2023年12月31日日曜日

今やることである

 


2023年の最後の朝はランニングでスタート。まだ暗い朝を走り、25キロ完走。無理せずに走り続ける。

曇りで朝日は見られなかったけど、ハクチョウの姿を見て感謝。帰りに長町の近くの餅屋の前を通ると餅のにおいが空腹をさらに刺激させる。美味しい餅の匂いだ!!!

最後の主の日の礼拝も無事に終わり感謝。

 

パパ、肉が食べたい!!!

そのリクエストに応えて、夕食はローストチキン二種類を作った。また常備用ですぐ食べられるようにカレーも作った。さらに、卵かけご飯にかけるソースも作って置いた。こうして自分の一日は終了。

あとは寝るだけだ。昔から年越しそばとは縁がなく、その前に寝てしまう。年越しても引き続く今の戦争、多くの戦い、争い、政治の裏金の問題、憎しみ、絶えない事故や事件・・・・こういう状況の中で我々は生きている。だから一日の笑顔、喜び、平和、幸せが大事である。明日の悩み事に縛られて与えられた大切な今を無駄にして生きることはできない。明日は明日の太陽が昇るはず。今日は、今日の太陽の光に照らされて精一杯に生きるべし。仮にぶつかっても、失敗したとしても挫けず、立ち続ける、生き続ける、そういう人が真の勝者となる。決して諦めずにやり続ける人だけが夢をつかむことができる。今、やれる時に挑戦し、行うことが重要である。やりたいけれどもやれない日が必ずやって来るからである。今を生きるべし。生きよう!!!

2023年12月28日木曜日

恐れるな

 


「恐怖は反応であり、勇気は決断である。」第二次世界大戦の時に語ったイギリス首相チャーチルの名言である。人間は何かに恐れる場合がある。人間なら誰でも恐怖心を感じる。なぜなら最初の人アダムが神様の御前で罪を犯した時に現れた最初の反応であるからだ。それ以来、人間は恐怖心を抱くことになった。これは生まれつきの人間の本性である。しかしこれには人によって差が出てくる。よく恐怖心を抱く人とたまにしか恐怖心を抱かない人がいる。ある意味、それは習慣と自己コントロールを通して克服できるものである。そしてもう一つ、完全に克服できる道もある。

 

人間が究極的な恐れを感じるのは死である。病気の時に不安や恐怖心を感じるのもその死から来るのである。つまり、「死ぬかもしれない。」という恐れから来るのである。だからもし自分の死の問題が解決されるとこの世で恐れる事は何一つない。それを教えたのはイエス・キリストである。死を打ち破って甦られた方である。そして主イエスによって救われた者には死に飲み込まれず生きられる力と道が開かれている。つまり、恐れなしに生きることが出来るという事である。これが福音であり、まさにイエス・キリストによってもたらされる良い知らせである。

 

わたしはあなたを固くとらえ/地の果て、その隅々から呼び出して言った。あなたはわたしの僕/わたしはあなたを選び、決して見捨てない。恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支える。(イザヤ書 419節~10節)

 

年末で街は賑わう。良い事だ。事故や事件に巻き込まれずに平和の内にこの年末年始を過ごして頂きたい。そう祈りながら今日の一日を締めくくる。

2023年12月27日水曜日

少しは相手の事を考えて生きる

 「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

 


昨日は自分にとって珍しい時間帯に散歩に出かけた。(訳アリ)午後3時半。大年寺階段から愛宕神社、広瀬川沿いへ。この辺のハクチョウは越路組と広瀬橋組に分かれて過ごしている。数は広瀬橋組の方が多い。



宮沢橋の新橋の工事も進められている。



歩く内にだんだん暗くなる。工事の人々、犬の散歩の人々、走る人々、歩く人々、家路に向かう人々、ハクチョウたちにエサをやる人々。



満月だ。

歩くといろんなものが目に入る。古いものは壊されてなくなり、新しいものが出来上がる。

途中、車検のために車を預けたところから電話があり、そのまま車を取りに行って無事に帰宅。感謝。

 

