2022年6月30日木曜日

今日も前進

 神がいったん定められたなら/だれも翻すことはできない。神は望むがままに行われる。(ヨブ記23:13

 


暑い日々が続く。

夏。

さわやかな香り、涼しい風、青い空、夏の昆虫の鳴き声、コオロギ・キリギリス・バッタ・・・そして

冷えているスイカ・・・・・

こういった夏の風景、風味は消え去り、ただ暑い夏のイメージしかない今の世界・・・・

人間の手によって破壊された自然が生み出す夏の叫びはただ暑い!!!!だけである。

それでも生きなければならない。

破壊された自然のせいにしない。他人のせいにもしない。

今日、神様によって与えられた新しい命を精一杯に生きることだ。

明日ではなく、許された今日の人生を生きることである。

最善を尽くして、神様のために、そして人のために生きることである。

どうせ生きるならば出来るだけ楽しく生きるべし。

それは自分次第である。

楽しい人生は物事をどうとらえるかによって、そして見方によって大きく変わるものだからだ。

コップの水が半分しかない、コップの水がまだ半分もある。

二つの生き方、見方を選ぶのは自分である。

けれどもその選びによって前に踏み出す一歩の軽さが大きく異なる。

今日も前進、笑顔で前進、感謝して前進、愛を持って前進、

僕は信仰を持って前進・・・・・・・・ハレルヤ!



 

2022年6月29日水曜日

葬儀を終えて

 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。私の父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたの為に場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、私のいる所に、あなたがたもいることになる。私がどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうして、その道を知る事ができるでしょうか。」イエスは言われた。「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、私の父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」ヨハネによる福音書1417

26日の礼拝後の葬儀の打合せから始まったS姉妹の葬儀が主の恵みの内に無事に終わり感謝。

骨あげが終わり、帰りに斎場からはS姉妹の二人の古いお友たちを自分の車に乗せて教会まで来た。

二人ともクリスチャンで20代の時、S姉妹と京都の同じ病院で勤めていたという。それからのお付き合いで約60年となる。東京と茨城県に住んでいる方々であった。教会の会堂を見たいということでわたしと一緒に教会まで来て、会堂を見学し、しばらくS姉妹の若き時代の話を聞かせてもらった。感謝。

ほんとうにやさしいS姉妹であった。個人的なことを言えば、本当に牧師を大事にする姉妹であった。

お二人との話が終わり、長町駅まで見送りした。元気に過ごしてください!そしてS姉妹との再会を決して忘れずに信仰の歩みを最後まで続けてください!と・・・・・・・

2022年6月26日日曜日

人間、時間、空間

 


互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。(エフェソ4:32

 


人間は一人では生きられない存在として造られた者である。それで神様はアダムにエバを与えてくださった。けれども与えられたエバはあくまでもパートナーとして、同僚として同伴者として与えられたことを忘れないことが重要である。それを所有物として、自分の欲を満足させるための手段として考えた場合、その関係は破壊される。自分が大切な存在であるように、相手も大切な存在として接するときに正しい人間関係が生まれ、保たれ、深まるのである。

 


「間」がつく言葉には、人間、時間、空間がある。これらの共通点は人間が生きるための基本的な条件である。人は流れる時の間に、暮らす空の間に、そして人との関係の間に生きるしかない存在である。人間が真の人間であるために必要なのは自我を越えて生きることである。欲をコントロールできる存在、それが動物と違った人間である。例えばのどが渇き、疲れ切っていっぱいの水が欲しいときに、それを手に入れたのだが、しかし自分と同じ状況にいる隣の人に譲り、自分はその次に、と考え、判断し、行動したことである。自分の欲を越えて行う姿が真の人間をしめすことである。

 


共に生きるために、家族の平和のために何が必要か?それは自我と欲を越えて、先に相手を配慮することである。性急に判断し、行動することなく、もう一度考えて行動し、周りの人々を配慮して生きるときにそこに平和の花が咲き、愛の実が結ばれるのである。今日も精一杯に愛し、親切にし、配慮して生きることだ。それは結局、自分のためになるからだ。相手を愛する事は自分を愛する事である。相手に親切にすることは、自分に親切にすることだ。相手を配慮することは、自分を配慮することである。この愛の原理を覚えて生きる事が重要である。

2022年6月25日土曜日

もう少し余裕を

 


