2024年12月31日火曜日

平和と自由

 2024年最後のコラムとなりました。今年も広瀬川には、一羽の白鳥が静かに佇んでいます。この白鳥は、ここ2年間ずっと川に留まり続けており、他の白鳥たちと群れることなく、ひとりで過ごす姿がよく見られます。その姿は、まるで「孤独島」で日々を送っているようにも見えます。



しかし、ふと考えました。それは私たち人間の偏見に過ぎないのではないか、と。外から見れば、ひとりでいる白鳥の姿は寂しげに映るかもしれません。でも、もしかしたら本人(白鳥)は、自由で気楽な日々を楽しんでいるのかもしれません。この小さな島は、孤独の象徴ではなく、平和と自由の象徴なのかもしれません。私たちが「孤独」と感じるのは、あくまで人間の勝手な思い込みに過ぎないのではないでしょうか。

この白鳥の姿を見ていると、私たちが日々抱える偏見や先入観について考えさせられます。私たちの社会には、今もなお偏見や差別が根強く残っています。人種、性別、年齢、価値観、さまざまな違いがある中で、私たちはしばしば他者を「自分とは違う」と線引きし、そこに偏見を持ち込んでしまいます。その結果、孤立する人々や、誤解される存在が生まれてしまうのです。

2025年には、少しでも偏見や差別の少ない世界になってほしいと願っています。人々が互いの違いを受け入れ、尊重し合える社会が実現すれば、どれほど素晴らしいことでしょう。しかし、現実はそう簡単ではありません。偏見や差別を完全になくすことは難しいかもしれません。それでも、私たち一人ひとりがその現実に向き合い、小さな一歩を踏み出すことが大切です。

広瀬川の白鳥が教えてくれるのは、孤独に見える状況の中にも自由や平和があるかもしれないということ。そして、私たちが持つ偏見や先入観を手放すことで、新たな視点や気づきを得られるということです。2025年が、少しでも多くの人が互いを理解し、受け入れ合える年となることを祈りつつ、この一年を締めくくりたいと思います。

ある白鳥一家の物語

 


昨日取った写真を見ながら物語を書いてみました。川を湖に変えました。・・・・

始まり始まり・・・・

 

この写真に写っている白鳥の家族は、湖の静かな水面を優雅に泳いでいます。彼らは「スワンレイク一家」と呼ばれ、湖の住人たちに親しまれています。

 

家族構成

父親のアルバート: 一番前を泳いでいるのが父親のアルバートです。彼は家族を守る頼もしいリーダーで、いつも周囲を警戒しながら家族を導いています。

 

母親のグレース: アルバートの隣にいるのが母親のグレースです。彼女は優雅で穏やかな性格で、子供たちに愛情深く接しています。

 

長男のチャーリー: グレースのすぐ後ろにいるのが長男のチャーリーです。彼は冒険心旺盛で、いつも新しいことに興味を持っています。

 

次男のオリバー: チャーリーの隣にいるのが次男のオリバーです。彼は少し内気ですが、家族思いで、特に妹たちを大切にしています。

 

長女のルーシー: オリバーの後ろにいるのが長女のルーシーです。彼女は賢く、家族の中で一番のしっかり者です。

 

次女のエミリー: ルーシーの隣にいるのが次女のエミリーです。彼女は好奇心旺盛で、いつも新しい発見を楽しんでいます。

 

末っ子のベンジャミン: 一番後ろにいるのが末っ子のベンジャミンです。彼はまだ幼く、家族の後を一生懸命追いかけています。

 

白鳥一家の物語

ある日、スワンレイク一家は湖の向こう岸にある「秘密の島」を探検することにしました。この島には、伝説の「黄金の羽」が隠されていると言われています。家族は協力して島を探し始めました。

 

チャーリーは先頭に立って、茂みの中を探検しました。オリバーは少し怖がりながらも、兄をサポートします。ルーシーは地図を見ながら、家族を正しい方向に導きました。エミリーは新しい植物や昆虫を見つけては、興奮して家族に見せます。ベンジャミンは、みんなの後をついていくのに必死です。

