2023年3月31日金曜日

幸せなメガネ

 


は言われた。「わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」(出33:19

 And he said, I will make all my goodness pass before thee, and I will proclaim the name of the LORD before thee; and will be gracious to whom I will be gracious, and will shew mercy on whom I will shew mercy.Exodus 33:19

 Und er sprach: Ich will vor deinem Angesicht alle meine Güte vorübergehen lassen und will ausrufen des HERRN Namen vor dir. Wem ich aber gnädig bin, dem bin ich gnädig; und wes ich mich erbarme, des erbarme ich mich.2 MOSE 33:19

 


331日金曜日。

3月最後の日であり、2022年度の最後のでもある。こうして一年の歩みが終わろうとする。

終わりがあり、始まりがある。こうして時は過ぎ去り、また時はやって来る。人はこの時の間に生きる存在である。しかしこの時が取り去られる時、人はもはや存在しなくなる。金持ちも、貧乏人も、健康な人も、病気の人も、大人も、子供も皆同じ運命にさらされている。

その意味でも与えられている時をどうのように用いるかが重要である。24時間、という時を、ある意味、命と言えるものをどのように使うか?が人生を決めるポイントとなる。

 


誕生と死の間にある「時」をどのようにして生きるか?誰のために、何のために生きるか?が最も重要なことである。これについてはある意味、キリスト者はその目的がはっきりしているので迷わずに前に進めることができる。しかし多くの人は人生の意味、その目的が分からず迷いながら生きている。ある意味、自分探しのために多くの時間を費やして歩んでいる。

 

面倒くさい事は考えずに、ただ生きれば良いと言う人もいる。その通りである。生きれば良いのだ。ただどのように生きるかは考えるべきである。できれば楽しく、幸せに、さらに言うならば周りの人々と仲良く、共に喜びながら平和に生きることを願う。もちろん思う通りにならない場合がある。それでも諦めずにそれを目指して生きるべきである。そしてそのためには自分が行うべきこと、譲るべきこと、忍耐すべき事、待つべき事などが必要であることを心に留めながら生きることが大事である。

 

GOOD DAYは自然にやってくるのではなく、自分が造り上げることである。良い日を造り上げるためには工夫が必要であり、様々な努力も必要である。今日の日がGOOD DAYとなるかは90%は自分にかかっている。今日のすべての事柄を、出来事を、人とのかかわりを良い眼鏡をかけて見るとすべてが良いように見えるのである。悪いことも、不愉快なことも良いように見える不思議なメガネを自分がもっていることを忘れずに今日の一日を良い眼鏡をかけて生きることである。すべての事柄に対して自分がどのように受け入れるか、どのように考えるかによってその結果は天国と地獄になる。今日も生きる。楽しく、ポジティブな考え方をもって生きる。どうでも良い事に対して苛立たず、怒らず、憎まず、妬まず、欲張らず今を感謝して生きるべし。今日も幸せな一日でありますように。

2023年3月29日水曜日

タイヤ交換

 今日はYMCA長町保育園の卒園礼拝を教会で行う。初めてである。感謝。

今朝は年間行事の一つであるタイヤ交換を行った。(腰が痛い)外の仕事や用事は午前9時前に済まして外出は控えている。花粉症対策。数年前から薬も飲まず、病院も行かず自分が出来る対策を講じてこの時期を過ごしている。体質を改善して免疫力を高めることは試みている。主に食事の内容と運動であるが諦めずにやり続ける。


サンティアゴ祈りの旅も慣れたせいか向こうでの出来事などで思案に暮れたり、思い込んだり、未練がましいことはいっさいない。今を精一杯に生きることである。

楽しい人生は自然にやってくるものではない。心を新たにして観点を換えると、そして努力をすると楽しい人生を生きることが出来るようになる。つまり、楽しい人生は自分次第である。常に新しい事に挑戦し、日ごろの歩みと今に満足し、感謝して生きることである。それにプラスして新しい風を吹き入れる事である。そのためには心の壁に穴をあけるか、少し低くする必要がある。

今日もせっかく与えられた新しい命を、時間を、環境を無駄にせず、精一杯に用いて楽しく生きるべし。

卒園礼拝

 


