デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2023年1月4日水曜日

1月3日


 

今日は仙台市内に2回も買物に行ってきた。

大勢の買い物客がいた。

新年セール最終日だという。

やはり安い。

食料品とお菓子を買った。

二度目は夕方。迷ったけどやはり行ってしまった。

またお菓子と食料品。

そして仙台駅ビルで海苔巻き系のお弁当を買ってきた。帰る途中、妻からメールが。

今日は早く終わって帰るという。おなかすいた!との叫びが・・・・

ちょうどよかった!

僕が先に帰宅、夕食を用意したら、妻も帰ってきた。感謝。

美味しく3人でお弁当を食べた。わかめスープと一緒に・・・・

今日もお疲れさんでした。感謝。


1月2日

 今日はゆっくり目に起床。



9時ごろランニング。まだ楽ではない。先道は大変できついけど、少しは慣れたかも知れない。

時間はかかるけど、もっと走るのが楽になるかも。信じて走り続ける。2023年のランニングの目標は20キロ、2時間弱で楽に走れること。



箱根駅伝を見た。以前は関心がなかったけど自分が本格的にランニングを始めてからはマラソンなどの番組に関心を持つようになった。そして走っている人々の気持ちが少しは分かるようになったのである。2023は走る続ける。主の栄光のために。ハレルヤ!生きる。



元日



 2023年の元日はランニングで始まった。

夜明け前に走り出して日の出が終わったころ帰ってきた。

多くの人が新年の日の出を見ながら願い事を祈るために八木山の動物公園駐車場に集まっていた。イレネは友だちと海で日の出を見ていたようだ。昨年と同じく。

それらの願い事が叶えればよいのに・・・・・


元日は主の日の礼拝だった。感謝。毎年の元日が主の日であってほしい・・・・・

主なる神様に礼拝をして一年を始める。素晴らしいことだ。しかし大事なのは元日ではなく。

一年365日である。主と共に歩める年になることだ。たった一日でも主なる神様を忘れることなく、コラム・デオ。主の御前で歩むことだ。



2022年12月31日土曜日

2022年を快く感謝して送る

 


信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。

 


2022年最後の大年寺階段をノアちゃんと一緒に上った。この1年間、ほぼ毎日のようにこの階段を上ったことに感謝。その分だけ、健康が守られたことになる。ノアちゃんの耳血腫も治まったようで感謝。



今年の教会としての大きな出来事は7月、10月、12月に姉妹たちが天に召されたこと。でも大きな恵みの中で葬儀が行われ、姉妹たちが希望の旅たちが出来たことである。感謝。個人的な大きな出来事とは5月に教区総会出席のために山形までの112キロ歩いて行ったこと、

6月には双葉町までの約95キロを祈りながら歩いて行ったこと。

7月には気仙沼から教会までの祈りの旅を目指したが、途中、涌谷のトンネルを通って歩く内に熱中症で調子が悪くなり、ギブアップしたこと、



8月には御殿場ルートで富士山登山を目指したが雨と霧で途中ギブアップしたこと、ランニングを始めた827日に12キロを走ったこと、それが今も続き20キロを走られるようになったこと、



2022年も毎月欠かさずに教会墓地掃除のために祈りながら歩いて行ったこと、毎日のように料理して二人を喜ばせたこと・・・・感謝。妻もこの1年間仕事を始め、頑張っている事に感謝。娘も頑張って学校に行き、勉強に励み、礼拝を大事にして休むことなく集ったこと、これらのすべてに感謝して今日の最後の日を送るのである。嫌な事は早く忘れることが大切だが、ありがたいこと、感謝すべきことは繰り返し思い出して神様に感謝することが大事である。すると訪れる明日を、希望をもって快く迎えることが出来るのである。本当に2022年のすべての歩みに感謝。

2022年12月30日金曜日

2022年後二日

 

怒りやすい人はいさかいを引き起こし、激しやすい人は多く罪を犯す。驕る者は低くされ、心の低い人は誉れを受けるようになる。」(箴言29:22,23)

「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません。」(エフェソス書4:26,27)

 


残り後二日、今年はクリスマス礼拝、洗礼式、そして葬儀で締めくくる2022年であった。すべては教会の業である。教会が担い、教会で行い、教会から見送ることは教会に相応しい姿である。

 


我々の世界は最後になっても変わらずに心痛む事件や事故、暗い話ばかりである。希望を見出すことが出来ない現実。しかしその中で身近なところから聞こえてくるちょっとした話題に微笑むことが許されて感謝である。世界は荒れているけれども、家庭と教会は大きな出来事や変化なしに変わらず与えられた道を歩み続けていることに感謝である。(葬儀も大きな出来事ではない。教会が担うべき当たり前の業である。)変わらない生活で苦痛を感じる人もいるが、突然の出来事に遭遇したときの大変さを知ると変わらない平凡な日々の生活がどれだけありがたく、感謝であることかが分かるようになる。だから今を大事にし、感謝してお互いに支え合いながら生きることである。あなたがいて良かったと言える家族関係を長く維持できるようにお互いに心遣い、努力し、理解し合って生きることである。

