2025年9月30日火曜日

9月最後の日に、秋の風を感じながら

 


9月最後の日に、秋の風を感じながら

 

フルマラソンを走った後は、数日〜数週間の休養を取るべきだと言われます。確かに、多くのランナーにとって適切なアドバイスでしょう。
しかし、私の場合、それはあまり当てはまりません。決して自分の体力に自信があるわけでも、うぬぼれているわけでもありません。ただ、ランニングは私にとって「日課」の一部であり、生活のリズムを支える柱だからです。

だから今朝も、走りました。距離は23キロ。



フルマラソンからわずか数日後でも、日課を崩さないために走るのです。朝の空気は澄み渡り、秋の気配がほんのりと漂い始めていました。呼吸をする度に、季節の香りが胸いっぱいに広がります。

今日は西公園を通り、国宝・大崎八幡宮の周辺を走って帰ってきました。愛宕橋では、見慣れたハクチョウたちが元気そうに泳いでいました。あの子たちは少しずつ身体が大きくなっています。

ここ仙台で暮らして3年。人も生き物も、時とともに成長し、やがて衰えていく。それは自然の法則であり、人が避けることのできない宿命です。

しかし、その宿命の中にも救いの光があります。

イエス・キリストの十字架の死と復活によって、救いへの扉は開かれました。ただし、それは信じて受け入れる者にのみ与えられる恵み。この条件は、逆説的ながら公平なのです。




サンティアゴ巡礼へ向けて

今日は9月最後の日。
あと1か月で、私の「サンティアゴ・デ・コンポステーラ祈りの旅」が始まります。旅の準備はこれから本格化しますが、この巡礼は、今の生活から離れ、完全に一人で過ごせる唯一の時間になるでしょう。


人生の中で、こうした孤独と向き合う時期は大切だと思います。そしてその時間は、おそらく私自身を内側から作り変えてくれるはずです。

今日も、最後まで生きることに力を注ぎます。
ランニングも、祈りも、日々を支える大切な営みとして。



 

2025年9月28日日曜日

秋の朝、神様からの特別な食卓

 


秋の朝、神様からの特別な食卓

どこまでも澄み渡る青空が広がった、気持ちの良い朝。こんな日は、じっとしていられません。私は、いつもの散歩道、255階段を上って大年寺山公園へと足を運びました。

 


公園をゆっくりと一周すると、そこには息をのむような秋の絶景が広がっていました。木々の葉は燃えるような赤や鮮やかな黄色に染まり、柔らかな秋の光を浴びてキラキラと輝いています。足元に目をやれば、色とりどりの落ち葉がふかふかの絨毯のように道を覆い、歩くたびに心地よい音を立てます。

 


この美しい景色、そして胸いっぱいに吸い込む美味しい朝の空気は、まさに「天からの食卓」です。早起きをして、自分の足でこの場所に来たからこそ味わえる、神様からの特別な贈り物。


 

そう、私たちの人生において、すべてが自動で動くことなどありません。外へ出かけるためのちょっとしたきっかけ、心のときめき、そして一歩踏み出す行動があって初めて、私たちはこのような素晴らしい恵みに出会うことができるのです。

 


災害のような特別な事情がない限り、朝の散歩に出て「来なければよかった」と後悔することは決してありません。むしろ、「ああ、本当に来てよかった」と、心からそう思うのです。自然の美しさを五感で感じ、この時期ならではの優しい朝の光を全身で浴びることは、私たちの心と体を健やかにし、生きる力を与えてくれます。これもまた、神様からの豊かな恵みの一つなのです。

 


そして、今日は主の日の礼拝。この素晴らしい朝を与えてくださった主を、心からの讃美をもって礼拝します。会堂には、同じ信仰を持つ兄弟姉妹が集います。私たちは、人生の最後まで共に信仰を守り抜き、励まし合う「神の家族」です。私たちには、目指すべき同じ故郷があります。それは、天にある永遠の故郷。

 


今日も、明日も、そしてその先も。私たちは、その天の故郷を目指して、これからも共に歩んでいきます。この揺るぎない希望と、与えられたすべての恵みに、心から感謝して。



 