 

ついに、家族は大きな木の下で「黄金の羽」を見つけました。それは、太陽の光を浴びてキラキラと輝いていました。家族はこの発見を祝福し、湖に戻ると、他の白鳥たちにこの冒険の話をしました。

 

この冒険を通じて、スワンレイク一家はさらに絆を深め、湖の伝説に新たなページを加えたのでした。

大事なのは自分の考えである

 


健康のための秘訣

健康を維持するためには、次の四つのポイントが重要だと言われています。

 

よく食べること

よく寝ること

よく運動すること

ストレスを受けないこと

しかし、これらの項目にはそれぞれ説明が必要です。

 

1. よく食べること

健康的な食卓を整え、栄養バランスを考えることが求められます。どのような食材を選び、どのように調理するかが、健康に大きな影響を与えます。

 

2. よく寝ること

では、どのくらいの時間寝れば良いのでしょうか?質の良い睡眠を得るためには、寝る環境や習慣も重要です。

 

3. よく運動すること

週に何回、1日何分の運動が効果的なのか、またどのような運動が自分に合っているのかを見極めることが大切です。

 

4. ストレスを受けないこと

ストレスを軽減するための方法については、専門家の意見が多くありますが、実践するのは簡単ではありません。

 

このように、健康を維持するための仕組みは、今の社会に浸透している普遍的な姿です。一言で言えば、複雑で面倒くさいものです。

 

人々が求めているのは、シンプルな生き方です。簡単に栄養を取り、健康な生活を送りたい。手軽にできる運動を探し求めています。

 

しかし、ストレスを受けないことや、良い睡眠を確保することは、そう簡単ではありません。努力すれば改善されるかもしれませんが、相当な時間がかかるでしょう。これもまた面倒に感じることがあります。

 

だからこそ、深く考えず、悩まず、無理をせず、ありのままシンプルに生きることが大切です。「自分さえ問題でなければそれでよし」と考えるのも一つの方法ですが、もし「これでは良くない」と感じるのであれば、変えるべきです。どんなに大きな犠牲が伴おうとも、自分が良くないと思うことを変える勇気を持つことが重要です。

 

大事なのは、自分自身の考えです。自分の健康や幸せを真剣に考え、シンプルでありながらも充実した生き方を追求していきましょう。私たちの人生は、シンプルであることが、時に最も豊かな選択肢となるのです。

信仰と祈りの旅

 


Walking the Northern Way: A Journey of Faith and Prayer

北の道を歩く:信仰と祈りの旅(2016年)

 

北の道の概要

「さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。」(マタイ4:1)この言葉は、私たちが信仰の旅を歩む際の導きと試練を象徴しています。今回、私が最初に歩く道は「北の道」です。スペインのイルンからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの約814.7kmの海岸沿いの道であり、Camino del Norteと呼ばれています。この道は、フランス国境のイルンを出発点として、ビルバオ、サンタンデール、ヒホンを経て、リバデオから内陸部へ入る約32の区間から成り立っています。

 

北の道の特徴と歴史

北の道は、カンタブリア海に沿って美しい景観を楽しむことができる巡礼路です。標高差は200300mで、一日の標高差が最も大きい道となっています。スペイン北部の気候は、メキシコ湾流の影響を受けて比較的温暖で、降水量が多いのが特徴です。特にビルバオでは、年間の雨天日数が45%を占め、11月が最も降水量が多い時期です。

 

サンティアゴ巡礼の歴史は814年に遡ります。使徒サンティアゴの墓が発見され、アストゥリア王国のアルフォンソ二世が初めて訪れたことから始まります。この巡礼路は、オビエドから内陸部を通り、フランス人の道のメリデへ至る道であるCamino Primitivo(プリミティボの道)と呼ばれています。北の道は、ヒホン手前のビジャビシオサから分岐し、沿岸部を経由する巡礼路はCamino de la Costa(海岸の道)とも呼ばれています。

