デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2023年6月5日月曜日

生きる者

 


主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。(創世記2:7)

And the LORD God formed man of the dust of the ground, and breathed into his nostrils the breath of life; and man became a living soul.(GENESIS 2:7)

 


今日のランニングは休むことにしたが、結局、身体が動き出して5時30分頃スタート。

普段より1時間半も遅い時間帯のランニングだったので出会う人々も違い、車の量も多かった。体は重く感じたが走り続ける。大年寺階段を始め、上り坂が多い少しきついコースだがしかしトレランのトレニンーグには最適なコースである。感謝して走り続ける。結局、今日は22キロ完走。

 


人が生きる者になったのは私たちの中に命の息が吹き入れられているからである。問題はこの息の正体である。この息は全ての生き物が生きるために欠かせない呼吸の息なのか、それとも違う次元の息なのかである。英語の聖書はそれをソールと表現している。つまり、生物学的な息ではなく、魂と言うことだ。これは人間だけに吹き入れられた命の息、つまり、魂である。その意味で人間は霊的な存在である。しかし人は霊的な存在であることを忘れて生きている。ただ動物的な生き方、つまり、肉のために生きている存在になったのである。

それで人間は人生に満足できず、空いている心の穴を埋めようと趣味、お酒、麻薬、スポーツなどに走っている。しかしそれらのものでは埋めることが出来ず次々と新しいものに手を出し、探し求めるのである。

 

永遠を求める魂を満足させるためにはキリスト以外には答えがない。それは自力で得られるものではない。聖霊の助けと導きが必要である。そのためには日頃からの聖書の黙想と祈りの生活が欠かせない。人はパンだけで生きる者ではない、神様の口から出る一つ一つの言葉によって生きる者である。これこそ私たちの魂が満足して人生が豊かになる秘訣である。

今日も前進!命がある限り前進である。そうせ生きるならば精一杯に生きるべし。必ず最後の時が訪れるからだ。悔いのない今日の人生を生きるべし。自分の歩むべき道を歩み続ける。

2023年6月4日日曜日

安息

 

今日は満月だった。

この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。(創世記2:3)

And God blessed the seventh day, and sanctified it: because that in it he had rested from all his work which God created and made.(GENESIS 2:3)

 


生き物は休みが必要である。機械でない限り、生き物は休息を通して新たにエネルギーを再生するからだ。最初からそのように造られたからである。だから自分を正しく知って、正しく用いれば元気で、健康な人生を生きることになる。しかし問題は肉のことばかりそのように考えるので駄目になるケースが多い。つまり、人間は体だけではなく、心をもっており、さらに魂をもって創造された存在である。だから人間は永遠を思うようになるのだ。これらの総合的なバランスがよく取れた時に真の元気で健康な人生を生きることができ、それこそ本当の意味で幸福な人間になるのである。神様を正しく知ることは、自分を正しく知ることであり、神様に従うことが自分が幸せになる道である。これを信じて歩み続ける。

 


今日は数年ぶりの道をノアちゃんと歩いた。昔はよく歩いた道であった。2時半ごろ大年寺公園、愛宕神社、宮沢橋、広瀬橋、千代大橋、太白大橋、大野田を通って長町へ。速足で約2時間30分かかった。普段ランニングの25キロを走る時間である。今日はランニングは出来なかったが、しかし久々に昔歩いた道をノアちゃんと一緒に元気に歩くことが出来て感謝。

来週も歩くことにした。雨でなければ・・・・

 


主の日のである。久々に聖餐式。感謝して与る。そしてこの新しい一週間を信仰と希望と愛をもって精一杯に生きるべし。主の栄光のために・・・・・・ハレルヤ!