2025年9月27日土曜日

42.33キロ完走-4時間

 

何でもない一日を、心震える「特別な一日」に変える力

9月最後の土曜日。カレンダーには何の印もなかったけれど、僕は心の中でそっと、この日を「特別な一日」にしようと決めました。本当は、ゆっくり体を休めようと思っていたんです。でも、夜明け前の静けさの中で目覚めた時、ふと、そんな衝動に駆られました。そして、午前6時。僕は走り出していました。

 


向かうは、久々の海沿いの道。秋の空気はどこまでも澄み渡り、快晴の空の下、キラキラと輝く水面が僕を招いていました。道には、すでにサイクリングを楽しむ多くの人々の姿。彼らのペダルを漕ぐ力強いリズム、弾けるような笑顔、そして風を切る音。それはまるで、僕の背中を押してくれる優しい追い風のようでした。彼らの勢いを借りるように、僕もまた、一歩、また一歩と足を動かし続けました。

気づけば、走り出してかなりの時間が経っていました。
そして、42.33キロ。そう、それはまさにフルマラソンと呼べる距離でした。

 


水筒も持たずに出た、見切り発車のランニング。当然、喉はカラカラです。28キロ地点でようやく見つけたコンビニは、まるで砂漠のオアシスでした。ポカリスエットを喉が鳴るほど飲み干し、再び前へと進みます。30キロを過ぎた頃には、また喉の渇きが襲ってきましたが、不思議と心は折れませんでした。次のコンビニを目指し、もう一本ドリンクを一気飲み。体は疲れていても、心が沸き立つような高揚感に包まれていました。

そして、無事に教会へとたどり着いた時、全身を巡るのは、深い疲労感と同時に、得も言われぬ達成感と喜びでした。特別な日ではなかったはずの9月最後の土曜日が、僕にとって忘れられない「フルマラソン完走の日」になったのです。

 


今日という日は、この奮闘した体を労わるリカバリーに努めます。そして明日。心身ともに整えて、礼拝へと向かう予定です。神聖な場所で、今日のこの感謝と喜びを深く味わい、明日への活力を得たいと思います。

 


小さな選択が、大きな喜びに繋がる

僕がこの日、走り出すことを選んだように、私たちの日常は小さな選択の連続です。時には「もう一歩」を踏み出す勇気が、時には「休息する」という賢明な判断が、私たちの人生を豊かに彩っていきます。

このブログを読んでくださっているあなたも、きっと日々、様々なことに立ち向かい、奮闘されていることと思います。

「特別な日ではないから」と片付けがちな毎日の中に、実は無限の可能性が秘められています。

  • 今日を「特別な一日」にするのは、あなた自身の心持ち一つです。
  • 誰かの笑顔や頑張りが、あなたの力になることがあります。
  • 困難に直面しても、諦めずに探し続ければ、必ず「オアシス」は見つかります。
  • そして、自分の限界を超えた時、得られる喜びは、何物にも代えがたいものです。

あなたの中にも、まだ見ぬ「走り出す力」が眠っているかもしれません。
何でもない一日を、あなただけの「心震える一日」に変える勇気と、その先にある喜びを見つける力を、僕は信じています。


さあ、今日も明日も、あなたの人生という素晴らしい道のりを、力強く歩んでいきましょう。どんな日も、きっと素晴らしい一日になるはずです。

フォームの始まり

 

2025年9月26日金曜日

走りながら気づいた「今」の力

 


走りながら気づいた「今」の力

朝の太白山で学んだ、柔軟性と現在に集中することの大切さ


予定変更という小さな贈り物

今日もまた二度寝から始まった朝。4時頃に目覚めて、いつものようにランニングの準備を整えた。

太白山自然観察の森の中を気持ちよく走っていると、娘からLINEが届いた。「今日はいつもより20分早く出ます」という連絡だった。

30キロのロングランを予定していたが、急遽コースを変更。近道を選んで時間前に帰宅できた。感謝。

 


