2023年6月28日水曜日

赦し、寛容、愛

 


あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。(創世記50:20

But as for you, ye thought evil against me; but God meant it unto good, to bring to pass, as it is this day, to save much people alive.(GENESIS 50:20)

 


今の世界は報復の世界である。やられたらやり返す主義である。感情がコントロールできず

感情の赴くままに行動して生きる人々が多い世界である。赦し、寛容、犠牲はまれな世界である。だから息苦しいかも知れない。それでも生きなければならない現実。こういう世界のために主なる神様は御子イエス・キリストをこの世に送ってくださったのである。赦し、寛容、犠牲、真の愛を学ばせるために。イエス・キリストは口だけではなく、自らの行いを通してそれらを示してくださったのである。そして最後には他人の犠牲を求めず、自ら犠牲になって十字架の上で死んでくださった。これがキリスト者が持つべき姿であり、生き方であると教えたのである。

 


今日の聖書のヨセフは兄弟たちによって奴隷として売り渡されたあと、異国で様々な苦しみや痛みを受けたのである。しかし神様の御計らいによって奇跡的にエジプトの総理大臣になったのである。しかし彼は昔、自分が兄弟たちから奴隷として売り渡されたことが神様の大きな計画の中で行われた出来事であると受け止め、報復することなく、彼らの罪を赦し、彼らを寛容と愛をもって助け、守り、支えたのである。ヨセフは素敵な人である。

 


今朝はシャワーラン22キロ完走。走り続け、祈り続け、料理をし続け、愛し続け、生き続ける。命がある限り。

2023年6月27日火曜日

生きる


 

わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神がわたしをファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです。(創世記45:8)

So now it was not you that sent me hither, but God: and he hath made me a father to Pharaoh, and lord of all his house, and a ruler throughout all the land of Egypt.(GENESIS 45:8)

 


夏は暑い。冬は寒い。

この当たり前のことが「厳しい暑さ」「熱中症」などの言葉を借りて悪者にされている。

夏の恵みがあり、冬の恵みがある。季節それぞれの役目があり、人間は四季が生み出す恵みによって生かされている。しかし人間はこの大切な自然の秩序を破り、欲張ったせいで温暖化など様々な問題を引き起こしたのである。その結果、今その報いを受けているのである。

それでも命がある限り生きなければならない。それが運命である。生きる運命である。

 


変わらない日々の中で少しずつでも成長を期待し、昨日よりは少しマシな今日の人生を生きようとする。信仰においても、一人の人間としても、家族の一員としても、社会の一員としても、そして主の僕として成長し、成熟し、明日に向けて歩み進める。前進!

 

クマの出没で太白山自然観察の森に新しい看板が立ててあった。森を走りながら発見。それで最近は少し注意して走っている。今日も22キロ完走。最近は走ると汗が滝のように流れている。走れる恵みに感謝。

 


一番偉い人は、自分の感情をコントロールできる人である、と自分は思う。どんな場合、どんな時にも感情に左右されず、冷静に考えて発言し、行動する人ほど偉い人はいないと思う。

なぜなら多くの人は自分の感情に左右されて失敗し、争いを引き起こし、場合によっては

最悪な状況に陥るからである。何よりもまず自分の心を守れ、と聖書も教えている。これは訓練が必要である。一夜で出来ることではない。少しずつそういう感情のコントロールの訓練が積み重なっていつの間にか成熟した自分に出会うのである。何よりも心を守るべし。

自分を決して感情に任せたりしないこと。冷静に考えて行動することである。そのために祈り続け、み言葉を読み続ける。

 

今日も神様から与えられた大切な命、時間、環境、人々を大事にして生きるべし。生きる。

2023年6月24日土曜日

ベテルに上ろう

 


さあ、これからベテルに上ろう。わたしはその地に、苦難の時わたしに答え、旅の間わたしと共にいてくださった神のために祭壇を造る。」(創世記35:3

And let us arise, and go up to Bethel; and I will make there an altar unto God, who answered me in the day of my distress, and was with me in the way which I went.(GENESIS 35:3)

 