聖書:イザヤ書4110

恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。

勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支える。

私たちは恐れを感じる、不安な気持ちになる時があります。これは子供の皆さんも、大人も同じです。恐れを感じない人は一人もいません。しかしそういう時が長くなるか、短くなるかが問題です。出来れば短くなり、すぐに不安な気持ちが消え去ることを私たちは願います。皆さんが不安を感じた時はどういう時ですか?一人だけいる時にそういう気持ちになる時があります。また、今まで慣れていた保育園から離れて小学生になって新しい学校での生活を考えると少し不安な気持ちになります。初めての場所に行くと不安になります。でもよく考えれば、皆さんが保育園に初めて入った時にもそういう不安な気持ちはあったと思います。

 


しかしいつの間にか、保育園が楽しい場となりました。友だちも出来て、先生たちにも出会ってそれまでの不安な気持ちがどこかへ去っていくのです。ですからこれからも心配することはありません。何よりも、誰よりも皆さんを守ってくださる神様がいるからです。今日の聖書では、恐れる事はない、と神様がおっしゃいました。これはここにいる皆さんにも語るお言葉です。なぜ恐れる事はないか、なぜ心配しなくて良いのか、というと、皆さんは光の子であるからです。光があるところには暗闇は消え去ります。逃げて行くのです。その光はイエス様です。私たちを愛し、大切にして下さるイエス様が共にいるから心配することはありません。イエス様の強い御手が皆さんお一人お一人を支えてくださるのです。

 


この聖書には、恐れるなという言葉が何と365回も出てきます。よく考えると私たちは毎日のように何かに恐れを感じながら生きています。地震が起きたらどうしよう。歩いている途中、車にぶつかったらどうしよう。急に体が痛くなった時、もしも大きな病気だったらどうしようと心配し、思い悩みながら生きているのです。しかしイエス様は私たちに恐れる事はありません。と言うのです。イエス様の強い御手が皆さんを守って下さるからです。これまで保育園の先生たちが皆さんを守ってくれたように、イエス様はいつも皆さんを守って下さるのです。そのことを心に留めて4月から元気に、楽しく新しい学校での生活を送ってください。

祈祷:イエス様、あなたがいつも私たちを守り、導いて下さいますように、ここにいる園児たち一人一人を支えてください。この祈りイエス様の御名によってお祈りいたします。

 

祝祷:主があなたがたを祝福し、あなたがたを守られるように。

主がみ顔をもってあなたがたを照し、あなたがたを恵まれるように。

主がみ顔をあなたがたに向け、あなたがたに平安を賜わるように」

主イエス・キリストの恵みと神の愛と聖霊の親しき交わりとが、あなたがた一同と共に、

とこしえにあるように、アーメン。

2023年3月28日火曜日

神様の傑作品


 主は、御名のために彼らを救い/力強い御業を示された。(詩編106:8)

自分の名前にかけて誓う、と言う場合があります。名前はその人の存在そのものを示すものです。その人の全体を現す表現です。だから下手に名前にかけて誓ってはならないのです。神様の御名は神様の存在を言い表す言葉です。だから名前を汚すことは神様を汚すことになるのです。そのためにユダヤ人は神様の名前を発音できないように書き記しました。その代わりに主、全能者など名前に代わるものを口にしたのであります。

人の名前もその人を言い表すものです。その人の人格、人柄、すべてを表すのが名前です。そういう期待と思いをもって親は子供の名前をつけるのです。その名前通りになるように願うのです。でも名前の通りにならない場合が多くあります。なぜなら自分の名前に込められている大きな価値を評価せず、軽く考えるからです。名前通りに生きることを考えず、それを忘れて生きるからです。もう少し自分を大事にし、自分の名前に込められている意味をもう一度考え、その価値を認め、評価し、大切にしながら生きることです。

神様は私たちを価値ある者として見ていてくださいます。なぜなら神様が創造なさった大切な存在であるからです。聖書は神様が創造なさった私たちを指して傑作品であると教えています。私たちは善い業のために造られた存在です。神様の栄光のために生きるのが私たちの生きる目的であるのです。その時、真の意味ある人生を生きることが出来るのです。本当の幸せを感じることが出来るのです。

今日も主の栄光のために、人々のために精一杯に生きることです。

2023年3月27日月曜日

主の御心を行う

 


十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやった事の報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。(ルカによる福音書23:39-47)



雨上がりの風景はきれいに見える。汚れが雨によって流され、拭き取られる。

人の心がその日の天気に左右されるのを見るとやはり人間は自然の一部であると感じるようになる。自然を支配する者ではなく、自然と共存する自然の一部であることを忘れてはならない。しかしこれまでどれだけ自然を破壊し、それによる報いを受けているのか?共に苦しむようになった。自然の一部であることを忘れたせいでそうなったのである。