今日は今年最後の聖書研究祈祷会。

今年も最後まで祈祷会が守られて感謝。


孤独なハクチョウ(勝手に考えたことであるが・・)は一人で厳しい季節を乗り越えたけれども、冬の季節が訪れ、さらに多くのハクチョウたちがやってきたとしても変わることはない。仲間に入れてもらえず、入れてもらおうともしていないかも知れないが一人で生きている。白鳥は、親子、夫婦の絆が大変強く、つがいはどちらかが死ぬまでかわることがない。と言われている。するとあの子は死ぬまでひとりで生きることになるのか、と考えてしまう。そういうことがないように・・・・・

 半年以上の入院生活を終えて自宅に戻ってきたとしてもそこはパラダイスではない。もちろん自宅以上に居心地の良い場所はないはず。(人によるかもしれないが)でも思う通りにならないことや再び家の人々とぶつかることがあるからだ。やはりパラダイスを造るのも地獄を造るのも自分自身であるかも

知れない。言いたいことを全部言って、やりたいことを全部やりながら生きる人は少ない。仮にそれらを果たしながら生きるにしても幸せになることはない。もう少し節制し、忍耐し、我慢し、相手を少しでも理解しようとする心の余裕があれば十分パラダイスの世界の中で生きることが出来るかも知れない。

 


いつも自己中心で周りを見るのではなく、判断するのではなく、行動するのではなく、少しは相手を中心にして生きると家庭が、社会が、国が、世界が変わって来る。今の戦争や争いの原因はすべて自己欲にあるからだ。自己犠牲は結局、自分のためになる。これは聖書が教えている真理である。信じる者のみが実行することができる。家族の、家庭の平和を望むなら忘れてはならない大切なことである。


今日は祈祷会の後、仙台へ行く。朝市で買物。今日も料理を作る。自分にとって飽きない事、1年以上もやり続けている事、苦しみや悩みと感じないことがいくつかある。礼拝説教、教会員や周りの人々のための執り成しの祈り、聖書読み、ランニング、語学勉強、料理、掃除、買物、歩く事など・・・・考えてみれば結構あるかも・・・・・感謝である。今日も生きよう。共に生きよう、祈りながら生きよう・・・

2023年12月26日火曜日

与えられた力を発揮して生きる

 


一行がエリコの町を出ると、大勢の群衆がイエスに従った。そのとき、二人の盲人が道端に座っていたが、イエスがお通りと聞いて、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と叫んだ。群衆は叱りつけて黙らせようとしたが、二人はますます、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と叫んだ。イエスは立ち止まり、二人を呼んで、「何をしてほしいのか」と言われた。二人は、「主よ、目を開けていただきたいのです」と言った。イエスが深く憐れんで、その目に触れられると、盲人たちはすぐ見えるようになり、イエスに従った。(マタイによる福音書20章)

 


今年も後6日。

6日間に出来る事?

6日間で神様は無から天地を創造された、と聖書は伝えている。

私たちは?

2023年を振り替えて見る。

良い事、悪い事、笑った事、泣いた事、怒った事、楽しんだ事、出会った事、別れた事・・・・実に様々なことを経験しながら生きるのが我々人間であり、それが人生である。幸せばかりの人生はないし、不幸なことばかりの人生もない。ただ自分に訪れる出来事を、環境や状況をどう受け止めるかによって幸せな人生を造り上げるか、否かが決まるだけである。つまり、その受け止め方によって悪い状況もプラスになるし、良い状況もマイナスになる。決めるのは自分自身である。どのような人生を生きるかは、自分にかかっている。決して人のせいにしない、環境や状況のせいにもしない。人にはすべてを乗り越えていける力がある。ただその力を使わないし、あることさえ知らず、ただ急に襲ってくる最悪な環境や状況に旗印をあげて敗北者になってしまう。力は使えば使うほど強力になっていくものである。その力を神様は人間に与えてくださったのである。ただその力を神様のために、そして人のために使うことを神様は命じている。それが結局は自分のためになるからである。それを知って生きる人が真に賢い人である。その賢さを十分発揮していきるべし。