辛かった過去は早く忘れ去り、幸せを望みながら明日だけを考えて生きるのが賢明であると人々は言う。しかし、聖書は過去を忘れるな!と繰り返して教えている。そして実際に聖書の信仰者たちは過去の恵みを覚えて生き続ける。過去の恵みは決して忘れてはならないためである。しかし人々は過去の恵みをすぐ忘れて今の現状況だけに捉えられて生きる場合が多い。詩編の中の多くのダビデの詩はすべてが過去の苦難と恵みを思い出して書かれた言葉である。なぜなら過去の神様は、今の神様であり、将来の神様であるからだ。苦しみの中から救って下さった神は、これからも助け、導いてくださることを信じているという信仰告白である。神様は昨日も、今日も、そして明日も変わらない方であると聖書は教えている。変わるのは人間だけである。

 


変わることの多い人間であるが、出来るだけ変わらないルーティンワークを行いながら生きようとしている。ほぼ毎日のように行うのは聖書と祈りの生活、ノアちゃんとの散歩、ランニング、料理、掃除、説教準備、読書、勉強など・・・・・生きている限り休まないルーティンワークである。

 


この世はいつか必ず離れる場所である。だから未練なしの人生を生きるべし。残しこともないようにしよう。常に神の国に希望をおいて歩み続ける。人に頼らず、主に頼って生きる。

2023年6月16日金曜日

愛することです

 


愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。(ヨハネの手紙一4章)

 


私たちはよく、あの人は他の人よりも幸運に恵まれているとか、喜びとか悲しみは、自分ではどうすることもできない運命によると考えます。しかし、自分の人生の境遇そのものは無理だとしても、その境遇にどのように対処するかは選ぶことができます。二人の人が同じ事故の犠牲者になったとします。一方の人はその事故がもとで挫折し、恨みを抱くようになり、暗い人生に閉じ込められます。もう一方の人は感謝の心をもち、改めて命の大切さを感じ、希望を持って生きることを考えます。外見上は同じ状況であっても、それに対してどんな選択をもって応えるかは、まったく異なります。人生のあらゆる時に、喜びを選び取る機会があることに気づくことはとても大切です。人生には色々な側面があり、私たちの生の現実はつねに、悲しい面も、喜びの面もあるのです。ですから今を、恨みを引き出す時として生きるか、喜びを引き出す時として生きるかの選択がいつもあります。この選択こそ、私たちの本当の自由であります。そして、この自由とは、つまるところ、愛する自由という事なのです。自分を愛する自由です。人と比べず、今の自分をありのまま受け入れ愛する事です。また、今の自分を受け入れ愛して下さる神様を愛することです。さらに家族を愛し、周りの人々をありのまま受け入れ愛する事です。愛は全てに打ち勝つ真の力であるからです。憎しみも、妬みも、競争心も、愛の中では溶けてしまい、愛へと変えられるからです。愛に対抗できる力は存在しないのです。

 


今日はシャワーランで21キロ完走。また午前中は雨の中、広瀬川に行ったら、ハクチョウは元気で、一生懸命に命の糧を食べていた。生きるためである。命がある限り、生きることを考える。その命は主なる神様が与えてくださった大切な命であるので、私たちも大切にしなければならない。しかし私たちは朽ちる命に頼るのではなく、朽ちない永遠の命に頼って生きることである。そこに真の希望がある。今日も最後まで精一杯に生きることである。



2023年6月15日木曜日

お前の名は

 


「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、

その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。

お前は神と人と闘って勝ったからだ。」(創世記32:28-29

And he said unto him, What is thy name? And he said, Jacob.