2023年6月3日土曜日

祝福を受けよう

 


神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」(創世記1:28)

And God blessed them, and God said unto them, Be fruitful, and multiply, and replenish the earth, and subdue it: and have dominion over the fish of the sea, and over the fowl of the air, and over every living thing that moveth upon the earth.(GENESIS 1:28)

 


昨日、一日休んだせいか、今日のランニングは大変だった。体が重く、スピードが出ない。しかし諦めずに走り続け、22キロ完走した。感謝。ムシムシするが、汗を一杯かくためかそれほどは感じない。ひたすら走り続ける。明日からは休まずに走ることにした。走り続ける。

 


神様が天地を創造して行ったのは生き物に対する祝福であった。我々は本来、神様から祝福される存在であった。しかし罪によって呪われる者となったのである。私たちが約束の言葉を破ったからだ。けれども神様は呪われるべき者を祝福される者とへ変えてくださるために大きなミッションを行ったのである。神の御子イエス・キリストが私たちの代わりに死ぬことである。その出来事によって我々は罪赦され、再び祝福される者になるとの約束である。その約束は信仰によって得られると聖書は言う。その信仰によって今日も与えられた人生を主のために、家族のために、教会のために、人々のために精一杯に生きるべし。

2023年6月2日金曜日

人間失格者から神様の子供に

 


神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」(創世記1:26)

And God said, Let us make man in our image, after our likeness: and let them have dominion over the fish of the sea, and over the fowl of the air, and over the cattle, and over all the earth, and over every creeping thing that creepeth upon the earth.(GENESIS 1:26)

 


今日は雨の予報だったので昨夜22時ごろノアちゃんの散歩に出かけた。気持ちよい風が吹いていた。犬散歩の人もいた。それから帰宅して仕事。日付が変わる少し前に二度寝。それから4時起床。生きる。

 


今日のランニングは?後で考える。これからは梅雨の時期になるので早めにシャワーランになれるように雨の日でも走ることにした。走り続ける。少しだけ無理はするほうが良い。

これまでの自分の経験からすると・・・・だから一般論に惑わされず自分の経験から学んだこと、それで身に着いたことを実行すれば良い。自分流の道を開拓して歩み続けるべし。

 

なぜ神様は人間に、いわば自然の世界を支配するようにさせたのか。その大事な管理の責任者にさせたのか。神様の代わりに人間にその仕事をさせたのは意味のあることだったのか。

重大な責任であり、それはある意味、とても光栄なことである。しかし人間はそれが出来なかった。なぜなら責任者、管理人がもつべき一番大事なことを忘れたからである。それはその責任を任せた方の御心を正しく知り、行うことである。それが出来なかったために、さらに自ら神になろうとしたので人間は堕落し、エデンの園から、その光栄な管理人の地位から退けられたのである。人間失格とはこういうことである。

 

人に対してではなく、神様の御前での人間失格である。しかし憐れみ深い神様は人間失格者にもう一度チャンスを与えてくださった。それが驚くことに前の同じ管理人ではなく、今度はなんとご自分の子供として迎え入れようとするのである。しかしそのための犠牲は大きなものであった。独り子イエス・キリストの死であったからだ。しかしその犠牲を払ってでも神様は私たちをご自分の子供として迎え入れようとしたのである。そしてそれがイエス・キリストの十字架の死と復活によって実現したのである。その恵みと驚きの出来事を知る人が真に人間失格者から神様の子供になれるのである。そのことを心に留めながら、これからは神様の子供らしく、考え、行い、生きるべし。自分は神様の子供である。生きよう。神様の子供らしく生きよう。

2023年6月1日木曜日

初めに

 


初めに、神は天地を創造された。(創世記1:1)

In the beginning God created the heaven and the earth.(GENESIS 1:1)

 

6月がスタートした。

しかし変わらず2時ごろにノアちゃんと散歩。

帰りに大きな流れ星を見た。

宇宙のごみがどこかへ落ちる。

夜の飛行機がどこかへと向かって行った。

それぞれ目的と目的地に向かって進んで行く。

目的?

食べる目的、飲む目的、働く目的、住む目的、勉強する目的、走る目的、歩く目的、寝る目的・・・これらのことは、ただ生きる目的に繋がる。しかし死ぬ目的はある?