 

2023年12月25日月曜日

シンプルで良い

 



彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。

 

今日はクリスマス。

しかし、クリスマスらしくない日として過ごす。これが日本類である。25日が平日であるからだ。

主イエスが誕生したベツレヘムでも平和を願いながら礼拝が捧げられた。しかし戦いは続く。

一方では平和を願い、一方では戦い続ける世界。実に不思議な世界である。こういう姿はどこにでも見られる。人が暮らしているところはどこにでもある姿である。本当は何を願っているのか、分からない。

平和なのか?戦いなのか?人間は不思議な存在である。

 

今日は24キロ完走。やはり日が出て走ると体が熱くなる。日を浴びることは良いことだ。

大年寺階段から愛宕神社へ歩いて行くと新年初詣のための準備が進められている。大勢の人が訪れて

願い事をする。・・・別にかなわなくても神社のことを大きな問題にしない。そういうもんだと考える。

これが日本類の願い事である。シンプルでいい。複雑に、深刻に考えない。そして受け止めない。これもいい。良いことは良いもんだ。こうして一日が終わる。

2023年12月24日日曜日

不思議な神様

 


主イエスの誕生の場面を思い描いてみる。

家畜小屋、ヨセフとマリア、羊飼いたち、博士たち、家畜小屋なので牛や羊はいたかも知れない。10人足らずの人々に囲まれ飼い葉桶に寝かせている救い主イエス・キリスト。決して騒がず、静かに幼子イエス様を見守っていたことでしょう。これがクリスマスの出来事である。

 

それから2000年が過ぎ、クリスマスは決して静かな時ではなくなったのである。賑わい、騒ぎ、華やかで、大勢の人々が楽しむ時となったが、そこにはクリスマスの主人公であるイエス・キリストはいない。

いや、いないのではなく退けたのである。だからそういう人々にとってクリスマスでなくても構わない、ただ多くの人々が関心を寄せる日があればそれを都合の良い日として造り替え、自分たちの楽しむ時とするのである。

 

彼らには意味なんか関係ない。ただ感情に従って、欲求に従って、本能的に過ごすことが大事であると考える。だから何一つ残るものもない。どんちゃん騒ぎが終わると虚しさだけが疲れだけが残される。これを繰り返す内に時は過ぎ去り、歳を取って悔いだけが残ってこれまでの人生を物語るようになる。

 

それでも神様はそういう人々を諦めないで救いへと導くことを願って周りの人々を通して真理の道へと意味ある人生へと導き出す方である。実に不思議な方である。だから人間はそういう神様が理解できない。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。(ヨハネによる福音書3:16-17

メリークリスマス!

 


彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。(マタイ2:9-11

 

クリスマス礼拝の朝である。

今日の朝は、戦場のところでも、王室でも、羊飼いのところでも、病院でも、監獄でも、宇宙でも、地の果てでも訪れる朝である。この朝を拒否できる場所は存在しない。そして全人類の救いのために救い主イエス・キリストが生まれたことも否定することができない。ただ出来るのはその救い主を受け入れるか否かである。かつて真の平和の王が生まれたベツレヘムでは戦いが続き、多くの人々が今も死の恐怖に包まれて、怯えて過ごしている。人間が始めた戦争である。いったいどれだけの犠牲者が出れば終わるのだろうか?世界各地で戦いは続き、この日本では政治家の裏金で騒ぐクリスマスと年末となった。

 

相次ぐ事故や事件、さらに家庭はどうだろうか?全部ではないが、平和は消え去り葛藤と憎しみと争いが続く。親は施設に入り、施設の職員たちが準備したクリスマス会に参加するだろう。はたして幸せだろうか?そんなはずがない。だからといって対策があるのでもない。ただ死ぬまでそこにいて過ごさなければならない現実。ならばそこでも意味ある日々を送るための本当の福音が必要である。良い知らせが必要である。それをもたらしたのが救い主イエス・キリストの誕生である。イエス・キリストこそすべての環境や状況にある人々を喜びへと、真の希望へと導くことができるのである。死さえ恐れずに生きられる福音がここにある。その真の光がすべての施設、すべてのところに差し込んで人々に喜びを与えてくれるように祈るクリスマスの主の日の朝である。

