朝の麻婆豆腐と冷たい水 ―― 「何でもない日常」を照らす、静かなる愛と恩寵
空白の時間を満たす、いつもの足音
足の治療のため、長年の習慣であったランニングを完全に休んでいる今週。走らない分、さぞかし朝の時間に「ゆとり」が生まれるだろうと想像していました。しかし、いざ蓋を開けてみると、現実はそうでもないことに気がつきました。
夜中に仕事をして2時ごろに二度寝し、5時に起床する。そこから始まるのは、愛犬ノアちゃんとの散歩であり、心静かな祈りの時間です。
この雨と梅雨の時期、約2ヶ月間だけの限定された仕事として、会堂に置かれた3つの除湿器の水タンクを空にして回ります。その後は、階段に落ちたノアちゃんの抜け毛の掃除をして、彼の朝ごはんを用意する。そして家族と自分のためには、台所に立って「肉野菜炒め」と「麻婆豆腐」を作りました。朝から麻婆豆腐?(25年前のからの自分流のレシピで、一般的なマーボー豆腐作りに加えて卵ととろけるチーズを混ぜる)と笑われるかもしれませんが、どうしても自分が食べたかったからです。
それから聖書を開き、御言葉に触れる。走る時間がすっぽりと抜けても、日常は決して空白にはならず、生活の確かな営みによって豊かに満たされていくのです。
冷水のリハビリと、湯けむりの中の共同体
その後、娘を駅まで車で送り、その足で真っ直ぐ名取の「極楽湯」へと向かいました。足の指の痛みを和らげるため、冷水で患部を冷やすリハビリを兼ねての朝風呂です。
朝の湯船には、いつも同じ顔ぶれの方々がいらっしゃいます。ご年配の彼らにとって、このお風呂の時間は単に体を温めるだけでなく、顔を合わせ、言葉を交わし合う「楽しい集いの場」なのです。
冷たい水に足指を浸し、その痛みが少しずつ引いていくのを感じながら、湯けむりの向こうで交わされる彼らの穏やかな笑い声を聞いていると、ふと心が解きほぐされていくのが分かりました。
私たちの人生を支えているのは、決して特別なイベントや劇的な出来事だけではありません。毎朝同じ場所で交わされる挨拶や、痛みを和らげるためのささやかな工夫といった、名もなき時間の積み重ねの中にこそ、本当の癒やしが隠されているのです。
支え合う食卓と、喜びの源泉
午前中は妻を仙台まで送り、帰りにロピアで買い物を済ませました。 今日と明日、厳しい実習に立ち向かっている娘と、懸命に働く妻。彼女たちのために、私は今日も腕を振るって料理を作ります。それは、私にとって「いつものこと」です。
除湿器の水を捨て、抜け毛を掃き、家族を車で送り、食事を作る。 客観的に見れば、特別なことは何一つない、平凡な一日かもしれません。しかし、こういった日頃の地道な歩みを通してこそ、心の底から「感謝と喜び」、そして「生きる力」が静かに、力強く湧き上がってくるのを感じます。
そこには、ひとつの普遍的な真理があります。
- 誰かのために働き、汗を流すことができるという喜び。
- その働きに感謝して、また自分の場所で頑張ってくれる家族の存在。
私たちが生きる力は、決して自分の内側だけで完結するものではありません。互いの労苦を思いやり、支え合い、感謝し合うその「関係性」の中に、神様は生きるためのエネルギーを注ぎ込んでくださるのです。
今日という、かけがえのない日常へ
今日、あなたがため息をつきながら行ったかもしれない「いつもの家事」や「いつもの仕事」は、決して無意味な繰り返しの作業ではありません。
それは、あなたが誰かを愛し、誰かに愛されているという確かな証明であり、あなたの人生を前へと進める尊い原動力です。自分の周りにある当たり前の日常を見渡し、そこにいる大切な人たちの顔を思い浮かべてみてください。ただそれだけで、足の痛みを抱えながらでも、私たちはまた歩き出すことができます。
昼も、共に前進です。
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