フランツ・カフカは人間には二つの原罪があると言う。

それは性急の罪と怠慢の罪である。

“人間は性急したために楽園から追い出され、怠慢だったので楽園に戻れなかった。”

最初の人、アダムとエバが蛇の誘惑に対してもう一度神様が命じたことを考えて見たならばその善悪を知る木の実を食べなかったかも知れない。しかしもう一度考えることなく、蛇の言葉を聞いて直ちにその実を取って食べてしまった。もう一度考えることなしに性急に行動した結果、戦争や争い、事故や事件などが絶えず行われている。この人間の「性急さ」は神様が立てた秩序を破壊し、人間を地獄に連れて行くために悪魔が用いる最大な武器かも知れない。

 


人生という車にはアックセルと共にブレーキも取りつけられている。しかし多くの人はほとんどブレーキをかけずにアックセルばかり踏み続けているために自分の車にブレーキがあることさえも忘れている。

それである日、走り続けていることに気づき、突然、急ブレーキをかけて怪我をするのである。我々人類は現代文明と共に大事な「余裕」を失った。スピードばかり追求して走ってきたのだ。今もそれは変わらない。スピードが勝負であると信じ込んでいる。このままではいつか悪魔の思う通りに滅びるかも知れない。もう少し、ゆっくり走る人生の車にすべきである。でも今の世界をリードしている国々のほとんどがスピードを重要視し、ますます加速化させている。高速列車や飛行機や宇宙船はスピードがカギである。今のスピードの文明が強制的に取り上げられない限り、変わらない世界になるだろう。

大事なのは

 罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。(ローマ6:23

 


人々がキリスト者をどのように思っているのかはそれほど重要なことではありません。大事なのは、彼らがイエス・キリストをどのように考えているのかであります。多くの人は本来の目的、見るべき方、聞くべき大切な話しよりは、それらを伝える人を見てイエス・キリストを、そして教会を判断することが多いのです。例えば、お店に自分がほしい物を買うために入りましたが、店員の不親切な態度を見て、買う物を買わず、出て行くのと同じです。大事なのは宝を包んでいる包装紙ではなく、中味であります。その中に入っている宝石であるのです。周りの態度や姿によって肝心なことを失わないようにすることが大事です。

 


中世ヨーロッパのある村の一人の神父さんが土曜日に家々を訪問しながら明日の夜は特別なミサを行いますので必ず出席するように言いました。日曜日のミサの時間になると村人が大勢会堂内に入りました。しかし会堂内は明かりもなく、真っ暗でした。人々は不思議に思いながら席に座りました。鐘が鳴り、ミサの時刻になると、神父さんが現れました。そして大きな壁にかかってあるキリストの十字架の聖画にろうそくをつけて照らしました。神父さんは何も言わず、最初に釘打たれたキリストの足を照らし、そして槍で刺された脇腹を、それから釘に打たれた右の手と左の手を照らしました。最後には茨の冠をかぶり血を流しているキリストの御顔を照らしました。その後、火を消して、ミサを終えました。それで十分だったからです。それ以上、付け加える言葉は必要なかったからです。説教壇ではキリストだけを宣べ伝えることです。なぜならイエス・キリストこそ真の希望であるからです。




 

 

2022年6月23日木曜日

ルーティンワーク

 今日は夜中1時にノアちゃんとの散歩。

仕事。

掃除

読書、仕事

8時半に朝の散歩。2時間。

買物

ランチ

仕事。



22,000歩を歩いた。



生きた歩数である。



特別なことはないが、平凡なルーティンワークが今の自分を支える力となる。


再び仕事に取り掛かる。


生きる。




2022年6月21日火曜日

Top Gun Maverick

 今日は約20年ぶりに映画館でTop Gun Maverickを見た。

この映画を一言で言うならば、「赦しと癒しの飛行」である、と思う。

ヒューマン映画である。

赦し、赦される。

助け、助けられる。

愛し、愛される。

つまり、人間は一人では生きられない存在である。

共に生きる存在。

それが人間である。



2022年6月20日月曜日

精一杯に生きるべし

 


だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。・・・(ルカ13:33

 