And he said, Thy name shall be called no more Jacob, but Israel: for as a prince hast thou power with God and with men, and hast prevailed.(GENESIS 32:27-28)

 


雨は降り続く。

雨の中、ノアちゃんの散歩は短めに済ませた。

ノアちゃんにとって今が一番嫌いな時期かもしれない。十分な散歩が出来ないからだ。

毎日のような曇り、雨、ムシムシする季節。

しかしこういう時期こそ輝く花がある。アジサイだ。

こういう時期を経て大きく成長し、色も鮮やかになる。

だから梅雨は決して嫌な時期ではない。どう受け止め、どう過ごすかによって嫌な時期となり、楽しく、素晴らしい時期ともなるのだ。だから問題は心にある。聖書は何よりも心を守れ、と言っている。

 


虎は死して皮を留め人は死して名を残す、という言葉がある。

子どもの名を悪魔と名付けたことで話題になった時があった。

名前をつけることは大事である。名前どおりに生きてほしいという親の心である。

ギリシャ語で平和という言葉をとって〇〇〇と名付けた。自分の子供が平和に生きてほしいというのではなく、〇○〇がいるところには平和の花が咲き、皆が平和になってほしいという意味でつけた名前である。それはキリストによってもたらされる真の平和であるが、その平和を伝える者になってほしいという意味でもある。名前は大事である。

 

今日も雨は降り続く、そして生き続く。

2023年6月13日火曜日

決して見捨てない

 

人口100人の上洞の村

見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」(創世記28:15

And, behold, I am with thee, and will keep thee in all places whither thou goest, and will bring thee again into this land; for I will not leave thee, until I have done that which I have spoken to thee of.(GENESISN28:15)

 


不思議にこの時期になると前の教会の一人の姉妹が思い出される。それで調べてみると亡くなってわたしが葬儀の司式を務めたご主人のその兄弟の召天日が明日であることが分かった。もう7年となる。小さな100人村でキリスト者はお二人だけだったが兄弟は天に召され、姉妹一人になっている。兄弟が病気で教会に来られることが出来なかったときからノアちゃんと一緒に歩いて訪問し、聖書を読み、祈って励まし、共に過ごした日々が懐かしい。

真夏にはノアちゃんの受難日であった。往復約50キロを歩いたからである。途中、川があってノアちゃんを泳がせ、再び歩いて教会に帰ってきたことも多くあった。昨日はその姉妹のために長々と手紙を書いて今朝投函。感謝。

 

勘弁して!疲れた!

今朝はシャワーランで22キロ完走。雨の中を走るのもだんだん慣れていく。先日からひより台大橋あたりに住んでいるおじいしゃんと無言の挨拶を交わすことになった。今朝もあってお互いに挨拶を交わす。先日、大雨の中を走っている自分の姿を見て、こんなときによく走ってるね、との表情を読んで以来、無言の挨拶を交わすことになったのである。大体440分頃の時間かな・・・・こうしてまた知り合いになる。

 

川で泳ぐ

ごみは捨てても人は見捨ててはいけない。でもなぜ人を見捨てるのか?見捨てられたことがある人が人を見捨てる場合が多いと言う。でも人に見捨てられても神様に見捨てられるよりはましである。なぜなら神様に見捨てられることは終わりであるからだ。希望が断絶されたことである。幸いに聖書の神様は私達を見捨てない方である。むしろかき集め、保護なさる方である。滅ぼす為ではなく、救うために来られた神様であるからだ。ここに真の希望がある。そしてその希望によって生きることが出来る。

 

梅雨は梅雨らしく過ごそう(?)すべてを受け入れて生きよう。そして自分の中で受け入れたそのすべてをプラスに作りかえよう。そして前進!!!

2023年6月12日月曜日

天の星のように

 


わたしはあなたの子孫を天の星のように増やし、これらの土地をすべてあなたの子孫に与える。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。(創世記26:4

And I will make thy seed to multiply as the stars of heaven, and will give unto thy seed all these countries; and in thy seed shall all the nations of the earth be blessed;(GENESIS 26:4)

 


雨が止んでも雨の空模様ですっきりしない朝だ。

いかに人間が自然の一部にすぎない存在であるかがわかるような気がする。

その日の天気次第で心に影響を与えるからである。

とにかく空は曇り、でもこちらの心は晴れだ!これが大事である。

天気に左右されず今日の自分の道を歩く。

 

昨日の夕食はとり天を作った。

あなたの子孫を天の星のように増やすという約束である。こんなに人口の多い世界では迷惑な約束であると思う人がいる。しかしここで限定するのはあなたの子孫である。つまり、アブラハムの子孫、約束の子らである。神様の御心を正しく行い、異邦人の間でも神様の栄光を現しながら生きる子孫である。善と正義を行い、悪と不義に対して立ち向かう神様の子孫である。その子孫が今のキリスト者であると言う。でも残念ながら神様の子として歩む人々は少ない。この世の人々に紛れ込み、生き方までも同じようになったのである。