 

中世には、イスラム勢力の侵攻により南部を通ることが危険だったため、多くの巡礼者がこの北の道を利用しました。そのため、北の道はフランス人の道に次ぐ人気を誇る素晴らしい巡礼路となっています。

 

信仰の旅としての意味

今回、私は初めて「北の道」と「銀の道」を合わせて約1800kmの祈りの旅を歩いています。おそらくこのコラムが読まれている頃、私は「北の道」での祈りの旅を終え、「銀の道」を歩いていることでしょう。初めての経験や道は不安を伴いますが、信仰生活と同じように、見えない未来を主の御手に委ねて歩むことで、不安が平和や信頼へと変わっていくと信じています。

 

体が丈夫だから歩けるわけではありません。3回目のサンティアゴの祈りの旅ですが、ますます主を信じるようになり、信仰が強められる旅です。この旅を通じて、神との交わりが深まり、信仰の成長を実感できることを期待しています。私たちの信仰の旅は、常に主の導きの中で進んでいくものです。

2024年12月30日月曜日

普通に生きる人生

2024年も残すところあと2日。

しかし、変わるものはほとんどない。

ただ、カレンダーの数字が一つ進むだけだ。

生き方が劇的に変わるわけでもなく、人生が突然好転するわけでもない。

 

それでも、多くの人は小さな期待やささやかな希望を胸に、新しい年を迎えようとする。

せめて家族が平穏で健康であること、仕事が大きな問題なく順調に進むことを願う。




誰もが大金持ちになりたいわけでも、オリンピックに出場するような才能を求めているわけでもない。

人々の注目を浴びるような人気者になりたいわけでもない。

ただ、耐えられる程度の小さな苦労なら受け入れ、できるだけ苦しみの少ない、平凡な日々を送りたいと願うだけだ。

 

実際、多くの人がそう思いながら生きている。

しかし、この世には、そんなささやかな願いさえも贅沢だと言い放ち、それを奪おうとする悪しき者たちがいる。

平凡な暮らしを壊し、小さな希望すらも踏みにじろうとする者たちが。

 

それでも、怯えて生きるわけにはいかない。

どんなに大きな苦しみが襲ってきても、逃げずに立ち続ける。

自分の道を歩み続ける。命がある限り、諦めずに生きる。

今日も、明日も、そしてその次の日も。

与えられた道を一歩ずつ進んでいく。

 

欲張らず、妬まず、憎まず、怒らず。

すべてに感謝し、家族を愛し、周りの人々に笑顔で接し、親切に生きる。

それが「普通の人」の生き方だ。

特別な人になろうとする必要はない。

今あるものに満足し、感謝して生きることが大切だ。

結局、最後にはすべてを手放していくのだから。

 

今日は早朝にサラミチョコレートを作り、その後20キロを走り切った。

帰宅してからはチキン料理とツナキムチ炒めを作った。

こうして今日も生きる。

家族のために、周りの人々のために祈り続ける自分にも感謝して。

 




平凡であることの尊さを噛みしめながら、また一日を歩んでいく。


慰めよ


大惨事が起きると、速報が流れ、死者の数が報じられます。事故の原因を探る報道機関の憶測が飛び交い、多くのデマが広がります。専門家による事故分析が行われ、犠牲者一人ひとりの物語が語られます。補償問題が浮上し、遺族の怒りが報じられる――そして、時が過ぎると、次第に話題は消えていきます。残されるのは、遺族の深い悲しみと無念だけです。これが、この世で起きる大きな事故や事件に対する一連の流れであり、罪に満ちた世界の現実です。

 

しかし、イエス・キリストの神様は、この世の人々の関心とは全く異なるところに立っておられます。神様は、遺族の痛みと悲しみに寄り添い、涙を流しながら、その傷が癒えるまで決して側を離れることなく、いつまでも共にいてくださるお方です。

・・・・

 