経験という名の羅針盤

道が分かり、自分の走るペースが分かれば、いくらでも調節ができる。

この当たり前のように思える事実に、今朝は深く感動した。これは長い時間をかけて積み重ねた経験による学びの賜物だ。

10年前の自分なら、予定変更にパニックになっていたかもしれない。でも今は、瞬時に距離を計算し、ペースを調整し、最適なルートを選択できる。

これは人生の多くの場面に通じることではないだろうか。

「今日だけ」という魔法の言葉

天気予報では今日は真夏日になるという。でも「今日だけ」だと聞けば、それほど負担にならない。

先が見えることの二面性を改めて考えてみた。

先が見えることの良い面

  • 計画を立てられる
  • 心の準備ができる
  • ゴールが明確になる

先が見えることの辛い面

  • プレッシャーを感じる
  • 長い道のりに絶望する
  • 今この瞬間を見失う

時には、先が見えないからこそ今を頑張って生きられることもある。明日のことを知らないからこそ、今日という日に全力で向き合える。

 


占い師が失職しない理由

それにもかかわらず、人は先のことが気になって仕方がない。だから占い師という職業が古代から現代まで続いているのだろう。

私たちは皆、未来への不安を抱えている:

  • 仕事はうまくいくだろうか
  • 健康は大丈夫だろうか
  • 家族との関係は続くだろうか
  • 老後の生活は安泰だろうか

でも太白山の森を走りながら気づいたのは、大事なのは先のことではなく、今だということだった。

 


「今」に集中する力

今をどう生きるかによって、先のことが気にならなくなる。

今朝のランニングがそれを教えてくれた。コース変更を強いられた瞬間、私は未来の心配をやめて、今この瞬間の判断に集中した。

  • 今の自分の位置はどこか
  • 今の時刻は何時か
  • 今できる最善の選択は何か

その結果、問題は解決され、予定通り娘を送ることができた。

手の届く範囲での誠実さ

手に届かない先のことは先に任せて、今、自分ができる範囲の中で誠実に、悔いのないように生きる。

これが今朝の太白山からの贈り物だった。

私たちにできることは:

  • 今日の仕事を丁寧にすること
  • 今日出会う人に親切にすること
  • 今日の体を大切にすること
  • 今日の時間を意味深く使うこと
  • 今日の祈りを心を込めてすること

森から学んだ人生哲学

太白山の森は、いつも私に大切なことを教えてくれる。

今朝学んだのは:

  1. 柔軟性の価値:予定変更に対応できる準備と心構え
  2. 経験の力:積み重ねた知恵が瞬時の判断を支える
  3. 現在集中:今この瞬間に全力を注ぐことの大切さ

今日という贈り物

今日は真夏日かもしれない。でも「今日だけ」だ。
今日は予定が変わるかもしれない。でも柔軟に対応できる。
今日は思い通りにいかないことがあるかもしれない。でも今できることに集中しよう。

今日という日は、二度と返ってこない贈り物だから。


太白山自然観察の森での朝ランを通じて、改めて「今を生きる」ことの大切さを教えられた一日の始まりでした。

走る牧師の朝の黙想より




「明日のことは明日が心配します。一日の労苦は、その日だけで十分です。」
マタイによる福音書 634

この古い知恵が、今朝の太白山の森で新しい響きを持って心に届きました。

 

2025年9月25日木曜日

残り7日間、あなたは何をしますか?

 


残り7日間、あなたは何をしますか?

もし、今日から数えて人生があと7日だけ残されているとしたらあなたは何をしますか?
旅行に出かけますか?愛する人に会いに行きますか?やり残した夢を追いかけますか?

私はきっと、今の生活を大きく変えることはしないでしょう。
むしろ、いつもの一日を、もっと丁寧に、もっと感謝を込めて過ごすだけだと思います。


私の「残り7日間」

日曜 ─ ノアとの散歩、自分の散歩、家を整える掃除、聖書を読み、皆と礼拝に与り、み言葉を語る。
神の前に立ち、心を静める時間を何より大切にしたいのです。

月曜 ─ ノアとの散歩、30キロ朝ラン、掃除、ブログ、娘を駅まで送り、聖書読み。昼には妻と八木山へ向かい、買い物と料理。小さな営みが愛おしい。

火曜 ─ ノアとの散歩、30キロ朝ラン、掃除、ブログ、娘を駅へ送り、聖書読み、妻をエマオへ送り、ロピアで買い物、料理。
すべての移動や家事も、命あるうちにできる喜びです。