受難節である。イエス様の苦しみ、受けられた苦痛、不安と恐れ・・・・何もかも全部お一人で背負ってあの十字架の道を歩かれたのである。そのことを覚えて過ごす時である。イエス・キリストの十字架の出来事。



与えられた今日の人生を主と共に歩む。主と共に歩むとは主の御心を行いながら歩むことである。神様を愛し、人々を自分のように愛し合いながら生きることである。また主にある兄弟姉妹たちのために、この世のためにも執り成しの祈りをささげながら歩むことである。



サンティアゴ祈りの旅 ー希望-

 


わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。(エレミヤ書29:11

これまでのサンティアゴ祈りの旅で歩いた道を紹介したいと思います。20141012日礼拝とティーラウンジの後、皆さんに見送りを受け、サンティアゴ祈りの旅へ出発しました。関西空港、上海、パリ、そしてスタート時点であるSt.Jeanまで丸二日間の移動でした。1014日朝720分、まだ暗い中、祈りの旅をスタートしました。サンティアゴ・デ・コンポステーラまで歩くのに一番大事なのは道印を見落とさないことです。巡礼者たちが行くべき方向を指している黄色の矢印がサンティアゴまで続きます。しかし初日の課題は1400mのピレネー山脈を越えてスペインに入ることでした。ヘッドライトで暗い道を照らしながら歩きました。上り坂が続き、ひたすら祈りながら歩きました。その内、夜明けが始まり、周りの景色が目に入りました。けれども美しいと感じたのはほんの一瞬だけ、背負っている10kgのバック、続く坂道、背中に流れる汗、本当に自分との闘いでした。その時、ふっと顔を上げて見たら遠くに人々が歩いているのが見えました。自分一人だけではなかった、と思った瞬間、苦しみの一歩一歩がとても意味のある、ある意味では歴史に残る一歩であることに気づきました。およそ1300年以上も多くの巡礼者たちがこの道を歩いていたと思ったら不思議な気分になりました。

その内、山上を越えて歩いている自分を発見しました。しかし下り坂はもっと大変でした。次々と人々を抜かしながら歩いていたので前方には誰一人いません。歩いているのは自分一人だけでした。この山はガイドブックには8時間かかると書いてありましたが、結局歩いたのは

6時間でした。スペインの最初の宿泊先はロンセスバエスにある大きな修道院の宿泊施設でした。140人以上が泊まれるアルベルゲです。無事に最初の難関を乗り越えた時に希望が見えてきました。このまま進めば1000kmの祈りの旅は成し遂げることが出来るかも・・しかしそれは未経験者の甘さでした。希望に満ちた者を待っていたのは思わぬ迷いでした。次週のテーマは迷いです。サンティアゴの道沿いにある工場の壁に書かれていた文書を紹介したいと思います。「ほこり、泥、太陽と雨がサンティアゴの巡礼路である。そして千年以上の時の中で数え切れないほど多くの巡礼者たち。巡礼者よ、誰があなたを呼んだのか?どんな神秘的な力があなたをここまで導いたのか?それは星の地、サンティアゴ・コンポステラも、大聖堂も、ナバラの山水でもない。あるいはリハの美味しいワインでもガリシアの広い野原でもない。では巡礼者よ、いったい誰があなたをここへ導いたのか?それは田舎の風習や歴史や文化でもない。しかし一つだけは分かる気がする。わたしを引っ張り出し、この道を歩かせた力、それは人間ではなく、願望でもなく、全能者の導きであることを・・・・」



受難週です。イエス・キリストの受難によって私たちは新しい命が与えられました。罪によって死ぬべき存在が主イエスによって生きるべき存在へと変えられました。生きることです。精一杯に主のために生きることです。

2023年3月26日日曜日

いるべき場所に戻る

 無事に祈りの旅を終えて帰ってきたことに感謝。



教会には金曜日の午後9時過ぎに到着。

早速、次の日からノアちゃんの散歩、ゴミ出しなどが始まった。

今日は2022年度の最後の礼拝。

一日雨。これも良し。恵みの雨が。

午後は近隣の教会の牧師就任式で出かけた。

時差ボケとか言われたが、自分はいつも時差ボケのような生活をしているので問題なし。

明日からは料理も再開する。

生きることは大変だけど、死ぬほどではない。

すべてをポジティブに受け止めて生きることだ。

明日になれば、再び明日の太陽は昇るからだ。

生きることだ。命がある限り、精一杯に生きる。




2023年3月22日水曜日

2023 Santiago 22--Mar-2003

 