 


今日は初めて23キロを走った。22時間で100キロを歩いたことはあったけど23キロを走ったことはない。教会から八木山、太白山を一回りして、太白小学校の前を通って帰って来ると23キロになる。長距離のランニングにだんだん慣れて行く。人間の体は特別な状況以外には積み重なるトレーニングによって成長していくものである。しかし内面的なもの、心や性格はトレーニングによってはなかなか成長しない。もちろん努力すれば少しはましにはなるが大きな変化は起こらない。だからといって仕方ないと諦めると周りの人々が困るようになる。憎しみ、妬み、怒り、無関心、不親切、欲などは厄介なものでなかなか私たちの心から消えないものである。それでも努力し続けることが重要である。なぜなら家族を愛し、周りの人々を大事にしたいのであれば努力する事は当然であるから。

 


2023年はつまらないことやどうでも良い事で真剣にならずぶつかったりしない。大声を出さない。怒らないように・・・・多く場合、家族の間での喧嘩はつまらないことやどうでもよいことで起こるからだ。もう少し心の余裕をもって生きるように。自分の主張よりは相手の言葉を聞くことを優先して生きるように。何か注意や指摘されたら素直にありがとう!と言えるように。切れる人生ではなく、結べる人生を、つなぎ合わせる人生を生きるように。長くない人生をいつも怒ったり、妬んだり、欲張ったりして生きる人ほど憐れな人はいないかも。笑顔で生きるように。少し心を広くして相手を受け入れるように。

そういう2023年となりますようにお祈りいたします。明日のランニングは休み。妻は仕事!僕は料理!

2022年12月28日水曜日

葬儀礼拝説教の中から

 


「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。私の父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたの為に場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来てあなたがたを私のもとに迎える。こうして、私のいる所に、あなたがたもいることになる。私がどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、私達には分かりません。どうして、その道を知る事ができるでしょうか。」イエスは言われた。「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない。あなたがたが私を知っているなら、私の父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」(ヨハネによる福音書1417節)

 


Y姉は去る1224日土曜日に天に召されました。この地上で許された101年と8か月の人生を終えて神様の御許へ帰られました。私がY妹に初めて出会ったのは2018124日の日でした。この教会に赴任した最初の年の冬に大年寺階段を上って姉妹が過ごしておられる施設を訪ねて行きました。ちょうどその日は日差しが温かく、お昼の後、ロビーのソファーで休んでおられました。初めての対面だったので自己紹介をすると歩いて来られたのですか?と言われました。多くの言葉は語り合ってはいませんでしたが、とても穏やかな方だという印象を受けました。それが姉妹との最初であり、最後の対面となりました。しかしほぼ毎日施設の前を歩いたり、走ったりして通っていたので姉妹のことを覚えて祈りの日々を送っていました。・・・・・・・(中略)

・・・・・・・・

・・・・・・・・

今朝、明け方頃、教会墓地があるみやぎ霊園に行って参りました。少なくとも月一回は歩いて必ず行っていますが、今日は特別な思いをもって、さらに今日の準備もあるために走って行って参りました。墓地に着くと碑石に刻まれている37名の教会の兄弟姉妹方のお名前を見ながらY姉妹がご主人のT兄を含めて皆さんから心温かく迎えられることを想像しながら祈りをささげました。何よりもT兄弟が一番喜ぶことでしょう。・・・・・・(中略)

 

私たちはもう姉妹のお姿を見る事は出来ませんが、しかし姉妹が歩んで来られたこの世での足跡はずっと私達の心の中に残る事でしょう。そして私たちも神様の恵みに頼って天の御国へと導かれていくのです。私たちは、人間の知恵でははかりがたい「恵み」を感謝して受け止め、そのように取り計らってくださる神様に栄光を帰したいと思います。この神様のはかりがたい恵みに感謝し、信頼しつつ、Y姉妹の魂を主の御手に委ねたいと思います。

2022年12月1日木曜日

心は温めて

 


12月がスタートした。

残り1枚と考えるか、31日も残っていると考えるか。自分次第である。

すべての状況と結果をどう受け止め、生きるかが幸福な人生のカギとなる。しかし全ての状況と結果をポジティブに受け止めることはそう簡単ではない。それは受け止められる心を持っているか、どうかの問題である。その受け止められる心は経験を通して得られるものである。つまり、小さな経験が積み重なって得られる心である。いわば生活習慣と日頃の考え方や生き方であると言えるかもしれない。人の中では物事をいつもマイナスの理由をつけて否定的に受け止め、考える人がいる。もちろん論理的で、冷静に、現実を直視しながら生きることは重要である。しかし人生には論理的で、冷静に、現実を直視しても解決できないことは山ほどあるからだ。だから様々な状況の中で正しく判断する知恵と力を持つことが大切である。しかしそういう知恵と力が欠けていることに問題である。だからといって学校で得られるものでもない。「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」(ヤコブ1:5)