 


初めに、神は天地を創造された、と宣言する。そしてその過程が記されている。しかしその創造された天地の中で目的が記されているのは人間に対してのみである。主なる神様を礼拝するためである。神様を愛し、隣人を自分のように愛するためである。つまり、共に生きるためである。しかし人間が神様に逆らい、命令に背いた時から共に生きることを止め、殺し合い、傷つけ合い、非難し合い、妬み合い、憎しみ合うようになったのである。

 

最初の世界に取り戻すことは出来なくなったのである。しかし最初の世界以上の世界、天の世界に導くために、神様は御子イエス・キリストを送ってくださった。イエス・キリストによってその世界に入ることが出来るようになったのである。それは空間と時間を越えた人間の理性では、科学では決して理解できず、判明できないまったく新しい世界であるために今でも謎に包まれている。

 

我々は今この罪深い世界にいる。でも主の約束は確かである。主の来臨を信じて生き続けることである。

2023年5月31日水曜日

主を褒め歌う

 


地の王国よ、共に神に向かって歌い/主にほめ歌をうたえ〔セラ(詩編68:33)

Sing unto God, ye kingdoms of the earth; O sing praises unto the Lord; Selah(PSALMS 68:32)

 


今日は21.93キロを走った。

今日は色々あって、少し忙しかった・・・・それでも感謝。

学校まで迎えに行き、ノアちゃんのシャンプーなど・・・・・生きている感じだ。

でも何のために、誰のために忙しかったのかが重要である。常に神様の栄光のために、家族のために、人々のために・・・・・ノアちゃんのためにも・・・・

今日は5月最後の日でもある。5月も無事に終わることが出来て感謝。

 


どう生きるかは常に聖書が答えている。何よりもまず神の国と神の義を求めなさい。神の国と神の義のために生きることである。神の国と神の義のために生きるとはどういう意味なのか。神様の御心に従って生きることである。では神様の御心とは何か。神を愛し、自分のように隣人を愛することである。この愛をもって憎しみ、妬み、欲望、快楽などを打ち破り、その神様の愛を土台にして神の国を建設することである。

 

今日も最後までこの愛をもって生きることである。神様の愛こそ、真の力である。

2023年5月30日火曜日

喜び祝う人生

 


神に従う人は誇らかに喜び祝い/御前に喜び祝って楽しむ。(詩編68:4)

But let the righteous be glad; let them rejoice before God: yea, let them exceedingly rejoice.(PSALMS 68:3)

 


毎日がいつも喜び祝う人生だったらどうだろうか?経験したことがないために分からない。

飽きるかも知れない。どういう喜びであり、何を祝うかによって違ってくるかもしれない。

でも人生には喜びも悲しみも涙も笑いも苦しみも嬉しいこともあるからこそ人生だと言えるのではないか。喜びばかりの人生は望まない。だからといって苦しみばかりの人生も望まない。それぞれが時に適って訪れる。それを拒否せず受け入れる。そして耐え忍び、乗り越えて、少し成長して前に進む。こういう人生を望んでいる。今日もそういう人生を生きる。

 


今日のランニングは記録更新。27.27km/2:31:51/5:33kmを走った。時間は早くないが何とか頑張って4分台で走れるように・・・・朝ランは30キロを目指して走り続けることにした。今年の9月まで朝ラン30キロは走れそうだ。諦めずに走り続け、挑戦し続ける。

 

今日も主の栄光のために精一杯に生きるべし。精一杯に愛し合いながら生きるべし。今日も悔いのない一日を過ごすべし。

2023年5月29日月曜日

日々、私たちを担って下さる主

 


主をたたえよ/日々、わたしたちを担い、救われる神を。〔セラ(詩編68:20)

Blessed be the Lord, who daily loadeth us with benefits, even the God of our salvation. Selah.(PSALMS 68:19)

 