今日は30℃。

まるで今年の夏の予告編のようだ。

夏は暑い。

でも度を越えるのがちょっと・・・・・・

それでも生きなければならない。

自分の道を歩き続ける。

夜中にノアちゃんとの散歩90分。

7時に255個の階段を上り、速足で60分歩いて風呂へ。

そして60分間風呂でくつろぐ。

その後、また60分かけて自宅へ。途中、買物。

帰ってきてシャワー(?)汗をかいたので・・・・・

今日は娘に頼まれて車でお迎えに行った。往復1時間30分。

これは娘のためにサービス。(自分は当然だと思うが)

帰宅してトマス&シラスソースのパスタを作って二人で食べた。

娘は試験勉強。

僕は仕事。

夕食用のおかずを作っておいた。

只今、自分は豚キムチ炒めとビールで夕食を済ませた。

娘は母親が仕事から帰ってきたら一緒に食べると言う。

ノアちゃんの夕食は済み、後は寝るだけだ。まだ明るいが・・・・・

こうして時は過ぎる。

今日は約2万歩歩いた。

来週は気仙沼祈りの旅に出かける。長町から気仙沼までの123キロの祈りの旅を24時間でクリアする予定である。雨の時には中止になる。

この地球上に今日の出来事は・・・・戦争と争い、事故と事件、誕生と死・・・・・・変わらず続くことであろう。それでも生きなければならない。命がある限り、精一杯に生きるべし。

2022年6月18日土曜日

梅雨

 そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。(フィリピ2:1-4

 


梅雨入りでじめじめする気がした。

でも心はさわやかに・・・・・そのためには工夫と堪えない努力が必要である。

まず物事に対する考え方である。常にポジティブな思考で生きることは大事だが、それにはコツが必要である。人間の一番の弱点はすぐ感情に左右されることだ。感情の動物なので仕方ないとは言わず克服する方法を見つけてコントロールすれば50%以上は勝った勝負となる。人からの言行に対してすぐ対応せず、感情的にならず、感情に任せず、直ちにその場を離れて5分間大きく深呼吸して自分の事を考えることだ。自分は誰よりも大切な存在であること。先に程の感情によって相手に対応した場合、その結果はどうなるのかを想像してみること。感情的になって相手に対応した後、それに対して自分と家族や周りの人々が喜ぶだろうか、と考えてみる。つまり、ここで大事なのは「時間」である。タイミングである。その時だけを感情に任せず、無視して流せば、多くの場合、最悪な状況は改善される。また、もう一つはそのことを二度と考えないことである。人は不思議に自分の感情が傷つけられた場合、その時の状況を繰り返して思い出させ、復讐を考えるくせがある。想像だけの事だから問題ないのではなく、そういう想像は何一つ役に立たないことが問題である。かえって自分にマイナスになることである。ここでそれを克服できるコツを教えよう。パソコンを持っていれば(手書きでも良いが)自分の感情やその感情に任せた場合生じる最悪な状況などを書いて、最後には、「しかし」自分を愛するためにそれらを行わない(復讐)、忘れて生きると宣言し、その文書をゴミ箱に入れることだ。そしてゴミ箱を空きにする。それでこの件に関することはすべて終了したと宣言する。これでお終いだ!!。これで良し!

美味しいものでも食べて克服したことを自らお祝いすることだ。自分が勝ったことを喜び、感謝することである。これらのことが習慣になるとなかなか良い人生を生きることが出来ると思う。(信仰的ではない一般論である。)。信仰者の場合は神様の言葉と祈りで十分克服できる。でも信仰者の場合でもこの方法を試してみる価値はある。今日も暑くなるが、最善を尽くして生きる。まずルーティンワークを充実させ、新しいことに挑戦しながら生きる。昨日の自分よりは少しでもましな自分になることを期待して生きる。

2022年6月16日木曜日

祈りとは?

そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。(ヨハネ4:6

〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。(ルカ23:34

 


イエス・キリストは神の国を宣べ伝える公の生涯を始められてから宣教の旅をつづけました。パレスティナ地域を歩き回り、福音を宣べ伝え、病人をいやし、群衆に教えられました。しかしイエス・キリストの姿の中で著しく現れているのは祈る姿でした。主イエスは最初から最後まで一貫して祈る姿を私たちに示しました。

それが十字架の上で死ぬまで続いたのは大きな意味があると思います。忙しいあまり、または、この世の事に捉えられ忘れがちな祈りを決して忘れず生きるようにとのことでしょう。祈ることで神様の存在に改めて気づき、思い煩いや不安を克服し、希望と毎日生きるための力が与えられるのです。聖書の創世記から黙示録まで祈りが出てこない聖書はありません。

聖書に登場する偉大な信仰者たちは全員祈る人でした。イエス様が私たちに教えた数多い教えの中でご自分が直接実践しながら私たちに教えたのは他ではなく祈りでした。祈りは私たちの霊と心が生きるための呼吸であるのです。 



2022年6月15日水曜日

福島双葉町までの祈りの旅

 


昨日は双葉町祈りの旅を行った。約93km,18時間、約122,000歩の祈りの旅だった。

 


前回は双葉町がまだ、放射線のことで解除されてなかったので浪江までだったのだが、今は解除されていたので祈りながら歩いて行くことが出来た。

 


140時に出発して18時頃に双葉町駅に到着。帰りは電車で。

 


このルートは以前、原町2回、小高、浪江、中村それぞれ1回ずつ歩いていたルートだったので少しは慣れていたが、歩く道や建物などが結構変わっていた。特に38度線が新しく整備されて真っ直ぐな道路になっていた。まるでバイパスのようだったので歩くのが楽だった。報道も広くて安心して歩くことが出来たことに感謝。でも風景が変わらず、同じ道が長々と続くと時間が長く感じるのも事実である。

 



 
人生も同じあるかも。だから白黒ばかりの人生ではなく、時々、カラフルな人生も必要である。いつもカラフルな人生も良くはないと思うが、それらが混じって人生と言えるのである。苦しみもよし、幸福も良しと、して受け入れる人生が大事かも・・・・・・つまり、すべては自分のためになる栄養剤であると思えばよい。まるで海が大きな嵐によって掃除を行い、きれいに保たれるように、人生にも苦難によって正常に保たれることが出来る。そのように受け止めることで本当に心身健康な状態が維持できるのである。


 



しかし、毎回のことだが、昨日の祈りの旅も厳しかった。残り20キロは本当に自分との闘いである。

スペインのサンティアゴの道でも経験したことだが、一番きつい時間帯であり、同時に一番頑張れる時でもある。残り20キロはとにかく休まず歩き続ける。それもスピードを出して歩き続ける。この時には機械的になる。つまり、いろんなことを考えることができず、脚の動きに委ねて歩き続ける。同時に



足の痛みも激しくなる時でもある。こういう状態で途中、止まると歩けなくなるからだ。だから休まず、スピードも落とさず歩き続ける。


とにかく無事に双葉町祈りの旅を終えて感謝。食べたのはお菓子ビスコとお水だけだった。帰ってきて自分で豚キムチ炒めを作って食べた。そして今日はいつものように3時にノアちゃんの散歩も行い、感謝。今日は脚の痛みで2時間の散歩はできなかったけど・・・・明日からはいつものように散歩が出来るだろう。


 


2022年6月13日月曜日

悩まずに生きる

 思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。(ペトロの手紙一第57節)



悩まず生きる方法。

思い煩うことなく生きる人生の道。



1.自分が出来ることと出来ないことを明白に区分すること。


2.出来るだけ忙しく生きること。

ボーとして何もしないような暇を作らないこと。


3.まるで何の心配も、悩みもない人とのように生きること。

笑って生きる。何もかも楽しく行う。

幸せだから笑うのではなく、幸せになるのために笑うこと。






2022年6月12日日曜日

自由人になって生きる

 この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。(ガラテヤの信徒への手紙5:1)

 


この国で生まれ、生きている人は自由人である。

しかし、それは自由な国で生きているからではない。いくら自由人であるとしても、もし罪を犯すと即罪人になるからである。大切な自由が失われるとのことだ。いつまでも自由人になれるためには様々な規定、国が定めた法を守らなければならない。つまり、条件付きの自由であるとの意味である。

 


しかし多くの人は真の自由を味わうことなく、様々なことで不自由な人生を送っている。毎日のように思い悩み、不安を抱え、不透明な明日のために苦しみながら眠れぬ夜を過ごす。仕事や子育てや家族などの人間関係に苦しみ、まだ起きてない出来事、不安を想像し、現実化させて自ら苦しみ、心の牢屋に閉じ込める場合も多い。

 