2023年12月23日土曜日

時には沈黙も

 


教会の工事も午前中で終わり感謝。この一週間、牧師室の近くで24時間送風機をまわして少し煩わしい環境であったがようやく終了して感謝。午後は静かに明日の礼拝に備えて過ごしている。ケーキは?これまでケーキを買ってもらったことはあったかな?・・・・自分も要らないと言ってきたのでないのが自然である。今、自分の関心は明日の礼拝と洗礼式と久しぶりに訪れる人々に会うことである。楽しみにしている。大きなイベントや出来事はないけれどもこういった平凡な日々の中で現れるちょっとした変化に喜び、感謝して生きることが大事である。多くの事を、大きなことを期待せず、無事に過ごしている

今を感謝しながら生きることである。

 


久々に広瀬川に行くと30羽以上のハクチョウでにぎわっていた。しかし今日も例のハクチョウは群れから離れて一人で優雅に過ごしている。それでいいだろう。自分が良ければそれでいい。余計なことを言うのは人間だけである。時には沈黙も大事である。言いたいことを全部言ってどう生きるだろうか?たまには言いたいことも我慢して静かに過ごすことも重要である。それが自分のためになるからである。

僕になる

 


ChatGPT画面を開くと、最初にHow can I help you today?という言葉が表示される。

助けてほしいという人々が多い中、上のように問いかけて実際に質問に直ちに答えてくれる機械があるのも時には人生にプラスになる。

 

イエス・キリストもご自身こう言われた。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」人々の上に立ちたがる人が多い中で、主イエスはあえて僕になることを命じている。

 

主人の足を洗うのは僕の仕事である。同じく私たちも人々の足を洗うように、そのような姿で、態度で生きなさいという。まず家族に対して皆が主イエスの教えに従って僕のように歩むならばどれだけ家庭が平和で、笑顔で、喜び溢れるだろうか。決して不可能な事ではない。そのような生き方を望むか否かの問題である。生きる。僕のように、まず家族に対してそのように生きよう!!!これが結局は自分のためになるのだから。

祈り続ける

 


会堂で祈る中で誕生日を迎えたことに感謝。

やはり人間は歳が重なる度に罪も増すのである。けっして善い人にはなれない。

罪悪の本質をもっているからである。主イエスの名によって神様に祈ると罪は赦されるが、罪悪な本質はなくらない。死ぬまで人間の内に存在する厄介なものである。しかし主イエスは祈り続けることを命じている。赦す神様がいる。祈ると赦される人間がいる。自分の罪悪な本質と闘い続ける人生である。

最後に勝つのは諦めない側である。祈ることを諦めない人は最期に勝つ。だから罪を犯しても祈り続ける。今日は祈りとワインとカステラか?・・・・・・・・

2023年12月22日金曜日

見えない部分を見ようとする人

 


見えるものしか見えない人々がいる。

見えない部分まで見る人々がいる。

自分の目で見たものがすべてであると信じる人々がいる。

自分の目には見えない他の部分があると信じる人々がいる。

自分の目には見えない部分を見ようとする人々もいる。

しかし見えない部分には関心がなく、見える部分だけを取り上げて問題にする人々が多い世界である。

それが話題になるからだ。

これもやはり幼稚な人間の姿である。

自分の人生を生きる

 


100年前の人々の暮らしを考える。今と比べれば不便であったに違わない。今は最先端の技術と発達した科学によって現代社会に便利な暮らしを提供したのである。しかし物は便利になったが、現代人はますます幼稚になって行く。