一時、雨が止んで散歩へ。2時過ぎである。

ゴミ出し、週報投函、今日はサトー商会ルートを歩いた。外の気温は17℃と記されていた。

一人のランナーを発見。今度のハーフマラソンに出るのかな?と思いながら僕らは歩き続ける。こうして一日が始まった。感謝。

 

救いの出来事は一回のみである。イエス・キリストの十字架の救いの業も一回のみであった。

それで完全であったために主イエスは成し遂げられたと言われたのである。しかし私たちが置かれているこの世界で生きるためには毎日の救いが必要である。それは悪から守られ、誘惑に陥ることなく主の御心に従って生きるための救いである。そのために絶えず聖霊の助けと導きを得なければならない。そのために聖霊の助けを求めて祈り、み言葉による生活が必要である。

 


私たちが主を忘れると、いつの間にか悪が潜んできて憎しみ、妬み、不平不満、非難批判する心が座を設けるのである。だから常に自分自身の心の状態を調べることが重要である。悪魔に隙間を与えてはならない。み言葉と祈りの壁で徹底的に防衛し、そして襲ってくる悪の働きを一騎打ちで破壊することである。これは毎日我々が行うべき聖なる戦いである。しかし主が私たちのために戦って下さることを忘れないように。これが大事である。

今日も主の栄光のために精一杯に生きるべし。

2023年5月28日日曜日

神を畏れ敬う

 1【指揮者によって。伴奏付き。賛歌。歌。】2神がわたしたちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きを/わたしたちに向けてくださいますように〔セラ3あなたの道をこの地が知り/御救いをすべての民が知るために。4神よ、すべての民が/あなたに感謝をささげますように。すべての民が、こぞって/あなたに感謝をささげますように。5諸国の民が喜び祝い、喜び歌いますように/あなたがすべての民を公平に裁き/この地において諸国の民を導かれることを。〔セラ6神よ、すべての民が/あなたに感謝をささげますように。すべての民が、こぞって/あなたに感謝をささげますように。7大地は作物を実らせました。神、わたしたちの神が/わたしたちを祝福してくださいますように。8神がわたしたちを祝福してくださいますように。地の果てに至るまで/すべてのものが神を畏れ敬いますように。(詩編67編)

 


不思議にも人間だけは食べることや飲むことや着るもの、住まいなど生きるための基本的な条件が満たされても心にぽっかりと穴が空いているような感じがする時がある。すべてが満たされても満たされないのが人間である。なぜなら人間は獣と違って永遠を思うように造られた存在であるからである。聖書がそのように教えている。だから時々満たされない自分に気づき、憂鬱な気分になるのである。その意味でも信仰生活は大事である。

 


変わりなく走り、掃除をし、買物や説教準備や料理をして一日を過ごしている。感謝。

この変わりない日頃のルーティンワークが重要である。そしてそれを感謝して生きるのが大切である。日頃の感謝を忘れると不平不満が顔を出す。そして周りで起こる物事をネガティブに考え、結局、イライラする自分に出会い、周りの人々まで嫌な気分にさせるのである。

 


良い事が一つもないと言う人がいる。良い事はいかに自分が良いように生きるかにかかっていることであって自然に訪れるものではない。同じ事柄を、同じ出来事をどう見て、どう受け止めるかによって幸福も不幸も味わうことが出来るのである。どうせ生きるならば幸福を選んで、そのように受け止め、考えて生きるべきである。

 


習慣は第二の天性なり。良い考え方を習慣化することが大事である。自分のために。

 


先日から25キロの朝ランを行っている。これも慣れるまでが大変で、慣れれば大変なことでもない。しかし慣れるまではきつい訓練が必要である。それを乗り越えるかどうかがカギとなる。苦しみを楽しみとして受け止めて生きる事も出来る。何でもできるかも知れない。

悪いこと以外には善い事は何でも行うべし。人々が喜ぶことを行う事も重要である。共に生きるために。

2023年5月27日土曜日

祈りを聞いて下さる主

 