水曜 ─ ノアとの散歩、ゆっくり自分の散歩、掃除、ブログ、娘を駅へ送り、聖書読み、祈祷会、妻を八木山へ送り、料理。
静かな祈りとともに一日を締める。

木曜 ─ ノアとの散歩、30キロ朝ラン、掃除、ブログ、娘を駅へ送り、聖書読み、勉強、仕事。
学びは人生の最後まで続けたいと願います。

金曜 ─ ノアとの散歩、30キロ朝ラン、掃除、洗濯、ブログ、娘を駅へ送り、聖書読み、勉強、仕事。
清潔な服と整った部屋で過ごす最終日までの日々。

土曜 ─ ノアとの散歩、自分の散歩、掃除、洗濯、ブログ、聖書読み、勉強そして最期を迎える。
その日がどんな形で訪れても、心を神へ向けたまま眠るように旅立ちたい。




変わらない日常にこそある意味

特別な計画や華やかなイベントを入れるつもりはありません。
なぜなら、日々の小さな営みの中に、すでに十分な意味と喜びがあるからです。

聖書を読み、祈りを捧げ、愛する人と過ごし、ノアとの散歩で季節の空気を感じる。
それらすべては、命の源である神とつながる瞬間です。

「意味ある人生」とは、必ずしも大きな目標や功績を指すのではなく、創造主に心を向けた歩みを続けることだと信じています。残り7日間であっても、その歩みは変わらないでしょう。




あなたの「残り7日間」は?

もし、あと7日だけだとしたら
何を優先し、誰と過ごし、どんな心でその時を迎えるでしょうか。

私の答えは「いつもの日常を、感謝を込めて」。
あなたの答えは何ですか?

 

深夜のチーズケーキと人生の意味を考えた一日


 

深夜のチーズケーキと人生の意味を考えた一日

 

夜更けの小さな幸せ

昨夜23時頃、完全に目が覚めてしまった。いつものことだ。「また睡眠障害か」と思う人もいるだろうが、私はこれを「二度寝ができる幸せな時間」と呼んでいる。

すぐに仕事に取り掛かる。集中できる深夜の時間は、実は私にとって貴重な宝物だ。日付が変わる頃、ふと昨日作ったチーズケーキのことを思い出した。無性に食べたくなって、そっと二階に上がり、冷蔵庫から二切れを持ってきた。

コーヒーを淹れて、静寂の中でいただく深夜のチーズケーキ。なんという贅沢だろう。

二階にいるノアちゃん(我が家の愛犬)が不思議そうな顔でこちらを見ている。「まだ散歩の時間じゃないのに、なぜ起きているの?」とでも言いたげだ。申し訳ない気持ちになって、きゅうり半分をあげた。ノアちゃんは嬉しそうにポリポリと食べてくれた。

 


料理という創造の喜び

昼頃、コテージパイを作った。イギリスの家庭料理で、ひき肉と野菜の上にマッシュポテトをのせてオーブンで焼いたものだ。心温まる味に仕上がった。

夕方には初挑戦のヨーグルトケーキも作った。しっとりとした食感と爽やかな酸味が絶妙で、これは間違いなく「レギュラー入り」だ。

我が家では、美味しくできた料理は「レギュラーレシピ」として殿堂入りする。今日は二品も新たに加わった記念すべき日となった。



日常の中の小さな光

日々の生活の中で、心から楽しいと感じる瞬間がある:

  • 朝のランニングで迎える日の出
  • 説教準備での聖書との対話
  • 教会新報の記事を書く時間
  • このブログを更新する今この瞬間
  • 料理をしている時の集中感
  • ノアちゃんとの散歩道での発見
  • 大切な人への手紙を書く静かな時間

もちろん、嫌な時間もある。会議とか...(笑)

でも大切なのは、これらの小さな喜びを見つけられる心なのかもしれない。

 