自由な人でありながら、その自由を自ら捨ててしまい、物事の虜になって不自由な人生を生きている。誠にあわれな人生である。これが我々人間の姿であり、おかれている現実である。それを知った神様は御子イエス・キリストを遣わして自由を得させてくださったのである。それがイエス・キリストがこの世に来られた理由である。今、私たちにはその真の自由を得て生きることが重要である。自由人になることだ。今日も自由人になって生きることだ。

2022年6月11日土曜日

悩まずに自分の道を歩く

 

「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(フィリピの信徒への手紙467節)


 

100%無益であるのは思い悩むことである。

しかし、人間は毎日のように何かに思い悩み、不安を抱えて生きている。

悩まない人はいないでしょう。ただ思い悩むことが少ない人と多い人がいる。

ではなぜ無益なことを人間はしているのか。

罪のためである。

最初、神様に逆らって自ら神様のようになろうとして禁断の木の実を食べたアダムとエバの堕落した結果、人間は思い悩む性質を胎内から身に付けて生まれるようになった。つまり、人間が思い悩むのは生まれつきである。解決策は?上記の聖書が教えている。

 

今日も生きる。

精一杯に頑張って生きることだ。




 

 明日ではなく、今日の人生を生きることだ。

 人のまねをせず、他人の生き方や人生ではなく、

主を見上げながら与えられた自分の道を歩き続ける。




2022年6月10日金曜日

夜の散歩

 久々に千代大橋ルートをノアちゃんと散歩した。



約90分の夜の散歩。



涼しい。



気持ちの良い風に当たり歩き続ける。



ノアちゃんは敏感なにおいに反応して歩いたり、止まったり・・・


僕は夜空を見ながら色々と考える。


まだ梅雨入りではない。


生きる。


2022年6月9日木曜日

変わるものと変わらないもの

 曇り、時々雨、晴れ間がちょっとだけ・・・・再び曇り。



毎日、人々の関心を引くのは世界の情勢や戦争や政治や事故や事件よりお天気である。

子どもからお年寄りまで毎日のお天気に関心を寄せ、その日に備える。

明日の天気は?毎日聞かされる。

毎日欠かさず検索するのも明日の天気である。

雨、雪、台風、嵐、寒い、暑い・・・・・服装を決め、出かけるかどうかを決める。

これほど無理に強いられなくても、大きな影響を受けて自ら左右されることに文句なしに、

任せるのは余程、人間が天気に支配されているのかがわかる。

今日は二人で4月に新しくオープンした温泉(?)へ。まだ新しいので中が綺麗。

サウナ室の木のにおいが好きだ。何よりもここはサウナ室の中にテレビがないのがいい。

静かに汗をかく。

大体、風呂の経営が厳しくなると一番先に変わるものがある。備え付きのシャンプーの中身である。つまり、質が悪いものに変わる。また三本が二本になる。最初はシャンプー、リンス、ボディーシャンプーの三本が、リンスインシャンプーとボディーシャンプーの二本になる。

世の中は常に変わっていく。人も変わっていく。変わらないのは神様の愛だけである。

これでよい。

生きる。

2022年6月8日水曜日

墓地掃除

 

しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。(フィリピの信徒への手紙3:20

 


小雨。

 

この二、三週間、ずっと足の痛みが消えない。

しかしどうでもいいことだと思い、頭の片隅に閉じ込める。忘れるようにしよう・・・・

 




6月8日。

今日は自分が葬儀の司式をした兄弟の5周忌となる日である。

それでみやぎ霊園へ。歩きながら兄弟のことを思い出し、祈りのひと時を過ごした。

兄弟が入院していた病院に何度も訪ね、話し合ったことに感謝している。

時には家族三人でお見舞いに行ったこともある。

兄弟が召天したあの日のことはよく覚えている。

もう5年になる。

 


教会墓地清掃を終えて帰ってきた。

やはり4時間はかかった。


 

再び足の痛みが・・・・・

しばらく休むことにした。1日1万歩だけにしよう。

普段の半分以下にもならないが我慢しよう。

 

生きる。

シャワーラン

  あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。(マルコ 13 : 37 )   今日は雨の中を走り続けた。シャワーラン。 22 キロ完走。 雨にぬれてもまだ気持ち良い時期である。 これが一気に寒く感じるようになる。 それを常に意識...