 


つまり、本当の知恵と言うのは神様から与えられるものである。それは人間の浅い知恵を遥かに超えて驚く力を携えてやって来る。だから謙虚な姿勢でいつも神様に真の知恵を求めることが重要である。それが人生をより豊かにし、明るくさせるのである。

 


寒くなった。でもノアちゃんと自分にはちょうど良いかも。いつも夜中の散歩は汗をかくのでこのほうが助かる。いつもの時間帯なのでハクチョウたちは眠っている。川の水は冷たいのによう寝れるなと考えながら川沿いを歩いているが・・・・・

 


121日だったので太白山までランニングをした。

最後の月も精一杯に生きる。

来年は来年になって考える。

生きるのは今である。

今を生きる。

夕食は野菜スープを作った。体も心も温まる。

もう寝る時間が・・・・

こうして夕食を作っておいて自分は先に休むのが我が家の流れになっている。だからノアちゃんも休んでいる。自分に合わせているので・・・・自然にそうなっている・・・これも良し。

 


明日はもっと寒くなるという・・・でも心はいつも温かく保ちながら生きることである。心まで寒くなると最悪な状況になるので・・・・・・決して寒気を心まで送りこまない・・・・感謝して生きよう!

そして寝よ!!!

2022年11月30日水曜日

共に生きよう

 


喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。(ローマの信徒への手紙1215) 

 

久しぶりにノアちゃんと例の病院まで行き、祈りながら一回り。感謝。

 

一緒に居た家族が急にいなくなる寂しさ。

おそらく本人も戸惑うかもしれない。一緒にいるはずの家族がいない。周りは知らない人々ばかり。

さらに体が思うように動けなくなった現実。こういう時に本当に必要なのが信仰である。

人が何を言っても慰めにはならないでしょう。主のみ本当の慰めと希望を与えることができるのである。今わたしたちが出来ることは祈りである。主ご自身が働き、その場において慰めと希望と力を与えてくださるように祈り続けることである。面会も出来ない辛い現実が苦しみを加えるのである。祈ることだ。祈り続けよう。主は生きておられる。主が最善の道と最高の方法で導いてくださるであろう。

 


11月の最後の日である。

明日から12月だ。

生きよう。

共に慰め合い、共に励まし合い、共に喜び、共に悲しみ、共に泣くのだ。

そして共に生きる。

 

2022年11月27日日曜日

アドベント

 


何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。(コヘレトの言葉3:1

 


今日からアドベントに入った。

救い主イエス・キリストを待ち望むアドベントである。

しかし2000年前に来られたメシアを再び待つ必要があるのか、と言う。

確かにメシアは2000年前にこの世に来られ、その目的を成し遂げた。

十字架の死によって全人類の罪を赦す道を開いて下さったのである。

神の御子イエス・キリストとその方がなさった十字架の出来事と復活を信じるのであれば救われるとの話である。聖書の言葉はすべて成就したのである。ただ一つだけが残っている。それはイエス・キリストが復活して昇天する際に人々に約束した言葉である。それはイエス・キリストが再び来られることである。しかし今度は救い主としてではなく、最後の審判主として来られて天の御国へは入れる人と入れない人が分けられる審判の時である。決して死んだら何もかもお終いではない。必ず審判を受けることになる、と聖書は明確に教えている。それを信じ、受け入れる人は恵まれた人となる。耳のある者は聞きなさい、と聖書は言う。聞く耳を持つ事が大事である。

2022年11月24日木曜日

二日ぶりの散歩

 


「もう少しすると、来るべき方がおいでになる。遅れられることはない。

わたしの正しい者は信仰によって生きる。もしひるむようなことがあれば、/その者はわたしの心に適わない。」しかし、わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者です。

 


時には雨が降り続けて朝はゆっくりしたいと思う時がある。

昨日のお昼過ぎからの雨が降り続けて夜中の散歩は中止にした。それでノアちゃんだけは散歩なしの一日を過ごしている。仙台に来て初めてである。今までは雨でも出かけたが、自分が休みたいと思い、つい休んでしまった。これも良し。雨が止み、午前中は一人で仙台へ。

 


明日は3年ぶりの業者による会堂内外の清掃日である。朝早くからおそらく暗くなるまでかかるだろう。

 


娘は今日からのテストで頑張っている。こちらも頑張って美味しい食事を作っている。今朝は駅までの車の中で自分たちの四人グループの中で二人は彼氏が出来たという。しかし自分は面倒くさいし、今はいらないな!と言う。パパはどう思う?と言われて・・・・・面倒くさいかもな・・・・と返事をしたが