楽しさを超えた「意味」を求めて

最近よく考えることがある。人生において大事なのは、「楽しい人生」を追求することよりも、「意味ある人生」を追い求めることではないだろうか。

「人生の意味」は人それぞれ異なる。でも私たち人間の存在を真に理解する鍵は、人間と世界を創造された創造主の言葉の中にあると信じている。

人間の知恵だけでは、その真実にたどり着くことはできない。だからこそ聖書が、人生の真の意味に答えられる唯一のものだと思う。ただ、それを受け入れる人と拒む人がいるだけだ。

押し付けるつもりはない。ただ、深夜のチーズケーキを味わいながら、そんなことを静かに考えている牧師がここにいる、ということだけお伝えしたい。

 


再び訪れる夜

20時前に就寝。そして2220分、またしても目が覚めた。

「睡眠障害」と呼ぶ人もいるだろう。でも私は「二度寝ができる幸せな時間」と呼び続けたい。

しばらく仕事をして、また眠りにつこう。明日もまた、小さな発見と感謝に満ちた一日が待っている。


深夜の静寂の中で、今日という日に感謝を込めて

牧師の日常ブログより

 

なぜ、否定や批判で不愉快になり、腹が立つのか?

 


なぜ、否定や批判で不愉快になり、腹が立つのか?

 

怒りやすい者の友になるな。激しやすい者と交わるな。

彼らの道に親しんで/あなたの魂を罠に落としてはならない。(箴言2224- 25節)

 

これらの感情は、一言で言えば**「自分を守るための、極めて自然な防衛反応」**です。人間が生物として生き延び、社会的な動物として集団の中で生きていくために、心に組み込まれた警報システムのようなものです。

その警報が鳴る主な理由を3つに分けてみましょう。

1. 脳の「戦うか、逃げるか」反応(Fight-or-Flight Response

私たちの脳の奥深くには、危険を察知する「扁桃体(へんとうたい)」という部分があります。大昔、人間が猛獣などの物理的な危険に囲まれていた時代、この扁桃体は「敵だ!」と瞬時に判断し、心拍数を上げ、筋肉を緊張させ、全身を「戦う」か「逃げる」かの準備状態にさせる役割を担っていました。

現代では、猛獣に襲われることは稀ですが、言葉による否定や批判が「社会的な死」や「集団からの追放」を連想させるため、脳はこれを原始的な危険と同じように認識します。 その結果、アドレナリンが分泌され、心と体は臨戦態勢に入ります。この「戦う」という選択が現れたのが「怒り」や「反論」なのです。

 

2. 自尊心(自己肯定感)という心の柱が揺らぐから

私たちは誰でも、「自分は価値がある存在だ」「自分は正しい」という感覚(自尊心)を心の支えにして生きています。これは、自分の存在を安定させるための、いわば精神的な背骨です。

否定や批判は、この背骨を直接揺さぶる行為です。「あなたの考えは間違っている」「あなたのやり方はダメだ」と言われることは、「あなたという存在には価値がない」というメッセージとして受け取られがちです。心の最も大切な部分が攻撃されたと感じるため、痛みや不快感を覚え、それを守るために「そんなことはない!」と怒りの鎧をまとって反撃するのです。

 

3. 「正義感」や「期待」が裏切られるから

人にはそれぞれ「こうあるべきだ」という正義感や、「人から不当に扱われるべきではない」という期待があります。

  • 理不尽さへの怒り: 批判が不当であったり、誤解に基づいていた場合、「なぜ正しく評価してくれないんだ」という理不尽さへの怒りが湧きます。
  • 敬意の欠如への怒り: たとえ批判内容が正しくても、その伝え方が高圧的であったり、見下すような態度であったりすると、「なぜ敬意を払ってくれないんだ」という怒りになります。

つまり、**否定や批判そのものだけでなく、その背景にある「不当性」や「無礼さ」**に対しても、私たちは強く腹を立てるのです。


心穏やかに、平安でいるための秘訣

怒らないようにしよう、と感情を無理に抑え込むのは逆効果です。感情は自然な反応なので、まずは「ああ、今自分は防衛反応が起きているな」と客観的に受け止めることが第一歩です。その上で、心の平安を保つための具体的な秘訣をいくつかご紹介します。