よく言われている幼稚な人の特徴5つがある。

1)喜怒哀楽が激しい

2)人を馬鹿にする

3)失敗するといつまでも引きずる

4)協調性がなく自己中心的

5)突発的な行動が多い


 殆どの情報のない社会の中で自ら考えて行動した100年前の人々と違って今は情報があり過ぎてどれを選んで行動すべきかを考えなければならない時代になったのである。また一々検索して選ぶ人生を生きている。さらに人の目を気に過ぎて自分を生きることが出来ず、顔マスクをつけて自分でないもう一人の仮想の人を造り上げて生きる人々もいる。なぜなら他人の目を、判断を気にするからである。今は自ら考えない世界である。AIのような機械に依存して代わりに考えてくれることを、さらに判断してくれることまで頼って生きるためにますます幼児になり、幼稚な人間になっていくのである。自ら考えて、自ら判断して、自ら行動することが出来る人になることが重要である。失敗を恐れず挑戦することが大切である。諦めない粘り強さ、忍耐、勇気と行動力・・・今、求められる事柄である。生きるために・・・

歳をとる

 




残り約1時間半。58歳になるまでの時間である。

歳が止まる時がある。死んだ時である。数字が止まる。。。。一桁、二桁、三桁の人生を望みながら生きる人はいるだろうか?ただの長生きが幸福ではないことは誰もが知っている。

質である、と言う。人生の質・・・でもその質は人によって異なる。人に合わせることもなければ、人生の質を定義することもない。自己満足だろうか?これもないな・・・

やはり私たち人間は人生の質を決めることが出来ない。わたしたちに生きる命を与えてくださった神様のみそれを定義することが出来る。神を愛し、家族を、隣人を自分のように愛することである。

愛こそ、最高の戒めであり、すべての問題を解くカギである。そう信じて58歳の新しい人生を迎えよう。

寝ている内に歳を取ったと言いたくないので徹夜でもしようか?しばらく仕事だ。生きよう!!!

イエス様の答えは?

 


同じくイエス様にも聞いてみました。

Q: 今日の現代社会に適応するために知っておくべき10の基本的なことを教えてください。

すると・・・・

A:

1「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」

2「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。」

3「あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。」

4「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」

5「あなたの父と母を敬え。」

6「殺してはならない。」

7「姦淫してはならない。」

8「盗んではならない。」

9「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。」

10「あなたの隣人の家を欲しがってはならない。」

さらに二つの大切なことが付け加えられました。

神を愛し、隣人を自分のように愛しなさい。

AIの考え方は?


先日ChatGPT 3.5に質問をしました。以下のように内容です。

Q:今日の現代社会に適応するために知っておくべき10の基本的なことを教えて。

 

A:今日の現代社会に適応するには、社会的、技術的、文化的認識を組み合わせる必要があります。 知っておくべき10の基本事項は次のとおりです。

 

デジタルリテラシー:スマートフォン、コンピューター、インターネットなどのデジタルテクノロジーを理解し、活用することは、今日の社会において非常に重要です。 基本的なコンピューター スキル、オンライン セキュリティの意識、デジタル プラットフォームを操作する能力が不可欠です。

 

ソーシャルメディアのエチケット:人気のあるソーシャル メディア プラットフォームの規範とエチケットをよく理解してください。 何を共有するか、他の人とどのように関わるかを意識し、オンラインでのポジティブな存在感を維持することが重要です。

 

文化的多様性:文化的多様性を受け入れ、尊重します。 現代社会は多文化であることが多いため、オープンマインドで寛容で文化的に敏感であることが、効果的なコミュニケーションとコラボレーションの鍵となります。

 

金融リテラシー:基本的な金融知識は必須です。 予算編成、貯蓄、投資、借金の管理などの概念を理解します。 経済動向について常に最新の情報を入手し、持続可能な経済的未来を築くことの重要性を認識してください。

 

クリティカルシンキング:情報を批判的に評価し、情報に基づいた意思決定を行うための批判的思考スキルを開発します。 入手可能な情報が豊富にあるため、信頼できる情報源と信頼できない情報源を区別できることが重要です。

 

健康とウェルネスの意識:身体的および精神的な健康状態に注意してください。 健康的なライフスタイルの選択、メンタルヘルスの実践、ワークライフバランスの重要性について常に最新の情報を入手してください。