突然の悲劇により、愛する家族を失うという現実は、言葉では表しきれないほどの痛みと悲しみをもたらします。飛行機事故という予期せぬ出来事で、大切な人を失った遺族の方々の心の中には、深い喪失感と絶望が渦巻いていることでしょう。そのような状況の中で、私たちは何を語り、どのように寄り添うことができるのでしょうか。

 

聖書の中には、悲しみの中にある人々に向けられた神の言葉が記されています。イザヤ書401節には、こうあります。

 

「慰めよ、わたしの民を慰めよ、とあなたがたの神は仰せられる。」(イザヤ書40:1

 

この言葉は、バビロン捕囚という苦難の中にあったイスラエルの民に向けられたものでした。彼らは故郷を失い、希望を見失い、深い悲しみの中にいました。しかし、神はそのような彼らに「慰めよ」と語りかけられます。この「慰めよ」という言葉には、単なる励まし以上の意味があります。それは、神ご自身が悲しみの中にある人々に寄り添い、彼らの痛みを知り、共に歩まれるという約束です。

 

また、新約聖書には、主イエスがラザロの死を悲しむ人々と共に涙を流された場面があります。

 

「イエスは涙を流された。」(ヨハネ11:35

 

この短い一節は、イエスが私たちの悲しみをどれほど深く理解しておられるかを示しています。イエスは神の御子でありながら、人間としての感情を持ち、私たちと同じように涙を流されました。ラザロの死を悲しむマルタとマリア、そして周囲の人々の痛みを見て、イエスはその悲しみに心を動かされ、共に涙を流されたのです。

 

愛する家族を失った悲しみは、簡単に癒えるものではありません。時間が経っても、心の中にぽっかりと空いた穴は埋まらないかもしれません。しかし、神はその悲しみを無視されることはありません。むしろ、神はその悲しみの中に深く入り込み、私たちと共に涙を流し、慰めを与えてくださるお方です。

 

悲しみの中にあるあなたへ、神の「慰めよ」という言葉が届きますように。そして、涙を流された主イエスが、あなたの心の痛みを知り、共に歩んでくださることを覚えてください。神の慰めは、私たちの理解を超えた深い愛と平安をもたらします。その愛が、少しずつでもあなたの心を癒し、希望を取り戻す助けとなりますように。

 

最後に、詩篇3418節の言葉を贈ります。

 

「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。」

 

あなたの悲しみの中に、主が共におられることを信じて。

 


思い出



The Journey of Faith: Walking the 1853.8 km Pilgrimage to Santiago

3度目の信仰の旅:1853.8kmのサンティアゴ巡礼(2016)

 

サンティアゴ巡礼の意義

「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。」この言葉は、サンティアゴ巡礼の旅において、私たちが直面する不安や試練を乗り越える力を与えてくれます。1000年以上の歴史を持つサンティアゴ巡礼の道は、毎年世界中から多くの人々を惹きつけています。昨年の統計によると、262,458人がこの道を歩き、その中でも「フランス人の道」が最も人気で、172,244人が歩きました。日本からも1,197人がこの巡礼に参加しましたが、多くの人が途中から歩き始めるのが一般的です。

 


巡礼の道とその計画

私の今回の旅は、前半が海岸沿いの「北の道」を約853.8km、後半が「銀の道」と呼ばれる約1000kmを歩く計画です。合計1853.8km44日間で歩く予定で、毎日40km以上の距離を進むことになります。これまでの巡礼でも厳しい道のりを経験してきましたが、今回も新たな挑戦となります。特に不安を感じる部分もありますが、全てを主の御手に委ね、祈りの旅を続けたいと思います。

 


旅程は、今日の午後4時に関空を出発し、上海を経由してパリへ向かいます。パリからは高速列車でスペインのイルン駅へ移動し、そこで一泊した後、11日から本格的に巡礼を開始します。通常、イルンからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの853.8km34日間で歩く距離ですが、私は約20日間でこの道を歩く予定です。また、サンティアゴ・デ・コンポステーラからセビージャまでの「銀の道」1000kmも約24日間で歩く計画です。この道は古代ローマの道であり、今もローマの遺跡が点在しています。