1. 6秒ルール」を実践する

怒りのピークは、長くても6秒程度と言われています。批判されてカッとなったら、心の中でゆっくり6秒数えてみてください。 深呼吸しながら数えるとさらに効果的です。これだけで、脳の原始的な反応(扁桃体)から、理性的な判断(前頭前野)へと主導権を移す時間が稼げます。この6秒が、反射的な反論や怒りの言葉を、冷静な対応に変えるための魔法の時間となります。

2. 「課題の分離」を心の中で行う

これは心理学者アドラーの考え方で、非常に強力な心のツールです。
相手があなたをどう評価し、何を言ってくるか、それは**「相手の課題」です。相手の価値観や気分、状況によって決まることであり、あなたがコントロールできるものではありません。
一方で、その批判を受けてあなたがどう考え、どう行動するか、それは
「あなたの課題」**です。

「この人は、何か理由があって私を批判しているんだな。それはあの人の課題。さて、私はこの意見から何か学ぶべき点はあるだろうか? それとも聞き流すべきだろうか?」

このように、相手の感情や言葉と、自分の反応を心の中で切り離すことで、相手の土俵に引きずり込まれず、冷静さを保つことができます。

3. 「事実」と「解釈」を分ける

批判された時、私たちは「事実」とその言葉に対する自分の「解釈」をごちゃ混ぜにしてしまいがちです。

  • 事実: 「この資料、誤字が多いね」
  • 解釈: (だからお前は仕事ができないダメな奴だ、と馬鹿にされた!)

腹が立つのは、多くの場合、後者のネガティブな「解釈」が原因です。
ここで一度立ち止まり、「言われたのは『誤字が多い』という事実だけだな。バカにされたというのは、自分の思い込みかもしれない」と考えてみましょう。そして、「事実」だけに焦点を当てて、「本当ですね、ご指摘ありがとうございます。修正します」と対応するのです。これにより、感情的なダメージを大きく減らすことができます。

4. 自分の中に「安全な場所」を持つ

他人の評価は、天気のように変わりやすく、コントロール不可能です。そんな移ろいやすいものに自分の心の安定を委ねるのは、とても危険なことです。

  • 自分自身が、自分の最大の味方でいること。「自分は完璧ではないけれど、一生懸命やっている」「失敗もするけど、そこから学べる」と、日頃から自分を認めてあげる習慣を持ちましょう。
  • 評価される場面以外の世界を持つこと。 趣味、家族や友人との時間、好きな音楽を聴く、自然に触れるなど、仕事や特定の人間関係とは別の「心の安全基地」を大切にしてください。そこでのあなたは、誰からも評価されず、ただ安心していられます。

この「安全な場所」が心の中にあると、外で嵐(批判)が吹いても、「まあ、あそこは嵐だけど、私の心は大丈夫」と思えるようになります。


まとめとして

怒りや不快感は、あなたを守ろうとする忠実な番犬のようなものです。吠えたからといって、すぐに追い出したり、罰したりする必要はありません。「そうかそうか、危険を知らせてくれたんだな、ありがとう」と心の中で声をかけ、その上で「でも大丈夫、危険じゃないよ」と優しくなだめてあげる。

この**「自分自身の感情との対話」**こそが、緩やかに、平安でいるための最も深い秘訣です。

いきなり全てを実践するのは難しいかもしれませんが、「6秒数える」ことからでも試してみてください。少しずつ、あなたの心は、他人の言葉に揺らがない、穏やかで広い海のような強さを手に入れていくはずです。

 

2025年9月24日水曜日

走れる幸福を胸に──286号線から荒浜まで、32.49kmの旅

 


走れる幸福を胸に──286号線から荒浜まで、32.49kmの旅

 


午後3時過ぎ。
ノアちゃんと散歩をして、ゴミを出し、一息つこうかと思ったその瞬間──やはり今日も走りに出ることにした。



向かったのは、国道286号線沿いを走り、西高校バス停前へ抜け、日本赤十字病院、八木山動物公園、そして仙台城の中を駆け抜ける。いつも思うがここからの夜景の写真は格別に美しい。さらに仙台駅、新寺町、荒浜方面へと足を進める。最後は名取川沿い、広瀬川沿いを経て、広瀬橋から教会へ。