 

環境意識:環境の持続可能性の重要性を認識します。 エコロジカル・フットプリントに留意し、環境問題について常に最新の情報を入手し、日常生活に持続可能な習慣を取り入れてください。

 

適応性:急速な変化に直面したときの適応力を養います。 現代世界はダイナミックであり、新しいテクノロジー、雇用市場、社会の変化に適応できることは貴重なスキルです。

 

コミュニケーションスキル:効果的なコミュニケーションは、個人的な場面でも仕事上の場面でも非常に重要です。 デジタル通信や仮想環境でのコラボレーション能力など、強力な口頭および書面によるコミュニケーション スキルを開発します。

 

地球規模の問題:世界的な問題や現在の出来事についての最新情報を入手してください。 世界情勢のより広い文脈を理解することで、情報に基づいた会話に参加し、社会に有意義に貢献する能力が高まります。

これらの点が基礎として機能し、継続的な学習と適応が、ペースが速く変化し続ける現代社会で成功するための鍵であることを忘れないでください。 

問題を解くカギは自分にある

 モーセは死んだとき百二十歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった。(申命記34:7

 


今日は最後の57歳の日である。

90歳の女の人が大学で修士課程を修了したとの話が話題になった。彼女はインタビューで歳はただの数字に過ぎないと言ったそうだ。しかし、人間の歳はただの数字だけではない。人間の歴史であり、そこにはこれまでのすべての人生が含まれている。苦しみの人生、痛みの人生、悲しみの人生、悔しい人生、喜びの人生、幸せだった人生、様々な人生がその数字に集約されている。歳をとり黄昏の時を迎え、静かに、余裕をもって最後の浪漫を味わいながら生きることが出来ず、最後まで病気のために、介護のために苦しみ続けられる人々はたくさんいる。黄昏の人生を家族の介護のために苦しみ、悩みながら絶望の日々を送っている人々がいる。こういう人々にとって歳はただの数字ではない。重荷であり、鎖であり、束縛である。これらは不公平だろうか。

 


自分に何が間違ってこういう苦しみの日が続くのだろうかと嘆き、涙を流す人々がいる。

誰一人、答えられない。いくら良い言葉を語り聞かせても慰められない。なぜなら状況は変わらないからである。彼らが、彼女たちが求めるのは今の苦しい状況からの解放である。自由である。誰が救い出すことが出来るだろうか?主なる神様、救い主イエス・キリストである。これが答えである。

 


多くの人は環境が変われば、状況が変われば自由になれると考える。何とかなると期待する。もちろんそういう場合もあるだろう。しかし多くの場合、嫌な環境や状況はまた戻ってくるものである。なぜなら人間がいる中で暮らし、仕事をする限りこういう状況は変わらないからである。良い人ばかりの組織は存在しない。だからといって悪い人ばかり存在する組織も存在しない。(ギャングなどの特別な組織を除いて。)要は環境や状況の改善よりは自分が変わることが一番の道である。それらの最悪な環境や状況に対して適応できる力と知恵を身に着けることが最善の道である。でもまだそういう力がないのにそういうところで居続けるのは自分を破滅に落とす罠になる。時には逃げ出すことも、離れることも必要である。人間がいるところは難しい世界である。こういう難しい世界で生きるのはサバイバルゲームのようなものである。生き残るための闘いの人生となる。でも一番の敵は自分自身である。諦めようとする、逃げ出そうとする、白旗を上げようとする自分に勝つことがすべてに打ち勝つことになる。結局、人生の問題を解くカギは、自分が持っている。生きよう!!!諦めずに前に進もう!!!今日も、そして明日も!!

2023年12月21日木曜日

生き方は自分で選ぶ

 No hay meta inalcanzable, solo gente que se cansa a mitad del camino

"There is no unattainable goal, only people who get tired halfway."