 

こういう世界で神様に従い、御心のままに生きることは安易ではない。でも神様の子として歩みなさいと言う。なぜなら助け主、聖霊が共にいるからだと言う。それに勇気づけられて主なる神様が示して下さる道へと進んで行く。仮にその道が狭く、険しい道だとしても歩み続ける。なぜならその道は救いの道であるからだ。命の道であるからだ。主なる神様が用意してくださった天に繋がる道であるからだ。だからこの道を歩み続ける。

 


今日も朝ラン20キロ完走。感謝。生きる。

2023年6月11日日曜日

恐れるな

 


これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。「恐れるな、アブラムよ。

わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」(創世記15:1)

After these things the word of the LORD came unto Abram in a vision, saying, Fear not, Abram: I am thy shield, and thy exceeding great reward.(GENESIS 15:1)

 


聖書の中で、命令形で語られた言葉、恐れるな!は365回出てくるという。人間が恐れを感じはめたのは神様に背き、罪を犯してからである。つまり、神様から離れた時から恐れを感じ始めたのである。罪の中で生まれた人間はこの恐れを一生感じ続ける。無くなることはない。解決方法はただ一つ、悔い改めて主に立ち帰ることである。真に安全な場所、主の下へと行くことである。主の御手がわたしたちを覆い、すべての悪から、恐れから守り、平安を与えてくださるのである。主と共に歩む人生こそ一番安全で平和に過ごせる道である。

主と共に歩む人生とは、毎日、み言葉と祈りの生活を送り、礼拝に集い、御心に従って神様を愛し、人々を自分のように愛しながら生きることである。平和な人生を願うならば主と共に歩むことである。イエス・キリストなしに真の平和は訪れないからである。これは真理である。イエス・キリストこそ我が主、我が神なり・・・・

 


主の日の朝である。

今日もゆっくり朝を迎える。

土・日はランニングも休みであるからだ。

朝の散歩でハクチョウの様子を見に行った。

このハクチョウに名前をつけようとしたところ、昨日、電話で教会員との話し合いでその名前をつけることにした。とりあえずNにしよう。長引く入院生活で力は切れて、希望は消えて最悪な状況である、という。入院生活が長引くと誰もがもつ思いである。決して楽しいと言う人はいない。快適であるとも言わない。一番良いのは我が家である。でもそこに心も体もリラックスできる、平和なところならば、という前提がある。家族・・・すべてを受け入れてくれる、すべてを聞いてくれる、すべてを受けとめてくれる場所が我が家である。家族。

電話の後、元気になったようで感謝。

 

今日も主の御手に委ねて生きる。

洗礼準備会、礼拝前の祈祷会、礼拝、婦人会例会・・・・・今日も生きる。

2023年6月10日土曜日

祝福の源となる

 


わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。(創世記12:2

And I will make of thee a great nation, and I will bless thee, and make thy name great; and thou shalt be a blessing.(GENESIS 12:2)

 


雨が止んだ日の空気は美味しい。空も明るく、昇る太陽も光り輝くこの世を照らす。

昨日は朝のシャワーランを実施。雨に濡れながら走るのも気持ちよい。月曜日から金曜日まで朝ラン20キロ以上を行う。土曜日と日曜日はランニング休みの日にした。でも散歩は行う。この散歩が普通の散歩でないことに問題あり(?)。昨日はきゅうり漬け、ニンジンサラダを作って置き、ランチは焼うどん、夕食はオムライスを作った料理日であった。数年間も料理するのを飽きないでやっているのがすごいと思ったのである。それもほぼ毎日。

 

今日は土曜日。週報投函散歩。ノアちゃんも慣れて分かっているようでその道に進んで行く。1時間を散歩して帰宅。仕事が始まる。

 