日本から韓国に入国する際に起きた出来事の再現のような事件が再び起きてしまった。解釈によっは最悪な出来事であり、助かった出来事でもある。0時45頃に目が冷めて荷造りを始めた。サンティアゴ市内から7時バスで空港に向かう予定だった。そして9時20分の飛行機でマドリード空港に10時40分に着く。それから午後4時の飛行機でヘルシンキ経由でソウル仁川国際空港に行く予定だった。

しかしマドリードからのFINNAIRの飛行機の時間を確かめて見たところ、午後4時ではなく、午前10時20分発の飛行機だった!なんで勘違いしただろう!冷静に考えてみた。まず調べたところマドリードに早く着く飛行機はない。次にマドリードからの別の便の片道だけを調べた。すると午後3時15分発のカタール航空があったが夜中のせいなのか予約が出来ない。それで最後の手段を考えた。タクシーで空港まで行くことだ。ホテルの受付で車でマドリードまでの時間を聞き、ホテルの前に待機していたタクシードライバーと話し合い、幸いにホテルの人がスペイン語で通訳してくれたお陰でタクシーで行くことにし、それで荷物を部屋から持ち出しタクシーに乗り込んだ。料金はメーターで計算することに。2時20分に出発。休まずに走り続けて約6時間で空港に無事に到着。それでチェックインし、セキュリティ検査も無事に終えて搭乗口に。タクシー代は今回の往復飛行機代より高かった!これ以上は言えない。でも無事に帰りの飛行機に乗ることが出来て感謝である。

実は自分がこう話したことを思い出した。今回の旅はタクシー以外に高速バス、高速列車、飛行機も全部乗ったな!と。すると神様は乗りな!思い切り乗りな!でもお金や苦労は自分で背負うことだよ!そのとおりになりました。全ては感謝!感謝!感謝です。!アホや!

無事にヘルシンキに到着!再び乗り換えのために入国手続きを終えて搭乗口へ。寒い!外は多分。雪も残っているし。約2時間弱待機して最後のフライトでソウルへ。マドリードからヘルシンキまでの4時間のフライトでは飲物しかでない。お腹空いた。いつも旅の最後には貧乏になる。コーヒーと買っていたクッキーで満たす。ソウルまでのフライトでは食事が出るので今はこれで我慢!



2023年3月21日火曜日

2023 Santiago 20-Mar-2023

 3時前に目が覚めた。

7時ごろホテルを出て高速バスターミナルへ向かった。以前何度も行ったことがあるので気軽く歩き続ける。霧で日の出の前の時が一層ヨーロッパの街を演出している。シャロクホームズの小説に出て来る雰囲気だ。歩いて約20分。バスターミナルに到着。しかしターミナルはなくなっていた。一瞬、また間違ったのかと考えたがやはり移転してさら地になっていた。

今度はマドリードまでの飛行機の予約確認ために空港へ。1ユーロで行けるバスが出来ていた。以前は空港バスがあったがなくなったかも。分からないけど。街から約30分で行ける。空港で確認し、問題なく予定通り22日水曜日の午前9時20分発、10時40分マドリード空港に着。確認出来たので再び街へ。大聖堂の広場に戻り、明るくなったので街を歩き、そして大聖堂の中に入った。椅子が新しくなっていた。

レントを物語る木の彫刻が壁の両側に掛かってあった。全部で14枚。しばらく会堂内で過ごし再び街を歩いた。お店も開店していたのでお土産を買った。またスーパーでは例のチョコを買った。

ランチと夕食を兼ねた食事は以前、食べたことがあるイタリアンレストランで済ました。ピザとサラダ!マルゲリータは美味しかった!こうしてサンティアゴでの2日目を無事に過ごした。





2023年3月20日月曜日

2023 Santiago 19-Mar-2023 ②

 セビリアから飛行機でサンティアゴコンポステーラまでの空の旅を無事に終えて空港に到着。6年前と比べてサンティアゴコンポステーラ空港は変わっていた。El Camino de Santiagoの街らしさが感じられるようになっていた。

空港からバスで中心街へ。エアーポートバスでないバスが走っていたのでそれに乗り込んだ。30分程でガルシア広場に到着。ホテルはバス停のすぐ手前にあった。チェックインをしてお部屋に。これまで一番良いホテルかも。これからサンティアゴではこのホテルに泊まることにした。

今日は日曜日なのでスーパーは休み。またランチと夕食を兼ねケバブを食べた。それから大聖堂の広場へ。昔のことを思い出しながら街を歩いた。変わった店や移転した店などもあった。

こうして今日の1日を無事に終えて感謝!