「達成不可能な目標など存在しない、あるのは途中で飽きてしまう人間だけだ。」

 


昨日から再びランニングをスタートした。約二週間ぶりのランニングだったのでやはり膝や足の痛みが・・しかし、走り続けることにした。昨日は23キロのランニングだった。しかし今日はやはり膝の痛みがひどくなり、結局、途中、走るのは止め、大年寺階段から約2時間の歩きでまかなった(?)。


でも明日もまた走ることにする。痛くなったら歩けば良い!!!その内、元に戻り30キロランニングが出来るようになる。残り11日間で元に戻すのが目標である。おそらく出来ると思う。自分の身体の事は誰より自分がよく分かっている。

 


お蔭で久々に広瀬が沿いの風景を見ながら歩くことができた。あちこちで工事が行われ、その間にハクチョウたちは群れを成して過ごしている。また例の一羽は今も離れた所でひとりで過ごしている。一人で過ごすことも慣れているようだ。生きることだ。

 


教会の工事も朝早くから行われている。今週中には終わるそうだ。感謝。静かに年末を過ごすことができるようになるので感謝。明日の命が保障されない戦火の下で過ごしている人々がいる。反対に豊かな生活に飽きて別の生き方を考えている人々がいる。貧困で苦しむ人々がいる。明日が来なければよいと考える人々がいる。余命が宣告されて一日一日を大事にして生きている人々がいる。これ以上長生きしたくないと考え、早く死にたいと考える人々もいる。実に複雑な世界である。こうした世界で私たちはどう生きるべきかを考える。



それに対して聖書は明確な答えを出している。主の栄光のために、人々のために、愛する家族のために生きることである。それが自分がどんな状況の中でも生きなければならない理由であり、目的である。だからある意味、生きる意味と価値を得て生きる人は幸せな人である。人がさ迷うのは生きる意味を見出すことが出来ないからである。なぜ仕事をするのか?そのためである。なぜ食べるのか?そのためである。


今日も主の栄光のために、主が喜ぶことを第一に考えて生きることである。そして人々のために、家族のために生きるのである。人にしてもらう事よりはしてあげることをまず考えて生きることである。すると心が楽になる。人が心の平和を失い、楽にならない理由は反対のことを要求するからである。この生き方は簡単ではないが、けっして難しくもない。どれを選んで生きるかは自分が決めることである。良いことを選んで生きる人が賢い人である。
今日もそのように生きることである。

2023年12月19日火曜日

恵まれた人

 イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。(マタイによる福音書513節)

 


サンティアゴ祈りの旅から帰って来て5日目を迎えた。まだ夜昼が逆になり、なんとか正常に戻そうと頑張っているところである。でも以前からの生活とあんまり変わらないのでそれほど時間はかからない。

現在、教会は工事中。毎日のように工事の人々が出入りして作業を行っている。いつも神様はサインを送り、また導いて適切な時に適切な措置が取られるように助けてくださる。ある日、倉庫の床の点検口を開けてみたら水が大量に溜まっていた。大変な状況であることに気づき、至急知り合いの業者に連絡して見てもらった結果、早めの措置が必要である事。長老会に話し、サンティアゴ祈りの旅の前に段取りをつけておいて工事は始まることになったのである。でもけっこう大掛かりになって工事が進められている。

でも今の段階で不具合が見つかり工事が進められていることに感謝である。会堂が出来て以来おそらく誰一人その点検口を開けてみた人はいなかっただろう。それが神様の不思議な導きである。

 


これまで仙台長町教会に赴任してその神様の導きをたくさん経験している。小笠原先生のことも、どの牧師が土曜日の午後に(牧師にとって礼拝の準備で一番忙しい時である)約束したわけもでないのにその施設をそれも初めての場所をただナビに頼って会いに行くだろうか。しかしそこで2時間以上も先生と話し合い、翌日、先生は天に召されたのである。だから恵み豊かな葬儀が出来たと思う。また政隆兄のことも同じである。今度は土曜日の午後ではなく、日曜日の礼拝の前の時間帯に初めての病院をナビに頼って訪ねて行ったのである。一番忙しい看護師たちの申し送りの時間帯である。にもかかわらず親切に案内して政隆兄を休憩室まで連れてきてくれたのである。そこで話し合うことが出来たのもすべては神様の導きによってのみ可能であったことだろう。こういうことが数え切れない程、たくさん経験させられ、恵みの日々を送ることが出来たのである。