祝福の源となる。

驚く言葉である。

祝福がアブラハムによって注がれるという。

これが神様の約束である。

でも条件がある。主の御言葉に従って行い、生きることである。

アブラハムはそれに従い、本当に祝福の源となったのである。

だから信仰の父と呼ばれている。

 

しかし重要なのは、アブラハムの信仰ではなく、自分の信仰である。

神様はアブラハムの信仰を見て私たちを判断するのではなく、私たち自身の信仰を見て判断なさるからだ。祝福の源にはなれないが、せめてその祝福に与って生きることを願う。こういう願いの中で自分が今日、やるべきこと、神様に対して、家族に対して、人々に対して行うべきこと、語るべき言葉をしっかり心に留めて歩むべし。神様に対して尊厳と栄光と賛美を、家族に対しては愛と親切な態度と優しい言葉を、人々に対しては配慮と笑顔を・・・

こうして今日も主に頼って祈りながら歩んでいく。生きるために与えられた命であるから。

2023年6月9日金曜日

故郷を離れる

 


主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。(創世記12:1

Now the LORD had said unto Abram, Get thee out of thy country, and from thy kindred, and from thy father's house, unto a land that I will shew thee:(GENESIS 12:1)

 


父の家を離れて30年以上になる。故郷で過ごした日よりは異国の地で過ごした日が多くなった。長かったのか、短かったのか?・・・・・とにかく早かった・・・

親が生きている内に親孝行しないと・・思いながら・・この離れている距離を理由にして会いに行けないと言う。でも言い訳に過ぎない。悔いのないように会いに行くことにしよう。

 


アブラハムは75歳で神様の言葉に従って生まれ故郷を離れて異国の地へと旅立った。普通はしないし、出来なことである。それに75歳だった。今後の老後生活を考えるとその年で見知らぬ地へと移住することはあり得ない。だが、彼はあり得ないことを行ったのである。

信仰というものは、この普通の人にはあり得ないと思われることを信じて行うことである。

目に見えないことを信じて行動することである。まだ経験してないことを信じて一歩を踏み出すことである。だから信仰は自分の力では持つ事ができないことである。それは聖霊の助けと導きによって得られる賜物である。そのために私たちは毎日その信仰を求めて主なる神様に助けと導きを祈り続けるのである。祈り求める者には聖霊を与えてくださるとの約束であるからだ。今日も祈り求めよう。そして聖霊の助けと導きによって生きよう。

 


今日のランニングはお昼ごろかな?・・・・・今日も精一杯に生きる。信仰によって生きる。

2023年6月8日木曜日

 


雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。(創世記9:16

And the bow shall be in the cloud; and I will look upon it, that I may remember the everlasting covenant between God and every living creature of all flesh that is upon the earth.(GENESIS 9:16)

 


サンティアゴ祈りの旅の時に疲れ切って歩くのがしんどくなった時に神様は頑張れ!と言ってダブル虹を見せくれたことが2度ある。他の人はただの自然現象だと考える。その自然を創造なさった神様はその自然を通して物語る時がある。約束の虹である。約束は守るための約束である。神様は必ず約束を守る。守らないのは人間だけである。その守らない人間を神様は愛してくださる。WHY?理解できない・・・・

 


自分が頑張っても、頑張らなくても地球は回る。決して止まることはない。

人が生きても死んでも明日、太陽は昇る。

今日も世界各地で大勢の人々がこの世を去る。戦場で、街で、山で、海で、家で、病室で・・・・・

6年前に最初に行ったときのみやぎ霊園に墓地が結構増えていることが分かる。増えるのは墓地の数?・・・・

 


子どもが今日から早く学校に行くことになったのでそれに合わせて自分の朝のルーティンが変わった。朝ランのスタートタイムが30分早くなったのである。これも良し!

 

明日は雨の予報!

雨が降る前にノアちゃんとの散歩は今晩にすることにした。

明日、走るのは?・・・・・

 

夕食は昨日のやみつき鶏肉炒めとニラ玉を作ったので食べてもらうことに・・・・

 

明日はオムライスを作ることにした。

 

特別なことはない日々だが、これが良い!

感謝して生きよう!

2023年6月7日水曜日

生きよう!