わたしが心に悪事を見ているなら/主は聞いてくださらないでしょう。しかし、神はわたしの祈る声に耳を傾け/聞き入れてくださいました。(詩編66:18-19)

If I regard iniquity in my heart, the Lord will not hear me:But verily God hath heard me; he hath attended to the voice of my prayer.(PSALMS 66:18-19)

 




生き物の中で祈るのは人間だけである。少なくとも自分はそのように考えている。

しかし大事なのは祈ることができる人間ではなく、その祈りを聞いて下さる神様である。

独り言で終わる祈りではなく、返事があり、応答がある祈り、確かな対象がいて聞き入れられる祈りが重要である。聖書は繰り返して人間に祈ることを勧め、そして祈りの対象となる主なる神様を教えている。

 

しかし大切なのは聞き入れられるための祈りはどういうものかを正しく知って祈ることである。まるで空を打つような祈りではなく、ピンポン玉のように跳ね返される祈りである。

そのために行うべき最初の段階は悔い改めである。なぜなら神様は罪人の祈りを聞いて下さらないからだ。聖書はそれが重要であると教えている。悔い改めて清められた心で祈ることが大切である。

 

絶えず私たちは自分の心の状態を確認すべきである。人を憎み、妬み、悪事を働いていないのかを確認することである。絶えず主に向かっているのかを確認することである。主の助けと導きを願い求める心なのかが重要である。神様はご自分を探し求める者にご自分を表す方である。ご自分を切に求める者を主は探しておられる。

 


この世は神様から私たちの関心を奪い、むなしいものに向けさせようとして働いている。サタンの働きである。私たちは毎朝、目が覚めるとまず神の国と神の義を求めて祈り、主を賛美し、主の栄光のために生きることが出来るように聖霊の助けと導きを祈り続けることである。そのために毎日聖書を読み、祈り続けることである。他の方法はない。これが最善で最高の神様に近づける道であり、私たちが誘惑に陥ることなく、信仰によって生きられるカギである。今日も最後まで主の栄光のために精一杯に生きることである。ハレルヤ!生きる。

今日も21キロを走ることが出来て感謝。25キロも自由に走られるようになるまで走り続ける。諦めずに走り続け、祈り続ける。

2023年5月26日金曜日

愛するがゆえに

 


神よ、あなたは我らを試みられた。銀を火で練るように我らを試された。(詩編66:10)

For thou, O God, hast proved us: thou hast tried us, as silver is tried.(PSALMS 66:10)

 


生徒さんに聞くと、一番嫌いなのはテストだという。

確かにテストは好きではない。でもテストによって自己能力を知り、力が増すための機会になるのも事実である。人には限界がある。しかし自分の限界がどこまでかを知る人は案外知らない。なぜならそれが本当に分かるまで努力をしないからだ。自分の能力は自分も分からないかも知れない。死ぬほど勉強をしたことがないので限界が分からない。つまり、自己能力はどこまで耐えられるのかにかかっている。その意味でも出来ない人はいないかも・・・

ただやらないだけ、努力しないだけ、忍耐力が足りないだけのことである。でもこれが大事である。努力する事、忍耐する事、やる気を引き起こす事・・・・

 




信仰も似たような部分がある。

信仰が試されないと自分の信仰は本物かどうかが分からない。平和の時には信仰が分からない。でも突然苦難が襲ってきた時にようやく自分の信仰がどういうものかが試される。そこで人によって信仰が強められるか、あるいは捨てるかが決まるのである。実際に試練に耐えられて信仰が強くなった人がいれば、信仰することを止めて教会から離れ去る人がいる。

その主な要因は自分の知恵と力で信仰生活をしようとする人は試練に出会うと教会から離れ去るが、聖霊に頼って信仰生活をする人は試練に耐えられ、最後まで教会に留まるのである。そもそも試練は愛する子供の信仰が強められるために神様が許すことである。その受け止め方によって最後まで耐えられるようになる。

 


神様は愛の神様である。愛するがゆえに試練を許すのである。

2023年5月25日木曜日

一人よりは二人が良い

 


ひとりよりもふたりが良い。 共に労苦すれば、その報いは良い。 倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。 倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。コヘレトの言葉 4:9-10

Two are better than one; because they have a good reward for their labour.