ある意味、それは心貧しくなったからこそできたことかもしれない。人々は心を豊かにするために努力している。自分の心をあらゆるもので満たそうとして頑張っている。愛で満たし、お金で満たし、名誉で満たし、権力で満たし・・・・・けれども心はそれらでは満たされないことがわかり、他のもので満たそうとして探し回るのである。結局、それが見つからず挫折して生きるのである。なぜなら人間を創造した主なる神様以外にはその人間の心を満たすことが出来る方はいないからである。心が貧しくならなければ神様を探し求めることができないのである。心が貧しい人はいつも神様に頼って、神様に祈り、神様の約束の言葉を黙想し、神様を思いながら生きるのである。その結果、様々な状況や環境の中で最善の道を備えてくださり、不思議な出来事を経験させて下さるのである。それをひと言で言うならば「恵まれた人」と言う。何もかも自力で行おうとせず、主の御手に委ねながらしかし、精一杯に頑張って御心に適う事を願いながら歩み続けることが重要である。つまり、優先順位がまず神様の栄光のために、人々のためになることを願いながら生きることである。そういう人を主は捉えて下さり、すべてのことが良き結果になるように導いてくださるのである。そのことを思いながら今日もまず神の国と神の義を求めながら歩み続ける人生を生きるのである。

2023年12月6日水曜日

7th El Camino de Santiago 1-3

 05-Dec-2023-Tue





現地時間7時頃マドリード空港に着いた。入国手続きを経て荷物を受け取りに暫く待ってバッグを受け取りターミナル2へ移動。わりと中からスムーズに行くことが出来感謝!事前チェックインをしたので便利だった。セキュリティ検査を終えて搭乗口へ。ポルトゆきの飛行機は10時35分発のAirEuropaである。スペインとポルトガルは1時間時差があるためにポルトには10時35分頃に着く予定だ!

とりあえず中のレストランでドーナツとクッキーとアメリカノを8.20ユロで食べて飲んだ!流石に疲れた!プライトが長かったからだ!感謝する。無事に問題なく飛行機に搭乗し、ポルトに着きますように。主よ、助け給え!ハレルヤ!




無事に飛行機に搭乗した!感謝。

Air Chinaとはかなり雰囲気が違う!自分に合うのはヨーロッパの飛行機かも。余計なアナウンスがない。そして静かだ。

お腹空いた!

予定通り飛行機は飛び立ち予定通りポルト空港に到着した。片道切符を買ってメトロに乗り込み今ダウンタウンに向かっている。15駅だが時間は約30分だ。曇りである。駅から降りたらまず予約した宿泊先へ行って場所を確認したらランチを食べる。チェックインは15時だからまだ時間は十分ある。

今日のアパートメントホテルを探すに結構苦労した。何んもの人や警官にも聞いたが分からず、結局はもう一度地図を見て辿り着いたけど、自分の弱点であるが今回旅にそれを克服する!

無事にチェックインして部屋に入った。とても綺麗でちゃんと整えている!ウエルカムワインまで置いてあった!まず、部屋を確認してシャワーそれからランチをするために近くの街を歩いた。ステーキのレストランがあったので一番の客として入った。飲み物とステーキを注文した。すぐに客が次々と入って来た!お肉は柔らかくて美味しかった!






ランチの後は街を把握するために散歩!あちこちクリスマスイルミネーションが飾られていた!歩くと7年前に来て歩いた感覚がよみがえられて大体分かるようになった。少し買物をして一旦戻り夕方6時過ぎに点灯したクリスマスイルミネーションを見るために街へ!


シャワーラン

  あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。(マルコ 13 : 37 )   今日は雨の中を走り続けた。シャワーラン。 22 キロ完走。 雨にぬれてもまだ気持ち良い時期である。 これが一気に寒く感じるようになる。 それを常に意識...