 

大年寺255の階段に上りと「前進」という大きな石に刻まれた言葉が目に入る。

大好きな言葉である。


男と女に創造された。創造の日に、彼らを祝福されて、人と名付けられた。(創世記5:2

Male and female created he them; and blessed them, and called their name Adam, in the day when they were created.(GENESIS 5:2)

 

今日も新しい命が与えられた。感謝。生きるための命である。

神様が天地を創造された後、生き物に与えたのは祝福である。

最初に語られた言葉は繁栄と成長である。

しかしそれが呪いと衰退と絶望へ変わってしまったのである。

人間の罪が原因である。

人間の高慢さと欲望が招いた不幸である。

そして、今、人々は満足しない人生を生きている。

 

(昨日は夕食で生姜焼きをを作った)

肉の欲を満足させることは不可能である。

なぜなら肉の欲は本来満足できないものであるからだ。

穴が空いているバケツに水を灌ぐようなものだ。

その穴は主によってのみ埋めることが出来ない穴である。

 


満足できない人生のために人々は朝早くから頑張って生きている。

それらの姿を見ている主は立ち帰れ!と教会を通して、キリスト者を通して叫んでいる。

しかし教会も、キリスト者もその神様の御声のための役割を忘れてこの世の人々と同じく肉のために生きている。誰一人その御心を語る人がいない・・・・まさしく絶望な状況の中で生きている人々、教会、キリスト者・・・・・・・

目覚めよう!その神の御声に耳を傾けよう!そして語り続けよう!そして生きよう!

 

希望がある限り、人は生きることが出来る。

死ぬのは希望がないからである。

生きるための希望を主は与えて下さった。

信じて生きよう!

そして自分の道を歩こう!


2023年6月6日火曜日

二人は一体となる

 


こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。(創世記2:24

Therefore shall a man leave his father and his mother, and shall cleave unto his wife: and they shall be one flesh.(GENESIS 2:24)

 


満月で夜は明るい。今日は大量に本を捨てた、おそらく100冊ほど。二度読んだ本など多分読まないだろうと判断した本を未練なしに捨てた。今年中に500冊は捨てる予定。身も心も荷物も軽くして旅人の道を進むべし。

 


まだ朝は涼しい。ノアちゃんとの散歩の後は、ランニング。今日も自然観察の森のところまで往復22キロ完走。4時ごろスタートすると日の出が始まり、満月は自分の役目を太陽に譲って消え去る。自分の役目と言ってもそれすら太陽の光によって与えられた役目だが・・・・



太陽の光のおかげで月は光を放つことが出来るからである。それぞれ与えられた役目に忠実するならばどれだけ平和で、楽しく生きることが出来るだろう。しかし自分の役目を忘れて闇の世界へと走ったせいで不和と混沌と複雑な世界になってしまったのである。

 


政治家も、起業家も、教師も、生徒も、さらに教会も、使命感をもって、純粋な心をもって、真の愛をもって、犠牲する覚悟をもってそれぞれの場で働くことをせず正道ではない横道へ、苦労せず楽に金儲けの道へ、楽な人生の道へと進んで行くために・・・・こうなっているのである。しかし、まともなところは一つだけがある。月一回自分が訪れる場所、みやぎ霊園である。死んだ者はモノを言わない。嘘もつかない。怒りもしない。妬みもしない。いつも静かで沈黙を守っている。この世で唯一の平和な場所である。

 

今日の夕食は生姜焼きを作ることにした。毎日ノアちゃんと散歩をし、毎日22キロを走り、毎日20章聖書を読み、毎日たくさん祈り、毎日掃除をし、毎日料理をし、毎日礼拝準備をして生きる、特別に新しいことはないが、求めもしない。与えられた今日の人生を精一杯に生きるべし。明日は明日の太陽が昇る。だから明日は明日に委ねて自分は今日の人生だけを生きる。悔いのないように・・・・・すべては神様の栄光のために行うべし・・・生きる。

シャワーラン

  あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。(マルコ 13 : 37 )   今日は雨の中を走り続けた。シャワーラン。 22 キロ完走。 雨にぬれてもまだ気持ち良い時期である。 これが一気に寒く感じるようになる。 それを常に意識...