For if they fall, the one will lift up his fellow: but woe to him that is alone when he falleth; for he hath not another to help him up.(Ecclesiastes 4:9-10)

 


一人がいい、という人がいる。

一人より二人がいい、という人もいる。

いつもではなく、その時の状況によって一人がいいし、また、二人がいい、と言う。

人間は変わりやすい生き物である。

良し悪しではなく、人間だから仕方ない。

だから人間をいつまでも信じることは出来ない。

相手が悪いのではなく、そもそも人間はそういう生き物であるからだ。

これが分からないと人間に躓き、失望し、相手を憎むようになる。

人間は変わりやすい生き物だ。

これは真理である。

だから人間を信じることは出来ない。

信じるのは神様のみである。

 

人間はむしろ弱い存在であるために助けと支えが必要である。励ましと褒めることが必要である。弱い者同士が集まって人間社会を作り、今の世界を作った。それで強くなったと勘違いしている。高慢になる。しかし、突然起こる自然の力の前で破壊され、無力な存在であることに気づかされる。再び弱い存在であることを認める。しかしまた高慢になる。それでまた破壊され、みじめな存在であることを認める。人間の世界はこの繰り返しである。

 

全能なる神様を認めようとしない人間は、結局、滅ぼされる。人間は主なる神様を褒め称えるために造られたのに、自分自身を褒め称える。神様を知ることが私たちが生きられる道である。今日も神様を知るために聖書を読み、祈り、黙想をする。絶えず神様を認めて生きることが大事である。主なる神様こそ、褒め称えるべき唯一の方である。

2023年5月24日水曜日

御言葉が豊かに宿る生活を

 


キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。(コロサイ3:16)

Let the word of Christ dwell in you richly in all wisdom; teaching and admonishing one another in psalms and hymns and spiritual songs, singing with grace in your hearts to the Lord.(Corossian 3:16)

 

白鳥ちゃんは少し衰えていた様子だった。

雨上がり、しかし曇りである。

ノアちゃんにとってはちょうどよい気温かも知れない。286号線を歩くと看板に12℃であると記されていた。今日は広瀬川沿いの道は止めて街の中を歩いた。雨の時や雨が止んだ後は街を歩いている。なぜなら草のところを歩くとノアちゃんの毛に泥がついて汚れるからだ。本人は別に気にしないが、掃除をしているこちらは気にするところだ。これは飼い主の特権である。でもたまにノアちゃんが行きたがっているところへ方向を変えて散歩する時もあるので決して不公平ではない。神様のみ分かることだが・・・・・・

 

今日は約21キロをランニングを行った。今日から5日間走り、1日は休むことにした。そして3日間は太白自然観察の森方面21キロを走り。2日間は太白小学校を一回りして、富沢駅方面へ走り、名取川、そして広瀬川沿い約25キロを走ることにした。何よりも続けることが大事である。

 

キリストの言葉がわたしたちの内に豊かに宿るようにするためにはまず聖書を読まなければならない。繰り返して読み、み言葉が示している生き方に従って歩み続けることである。

そこで欠かせないのが聖霊の助けと導きである。結局、聖霊の助けと導きも聖書と祈りの生活から生み出されることになるので基本は同じである。しかし問題はこの基本的なことを多くのキリスト者は行わない事だ。

 

今日もみ言葉と祈りによってスタートする一日である。そして精一杯に愛し、生きることである。今日も悔いのないように時間を大事にして生きよう。食べる事、飲む事、見る事、聞く事にも節制して生きよう。時には沈黙の時が必要である。毎日、沈黙の時を設けて生きよう。意識的にイエス・キリストを忘れずに覚えて生きよう。ハレルヤ!