・・・・・時が来れば・・・・出会えるだろう・・・・自分の夢に向かって進んでいるなか、その出会いがお互いにプラスになればいいのだが・・・かえってマイナスになり、邪魔になるならば・・・しかし

それが分からないから出会って別れるだろう。・・やはり面倒くさいかも・・・・・

 


ワールドカップが始まり、盛り上げるところもあるが、うちはそれほどではない。ある意味、どうでも良い事だと考えている。それより教会のことや娘のテストや妻の仕事などが重要なことである。依頼されていた原稿を今日送り、感謝。週報も完成。今度の礼拝と納骨式と再来週の学院のキャンパス礼拝説教準備が残っている。生きることだ。

 

只今、二日ぶりのノアちゃんの散歩から帰ってきた。気持ちよい風が吹いている。こらから仕事に取り掛かる。

2022年11月22日火曜日

前に進んで行く

 


数か月ぶりに以前頂いた山形の日本酒を開けて飲みました。また今日、届いた山形の漬物を美味しく頂きました。本当に久々に顔が赤くなりました。夕食で作った鳥ドンと一緒にいっぱいご飯も食べ、気持ちよく飲みました。

 

今日も一生懸命に生きた気がします。11回のタイヤ交換を行い、階段のマット洗い、その後、トレラン練習で2時間汗をながし、帰りに買物。帰宅して夕食用の料理など。本業が何かわからなくなりました。でもこれで良し。

 

自分が良いと思えば、それでよし。他人の意見や生き方を重んじなくも良い。自分の人生を生きればよい。ただ自分が考えて悔いのない人生を生きるべし。

 

明日は明日の太陽が昇る。そして自分はその太陽に下で生きることになる。どんな明日になるのかは分からない。しかし悔いのない人生を生きることである。仮に失敗しても、倒れても、決してあきらめず再び挑戦し、前に進んで行くことである。

挑戦し続ける

 


「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、

そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。

また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。

高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。

 


年を取ると手放すことを学ぶ必要がある。握りしめていた手を開くことを学ぶことである。実際に若いときには多くの出会いによって人間関係を築いて行くが、年齢を重ねて行くにつれて一人、二人・・・・別れが多くなることを経験するのである。これが人生である。しかし中には握りしめている手を開くことなく、最後まで握りしめてこの世を去る人々がいる。あわれな人である。人生で何一つ学んでない人である。ある意味、失敗した人生と言えるかもしれない。

 



持っているものを手放すことで自由になることができるが、多くの人はそれを知らない。たくさん持つ事によって自由になれると信じているからだ。なぜかというと、洗脳されているからである。テレビやマスコミなど企業の商品を売りつけるための宣伝文化に洗脳されてそのように信じ込んでいる。それらに操られて正しく見ることも、判断する事も、そして行動することが出来なくなり、自分を失って生きている。だから時間の使い方、お金の使い方なども自分で出来なくなり、そういうことを人や会社に任せてお金を払ってアドバイスまで受けることになったのである。いったい人間どうなったのか?と嘆いてしまう。しかしこれが今の現実である。自分で考えて、自分で判断して、自分で行動して、自分を作って生きることが大事である。そしてこの世の慣わしや風潮や流行などに惑わされず、また他人ではなく、自分自身を生きることである。

 


雨の日が多く、少し暖かくなった。

変わらない日々を送っている。

墓地掃除も感謝。ただいつもの道が崖崩れで通れなくなり、少し遠回りで2時間以上もかかるようになったが問題なし。祈り、歩き、走り、料理をし、勉強し、掃除をし、息をして生きている。悔いのない一日を生きるためにはよく考えて、よく判断して、よく行動する。決して感情に任せるのではなく、意志を優先して生きることが重要である。感情は意志に従うものである。やる気がなくて日課を行うことで感情は後からついてくる。そしてやってよかった!と言う。挑戦する事は大事である。諦めずに最後まで頑張ることだ。自分に言い聞かせている。今日も生きる。



2022年11月19日土曜日

みやぎ霊園清掃

 今日は教会墓地清掃に行ってきた。



やはりこちらから徒歩で2時間はかかるな。



先日の納骨式の花が枯れていた。



僕が来るのを待っていたようだ。



はやくきれいにしてちょうだい・・・・



来週はM姉の納骨式だ。



空気が澄んでとても気持ちよい・・・・・



この世の中も気持ちよく人々の関係が澄んでいればどれだけ良いだろうか?



少し疲れた。今日は約36000歩か?

今週は20万歩以上を歩いた。感謝。

明日の主の日に備えよう。



今日も最後まで主の栄光のために精一杯に生きる。


ハレルヤ!


生きる。