 


試練の先にある恵み

この旅は厳しい祈りの旅となるでしょうが、油断せず、緊張感を持って日程を守りながら進めていきます。実際に歩いてみないと分からないことも多いですが、主の恵みが待っていると信じています。聖書は、苦難と試練の後に恵みがあることを教えています。「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」という神様の約束を心に留め、旅を続けていきたいと思います。

 


この巡礼の旅は、単なる肉体的な挑戦ではなく、信仰を深めるための重要な機会です。試練を通じて得られる成長と恵みを期待しながら、歩みを進めていきます。 

2024年12月29日日曜日

今年最後の礼拝

 


2024年最後の主の日を迎えて

 

今日は、2024年最後の主の日の礼拝を無事に終えることができ、心から感謝しています。

礼拝後、教会の外に飾られていたクリスマスツリーを、教会員のお二人が一生懸命片付けてくださいました。その姿に深く感謝し、主の愛を感じるひとときでした。

 

年末の我が家は特別なこともなく、静かに過ぎていきます。

子どもは年末年始もアルバイトに励み、頑張っています。

私はといえば、変わらずランニングに時間を費やし、2040キロの距離を走る日々。さらに、エッセイ集やコラム集の執筆に取り組みつつ、何よりも大切な教会の働きに励んでいます。唯一の「休息」といえるのは、年に一度の三週間のサンティアゴ巡礼の旅。それ以外の時間は、ほとんど仕事に費やしています。おそらく、この働きは死ぬまで続けることになるでしょう。しかし、それもまた感謝して受け入れるべき使命だと感じています。

 

命の重みと生きる意味

 

年末年始には、どうか大きな事故や事件が起こらないようにと祈っていましたが、韓国での飛行機事故のニュースが飛び込んできました。この地球上では、今も誰かが生まれ、誰かが命を終えています。命はこうして受け継がれていきますが、私たちにとって本当に大切なのは、「どのように生きるべきか」を知り、それを実践することではないでしょうか。

 

しかし、その「生き方」を学ぶ場は学校ではありません。真の生き方を教える教師は、親であるべきです。親は、言葉だけでなく、自らの生き方や日々の態度、姿勢を通して子どもに教えなければなりません。それは、世界で最も重い責任を伴う教師の役割です。もし親がその役割を果たすことができれば、子どもは本当に幸せな人生を歩むことができるでしょう。

 

親は誰よりも子どもの幸せを願っています。しかし、その願いが、自分の日々の悪い態度や姿勢によって壊されてしまうことに気づかないこともあります。ここで大切なのは、「正しい生き方」を諦めないことです。たとえ昨日、子どもにみっともない姿を見せてしまったとしても、今日から態度を改めれば良いのです。

 

昨日の鎖を断ち切り、前へ進む

 

悪魔はいつも、私たちを昨日の失敗に縛りつけようとします。過去の心配や後悔に目を向けさせ、昨日の失敗を今日まで引きずらせようとするのです。その策略に負けてしまうと、私たちは前に進むことができません。だからこそ、昨日の鎖を断ち切り、前進することが必要です。主は、前に進もうとする者を必ず助けてくださいます。

 

「兄弟たちよ、私は自分がすでにそれを得たとは思っていません。ただ、この一事をしています。すなわち、後ろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばしつつ、神がキリスト・イエスにおいて上に召してくださるという賞を得るために、目標を目ざしてひたすら走っているのです。」(フィリピ人への手紙 3:13-14

 

2025年には、嫌な思いや感情を持ち越さず、それらを燃やして灰にし、空に飛ばしてしまいましょう。キリスト教では、イエス・キリストの助けを受けて心から悔い改めることを大切にしています。主は、心からの悔い改めを快く受け入れ、新たな心を与えてくださるお方です。

 

信じて実行する者こそが、真の勝者となるのです。

新しい年を迎えるにあたり、主の導きと祝福が皆さんの上に豊かにありますように。

2024年12月28日土曜日

『冬の一日 ~走る・祈る・暮らす~』

 


