「誇る者は主を誇れ。」(コリントの信徒への手紙二10:17)
But he that
glorieth, let him glory in the Lord.(2 CORINTHIANS 10:17)
今日は雨。
ノアちゃんとの散歩は雨の事で昨夜に済ませた。宮沢橋の所でノアちゃんより大きなゴールデンレトリーバーに遭遇した。二人も吠えず、観察していた。相手の70代と見えた飼い主のご夫婦も同じゴールデンレトリーバーに出会ったのは初めであったのか大きな声でこんばんは!と言葉をかけてくれた。それからうちらは川へ。気持ちよい風が吹いていた。少し川沿いの階段に座って語り合う。良い散歩であったことに感謝。
今日は4月最後の主の日であり、最後の日でもある。
人が誇るのは他人の存在があるからである。自分一人だけの世界であるならば別に誇ることもないし、誇ってもなにもならないからである。つまり、比べる相手がいてその人に比べて誇ることが出来、誇ることでうきうきとする変な生き物である。問題なのはその比べる基準である。背が高い、身体がスリム、顔が綺麗などでうきうきし、それで誇れる人は一番レベルの低い幼児型である。同じく財産、権力、社会的な地位で誇れる人もレベルの低い幼児型である。
貧しい家庭など、不利な状況、条件の中でも努力して成功した人が誇るのは周りも理解してくれる。納得できる誇りである。でもやはり本当に人々が喜び、尊敬する人の誇りとは自分のことではなく、自分をここまで導いてくれた助力者を誇る。そういう助力者がいなかったならば今の自分は存在しないと考える人。つまり、栄光を、誇りを他人に譲る人こそが本当に誇れる人と言えるかもしれない。
誇る者は主を誇れ。これが答えである。人間はそもそも誇ることが何一つない罪深い存在であるからだ。自分のみじめさを悟った人が神様の恵みに感謝し主を誇る者となる。自分を誇らずただ主にのみ誇る人生を歩むべし。