちが援助を受け、元気に成長することができました。今はその恩返しのために200311月に韓国コンパッションが設立され、世界の子供たちのためにキリストの名によって支援活動を行っています。何よりもこの団体はそれぞれの国、地域の教会と連携して支援活動を行っているのです。ほとんどが教会学校に通っている子供たちです。つまり、ただパンと水だけを渡すのではなく、永遠の命であるキリストの言葉と永遠に渇かない命の水が大事だと教えながら日常生活に必要な部分の支援を行っています。

 


現在、コンパッションは世界11ヵ国に支部を置いて主に医療、教育、救済などを行っています。何よりも里親システムを用いて活動を行い、多くのスポンサーを求めているのです。その活動は四つの基準を(Compassion 4Cs)もとにしています。1、キリストを中心とする活動を行うこと。2、地域教会をベースに子供たちを養育すること。3、子供を対象に活動を行うこと。4、財政が透明性であること。これらの信念をもとにして活動を行っています。

 


「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

シャワーラン

  あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。(マルコ 13 : 37 )   今日は雨の中を走り続けた。シャワーラン。 22 キロ完走。 雨にぬれてもまだ気持ち良い時期である。 これが一気に寒く感じるようになる。 それを常に意識...