凍てつく夜空の下、愛犬ノアちゃんとの深夜の散歩から今日は始まりました。街灯に照らされた道路には、うっすらと霜が降りていて、ノアちゃんの吐く息が白く輝いています。散歩の帰り道、週末恒例のゴミ出しも済ませ、静かな夜の時間を過ごしました。

 

朝は仙台へ向かい、必要な買い物を済ませました。街はお正月を控えて賑わっており、年末の慌ただしさを肌で感じます。

 

午後からは、20キロのランへ。冷たい空気が肺に染み渡りますが、体が温まってくると心地よい疾走感を味わえます。ランニングは、私にとって祈りの時間でもあります。一歩一歩を刻みながら、明日の礼拝のメッセージについても思いを巡らせました。

 


汗を流した後は、溜まっていたメールの返信作業。そして、いよいよ明日は2024年最後の礼拝です。一年の締めくくりとなる大切な集いの準備に、心を込めて向き合いました。

 

寒さが増す季節ですが、日々の営みの中に確かな恵みを感じる一日となりました。明日は、教会の皆さんと共に、感謝を持って礼拝を守りたいと思います。

 

今宵も、ノアちゃんの寝息を聞きながら、穏やかな気持ちで一日を終えることができそうです。

 

#日々の暮らし #ランニング #教会生活 #愛犬との暮らし #冬の風景

心の豊かな人生を生きる

 


The True Wealth: Storing Treasures in Heaven

真の富:天に宝を積む

富とその影響

「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。」(マタイ6:19-20)金銭の問題は、この世で生きている限り避けられないテーマです。もちろん、死ぬまで困ることなく十分に生活できる貯金があれば話は別ですが、多くの人々は金銭の問題で苦しみ、悩み、時には争いや犯罪にまで発展することがあります。聖書には金銭についての教えが多く記されています。それは、金銭が私たちの人生に大きな影響を与えるからです。主イエスは、私たちに地上ではなく天に富を積むように教えています。地上に富を積むことは、神とは無関係な自己中心的な消費を意味します。

 

地上の富の危険性

地上に積む富には、二つの大きな危険があります。一つは、虫や錆による内的な危険、もう一つは盗人による外的な危険です。これらの危険性を警告した主イエスは、私たちがそれらの危険から守られるための安全な方法を示しています。それが「富は天に積みなさい」という教えです。では、どうすれば私たちの富を天に積むことができるのでしょうか?それは、神の御心に沿った健全な消費生活を送ることです。私たちが富を目的ではなく手段として用い、神の国と神の義を追い求めて生きることが求められています。

 

その中でも、最も確かな方法は「弱者を憐れむこと」です。持っている富を使って貧しい人々を助け、分け与えることです。この行為は、神様に貸すことになると聖書は教えています。神様の代わりに施しを行い、その報いは神様から受けるという意味です。

 

心の開きと真の祝福

もちろん、報いのために弱者を憐れみ、施しを行うのではありません。しかし、神様はその行為を借りだと見て、報いてくださるのです。弱者を憐れみ、分け与え、助けることは、私たちに富があるかどうかの問題ではありません。重要なのは、私たちの心が弱者に対していつも開かれているかどうかです。

これは言い換えれば、神様に対して心が開かれているかどうかの問題でもあります。神様に心を開いている人は、自然と弱者にも心を開くことができるのです。そして、あれこれ考え込まず、迷わずにすぐに助けることができるのです。最後に、本当に祝福される人生とは、弱者を憐れみ、持っているわずかな富でもその人々のために用いることです。逆に、最後まで富を握りしめている人は、不幸な人生を送ることになります。それは、私たちに命を与える神様に対して心を閉ざした愚かな人だからです。

 

天に宝を積む生き方

私たちが真の富を得るためには、神の御心に従い、弱者を助けることが不可欠です。富を天に積む生き方を選び、神様に心を開いて生きることで、私たちの人生はより豊かで意味のあるものとなります。私たちの行動が、周りの人々に真の救いをもたらすことを願いながら、日々を歩んでいきましょう。