明朝はチケットの確認のために空港に行ってくる。

2023年3月19日日曜日

2023 Santiago 19-Mar-2023

 今回の旅の2度目となるセビリアのポスタルでも眠れず外の騒音なども影響して夜を過ごした!でも感謝!



今日は10時頃の空港行きのバスに乗ってセビリア空港へ。そして1時50分発のサンティアゴコンポステーラ行きに乗って3時15分にサンティアゴに着く予定。今回の旅の最終目的地である。そこで今回の旅を思い出しながら反省と展望の時間を持つことに!


そして再び日本での働きを考える。


7時過ぎにホテルを出て街へ。昨日の迷いはなしで大聖堂にたどり着いた。ミサの時間を見ると8時半からだったのでミサの始まる前に席に着いて周りの様子を見る。大聖堂の一角にある小さな礼拝堂に約50人の人々が集まった。8割は観光に来ている人々である。ミサは約15分ぐらいで終わった。賛美を歌うことはなかったけど説教、献金、聖餐式はあった。礼拝の前に副神父さんのような人が聖餐式用のパンを聖壇にある銀の箱の中に入れている。それで聖別されたキリストの体になるということだ。聖餐式の時にそれを取り出して食べさせていた。


ミサを終えて外に出ようとすると、幕のような扉だったのでそれを人たちが手を使わずに出られるように開けていたおばさんがいた。片手には紙コップを持っていたけどほとんどの人は金を入れない。僕はもちろん入れる。聖書のやもめの事が思い出したからだ。理由を問わす、理屈にならず施すことにしている。昨日のスーパーでイチゴとぶどうを買って来たときにも紙コップを持っていた人に施した。大したことではないができるだけあげることにしている。


ミサが終わり空港行きのバス停留所へ。すぐに着いたらちょうどバスが来ていたので4ユーロを払って乗り込んだ。市内から約50分。


空港に着いてすぐチェックインしてセキュリティ検査をして中に入った。そして朝食。こちらのハームサンドイッチとコーヒー。やはり朝の出来立てのサンドイッチは美味しかった。特にハームがとても柔らかく美味しかった!


飛行機の時間までは約3時間。少しゆっくり出来て感謝。サンティアゴコンポステーラまでの飛行時間は約1時間50分。今日の天気は快晴!

2023 Santiago 18-Mar-2023

泊まっていたグラナダのホテルが道路側に面していて車の音や人々の騒いでいる騒音でなかなか眠れず。夜を過ごした。耳栓も効果なし。おそらく騒音のせいではなく元々あったぐっすり眠れない体質のせいだろう。あくびばかりして、眠れない。

ホテルから7時半頃出て高速バスターミナルに向かった。もう迷いはない。8時頃到着。切符自動販売機でセビリア行きのチケットを購入。片道25.20ユーロ。3時間かかる。曇で涼しい。バスで寝ることにした。

10時にバスクが出発!隣の席にデカイ男子が座っているので空いている後ろの席に移動してお互いに少しゆったりした3時間を過ごしたかも。でもなかなか眠れず風景を見ながら旅を続けた。セビリア市内に入ると混んたけど予定通りに13時頃にバスターミナルに到着!お昼を食べよう!以前天ぷらの料理を食べたことを思い出したのでその辺に行ったらお店がなくなっていた。コロナのせいか!それで近くにあるレストランでこちらの名物料理である焼き豚肉を頼んだ。

量も多いが味も美味しい。これでランチと夕食を済ませたことになる。次は宿泊施設を訪ねて行ったら勘違いをして別のホテルの受付でチェックインをしようとした。繰り返しのミスに!それで大聖堂の近くにある観光案内所に行ってホテルを教えてもらって歩き続けた。しかしまたもや道に迷った。でも地図で確認をして少し遠回りをしたが無事に到着!

途中、スーパーでイチゴとぶどうを買ってきた。

チェックインをしてお部屋へ。いつものように洗濯とシャワーを済ませ、ひと休み!そのまま外には出ないで休んだ!こうしてグラナダかろセビリアまでの移動を無事に終えて感謝!

 


シャワーラン

  あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。(マルコ 13 : 37 )   今日は雨の中を走り続けた。シャワーラン。 22 キロ完走。 雨にぬれてもまだ気持ち良い時期である。 これが一気に寒く感じるようになる。 それを常に意識...