GPS
が示した距離は32.49キロ。昨日の36キロに続き、2日続けてのロングラン。走れることに、心から感謝する。「走る範囲が半端ない」そう言われることもあるが、まだまだ走りたい道はたくさんある。

 


例年、10月から翌年4月までは、月に1本のフルマラソンを走る。今年もその時期が近づいてきた。走る喜び、走れる幸福──そこには苦しみも、痛みもある。それらすべてを受け入れ、ただ前に進み続ける。ただ走るだけでは意味がない。自分のランニングは大切な祈りの時である。これが最も大事なことである。

 


走り終えた今日は祈祷会の日。
昼は妻を八木山まで送り、少し買い物をして帰る予定。夕方にはチーズケーキを焼く。
明日はウォーキングの日だ。走りたい気持ちはあるけれど、体が許してくれないだろう。
だからこそ、明日は本当にリカバリーの一日にする。



今日も走れたこと、その道のりで出会った景色と感覚──忘れたくない一日となった。感謝。

 


2025年9月23日火曜日

36kmの朝ラン、そして人生の「なぜ?」を問う秋分の日

 


36kmの朝ラン、そして人生の「なぜ?」を問う秋分の日

秋分の日、皆さまいかがお過ごしでしょうか。私にとっての今日は、いつもより少し特別な一日となりました。朝から36kmのランニングを敢行。走り終えた後の達成感は格別ですが、体は正直なもので、ロボットでない限り、人間にはしっかりとした回復時間が必要です。

 


身体と心のジレンマ

しかし、ここに一つのジレンマが生まれます。体の声を聞き、休むべきだと頭では理解しているのに、心が「まだいける」「もっと動きたい」と囁くのです。私の場合は、心が体を引っ張っていくことが多く、つい無理をしてしまいがち。その結果、どこかしらに不調をきたすなんて経験は、きっと私だけではないでしょう。自分の意志だけでその衝動をコントロールするのは案外難しいものです。まるで強制的なストッパーがないと、走り続けてしまうような感覚。

 


だからこそ、冷静に考える時間が必要でした。明日はランニングではなく、大年寺階段を使ったトレーニングとウォーキングに切り替える。約1時間の適度な運動で、心身のリカバリーを図る、という計画を立てました。

問題はこの計画を私が守れるかどうか、ですね(笑)。きっと明日、走り出したくなる衝動に駆られるかもしれません。よくあるパターンです。

 


人生の「主人公」と「エキストラ」

でも、実はこの「明日走るか走らないか」は、私にとってそれほど重要なことではありません。もっと大切なのは、

  • 何のために走るのか?
  • 何のために食べるのか?
  • 何のために生きるのか?

という、人生の根本的な問いに明白に答えることができるかどうか、です。これこそが、人生において最も肝心なことだと私は考えています。そして、その答えを見つけることができたら、あとはその答えに従って生きるだけ。

幸いなことに、私はこの肝心な問いの答えを見つけ出し、その通りに生きるために日々努力しています。だから、ランニングをすること、家の掃除をすること、料理をすること、あるいは「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」への祈りの旅を計画すること。これらすべては、私の人生の「肝心な柱」を支えるための働きであり、「エキストラ」に過ぎません。

 


エキストラが主人公になってしまったら、その舞台は台無しになってしまうでしょう。大切なのは、主人公がより良い演技をするために、エキストラがそれぞれの役割を果たすこと。私の人生の主人公は、明確な「なぜ?」を持っているからこそ、日々の些細な活動も意味を持ち、輝きを放つのです。

 


今日の感謝

さて、今日は秋分の日らしい心地よい風が吹き、とても気持ちの良い一日となりました。あまりに気持ち良くて眠気が襲ってきて、それを追い出すために何度も掃除をしてしまいました。愛犬のノアは、頻繁に掃除をする私を見て「また始まった」と言いたげな、呆れたような顔をしていましたが(笑)。

今日も、こうして生きていることに心から感謝します。
主のために、家族のために、教会のために、そして自分のためにも
明日もまた、私の人生の「なぜ?」を胸に、一歩を踏み出していきたいと思います。

昨日は夕方、出かける前にラザニアを作りました。二人も美味しいと言われた満足!!!