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2026年8月1日土曜日

古いシューズ

 


穴の開いたシューズと雨の夜:すべてのものに用意された「道」

日付が変わろうとする少し前、暗闇の中でノアの散歩を終えました。 眠そうな顔をしながら階段を降りてきたノアと共に歩いた、夜の道。肌に触れるか触れないかというほどの小雨が静かに降る中、無事に散歩を終えて帰宅できたことに、深い安堵と感謝が胸に広がります。明日は一日中、雨の予報が出ています。こちらの梅雨明けは、まだまだ先のようです。

 

役目を終えたはずの靴が教えてくれること

玄関でふと、自分のランニングシューズに目を落としました。 共に長い距離を走り抜いてきたその靴は、あちこちに穴が開き、すっかりすり減っています。すでに新しいシューズは手元に買ってあるのですが、いつ切り替えるかは未定のままでした。

通常であれば、穴の開いた古い靴は「役目を終えた」と見なされ、捨てられる運命にあります。しかし、雨の中で走る「シャワーラン」のことを考えた時、ふと一つの思いが過りました。 水たまりを蹴り、泥を跳ね上げて走る雨の日には、傷を気にする必要のない、この穴の開いた古いシューズこそが最適なのではないか、と。

だから私は、捨てるのをやめました。 雨の日は古いシューズで、晴れの日は新しいシューズで走る。そう決めた時、私の中に静かな気づきが生まれました。

古いからといって、ただ捨てればいいというものではない。よくよく考えてみれば、どんなものにも案外「ふさわしい出番」があり、それぞれに生かされる「道」が必ず用意されているのです。

 

すり減ったからこそ、歩める道がある

この古いシューズの姿は、私たちの人生の歩みそのものに重なります。

効率や新しさがもてはやされる時代の中で、私たちは歳を重ねることや、傷ついて心に「穴」が開くことを恐れます。失敗を重ねてすり減ってしまった自分は、もう社会の中で「出番」がないのではないかと、ひそかに怯えることがあります。

しかし、神様のまなざしは全く異なります。聖書はこう語りかけます。 「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」(コヘレトの言葉 3:11)

神様は、私たちのすり減った心や、傷だらけの過去を「古いから」といって決して見捨てたりはなさいません。むしろ、その心の「穴」があるからこそ、同じように人生の雨の中で泣いている誰かの痛みを理解し、共に泥だらけになって歩くことができるのです。

完璧で新しい靴には晴れの日の道が用意されているように、傷つき、すり減った靴には、雨の日という特別な使命が用意されています。私たち一人ひとりの命にも、その傷跡にしか果たせない尊い「出番」が、必ず用意されているのです。

 

静かな夜のリズムの中で

深夜の静寂の中、雨音を聞きながら、これからしばらく仕事に向かおうと思います。そして、一区切りついたら「二度寝」の心地よい眠りにつくつもりです。 そんな風に、自分の心と身体のリズムに合わせて時を過ごすことも、神様が許してくださった恵みの一つだといつも感じています。使い込まれた靴が、静かに雨の日の出番を待っているように。 私たちもまた、自分の置かれた場所で、自分にしか歩めない今日という日の道を、大切に踏みしめていきたいと思います。

明日も、共に前進です。

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