は言われた。「わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」(出33:19)
3月31日金曜日。
3月最後の日であり、2022年度の最後のでもある。こうして一年の歩みが終わろうとする。
終わりがあり、始まりがある。こうして時は過ぎ去り、また時はやって来る。人はこの時の間に生きる存在である。しかしこの時が取り去られる時、人はもはや存在しなくなる。金持ちも、貧乏人も、健康な人も、病気の人も、大人も、子供も皆同じ運命にさらされている。
その意味でも与えられている時をどうのように用いるかが重要である。24時間、という時を、ある意味、命と言えるものをどのように使うか?が人生を決めるポイントとなる。
誕生と死の間にある「時」をどのようにして生きるか?誰のために、何のために生きるか?が最も重要なことである。これについてはある意味、キリスト者はその目的がはっきりしているので迷わずに前に進めることができる。しかし多くの人は人生の意味、その目的が分からず迷いながら生きている。ある意味、自分探しのために多くの時間を費やして歩んでいる。
面倒くさい事は考えずに、ただ生きれば良いと言う人もいる。その通りである。生きれば良いのだ。ただどのように生きるかは考えるべきである。できれば楽しく、幸せに、さらに言うならば周りの人々と仲良く、共に喜びながら平和に生きることを願う。もちろん思う通りにならない場合がある。それでも諦めずにそれを目指して生きるべきである。そしてそのためには自分が行うべきこと、譲るべきこと、忍耐すべき事、待つべき事などが必要であることを心に留めながら生きることが大事である。
GOOD DAYは自然にやってくるのではなく、自分が造り上げることである。良い日を造り上げるためには工夫が必要であり、様々な努力も必要である。今日の日がGOOD DAYとなるかは90%は自分にかかっている。今日のすべての事柄を、出来事を、人とのかかわりを良い眼鏡をかけて見るとすべてが良いように見えるのである。悪いことも、不愉快なことも良いように見える不思議なメガネを自分がもっていることを忘れずに今日の一日を良い眼鏡をかけて生きることである。すべての事柄に対して自分がどのように受け入れるか、どのように考えるかによってその結果は天国と地獄になる。今日も生きる。楽しく、ポジティブな考え方をもって生きる。どうでも良い事に対して苛立たず、怒らず、憎まず、妬まず、欲張らず今を感謝して生きるべし。今日も幸せな一日でありますように。