 

2024年12月25日水曜日

生きることです。

 


街の表情が少しずつ変わっていきます。華やかなクリスマスツリーは姿を消し、新年を迎える準備が着々と進んでいます。これほどまでに急激に街の様子が変わるのは、おそらく日本特有の文化なのかもしれません。長年日本で暮らしていると、このような季節の移ろいへの違和感も薄れ、むしろ自然な流れとして受け入れられるようになりました。今では、変化のないことの方が不思議に感じられるほどです。

 

今日も昼前に20キロのランニングを行いました。サンティアゴ巡礼の前に達成していた30キロ以上の距離まではまだ道のりがありますが、焦らず、体調を見ながら少しずつ距離を伸ばしていこうと思います。

 

明日は娘が帰省します。午前中に到着するので、迎えに行く予定です。年末年始はアルバイトで忙しい様子。この時期は特別に時給も上がるということで、シフトを入れてもらったそうです。自分の道を一生懸命に歩んでいる姿を見るのは嬉しいものです。

 

先日、教会員ではありませんが、以前からキリスト教式の葬儀を希望されていた方のご家族から連絡がありました。年末に式を執り行う可能性が高いとのことで、現在葬儀説教の準備を進めています。その葬儀のプログラムや様々な準備で慌ただしい日々が続きますが、これもまた与えられた務めとして感謝して取り組んでいきたいと思います。

 

来年の完成を目指して、「365サンティアゴ祈りの旅」のエッセイ集と365日分のコラム作成に多くの時間を注いでいます。希望、勇気、痛み、忍耐、愛、平和などをテーマに、日々の糧となるような文章を紡いでいます。読者の方々が毎日一篇ずつ読み進められるような構成を心がけています。

 

こうして振り返ると、今日も精一杯生きることができたと実感します。命のある限り、主のために、人々のために、この歩みを続けていきたいと思います。

 

時には疲れを感じることもありますが、日々の営みの中に小さな喜びと感謝を見出しながら、一歩一歩前に進んでいきたいと思います。明日もまた、新たな恵みの一日が始まります。

2024年12月24日火曜日

娘の一人旅

 

以前、ロンドン・タイムズがロンドン市民を対象に「人が最も幸せに感じる瞬間はどんな時ですか?」というアンケートを行いました。その結果、1位から4位までの回答が雑誌に掲載されました。以下はその内容です。

 

4

子どもが海岸で砂のお城を完成させて喜ぶ姿。

 

3

汗をかきながら素敵な家具を作り上げ、満足そうに口笛を吹く大工さんの姿。

 

2

難しい手術を終え、一人の命を救った医師の姿。

 

1

お風呂から上がったばかりの赤ちゃんの体を、優しくタオルで拭いてあげているお母さんの姿。

 


これらの結果から分かるのは、「今この瞬間」を大切にし、自分の役割や仕事に専念している姿が、人にとって幸せに映るということです。

幸せとは、特別な何かを待ち望むものではなく、目の前の時間を精一杯生きる中にあるのかもしれません。

 


午前中は娘を空港まで見送りました。一人でソウル旅です。心配するのはいつも妻で・・・・

ママは心配性だからな!といつも娘に言われますが、それが母親ですね。

でも娘は、大丈夫だよ!わたしにはパパの血がつながっているから・・・心配なし!!!

僕は心の中で娘に語り掛ける。救急車に乗ることはないようにな!!!

 

とにかく無事に着いたようで感謝。

一緒に走る仲間

  白く染まった道が、どこまでも続いている。冷たい空気が頬を刺すけれど、空は澄み渡り、遠くの橋が朝陽を浴びて輝いている。僕は今日も走る。この道を、そして自分自身の人生を。   僕にはいつも一緒に走る仲間がいる。それは僕の影だ。時には右側で、時には前を走り、まるで「頑張れ」...