2023年2月28日火曜日

やはり主なる神様


主は命を絶ち、また命を与え/陰府に下し、また引き上げてくださる。(サムエル記上2:6

The LORD killeth, and maketh alive: he bringeth down to the grave, and bringeth up.(1 SAMUEL 2:6)

Der HERR tötet und macht lebendig, führt in die Hölle und wieder heraus.(1 SAMUEL 2:6) 

本格的な花粉シーズンの到来で自分の活動範囲が一気に狭くなった。室内に限定される日々を送る。外に出るのは早朝のノアちゃんとの散歩とランニングのとき。買物も出来るだけ午前中車で行うことにした。だからといって心の世界までが狭くなったわけではない。いつものように心は自由で、広々とした世界を、さらに神様がお造りになった宇宙にまで出かけることが出来る。主の御手に乗せてもらい世界を、宇宙を旅する。


人々は神様を知らない。知る訳がない。もちろん神様の御心を理解することも出来ない。だから神話というものが生まれてきた。人間の想像の物語である。しかし聖書は人間の想像の物語ではない。神様の言葉である。そこに書き記されたのは神様の姿である。神様の本質である。神様の人間に対する思いである。愛の物語である。神様を神様として畏れ敬うことが一番大事なことであり、人間が持つべき一番基本的な態度である。そういう人を神様は愛し、高めてくださる。今日も主なる神様の御前で生きること。これを一時も忘れずに生きる場合、全ての悪から逃れられ、悪に隙間を与えることもせず、自由と平和に生きることが出来るのである。


2023年2月27日月曜日

父の御心を行う者

 


「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。(マタイ7:21

Not every one that saith unto me, Lord, Lord, shall enter into the kingdom of heaven; but he that doeth the will of my Father which is in heaven.(MATTHEW 7:21)

Es werden nicht alle, die zu mir sagen: HERR, HERR! ins Himmelreich kommen, sondern die den Willen tun meines Vaters im Himmel.(Matthäus 7:21)

早朝はまだ冷え込む。マイナスだ。3時57分にランニングスタート。早朝のメリットは人も車も少ない事で、ある意味、自由に走れる。暗いところもあるが、何とかライトに照らしながら安全を確保して走り続ける。坂道も多いが、きついのは生き苦しいではなく、ひざの痛みである。何とか耐えながら帰りの道を走り続ける。大年寺公園に着くとちょうど日の出が始まる。


今日も生きる。

主の御心を行うことを第一の事として受け止めて生きることである。人が何をやろうが、時は流れる。その時は人々が歩んだ道を消すのではなく、残す役割をする。そして神様に報告する。最後の審判の時にはそれぞれ自分が歩んだ道が公にされそれに対する報いが与えられる。

主なる神様は愛の神様であるが、同時に正義の神様であることを忘れてはならない。必ず不義は罰せられることだ。これを恐れる事はない。罰せられる罪は赦されたからだ。信仰によって我々は義の審判を受けることになる。ここに真の希望がある。

まず神の国と神の義を求める人生は本当に自由であり、豊かな人生となる。これが分かった人のみ、神様の恵みの下で幸せに生きることが出来る。生きても死んでも主のために。ここに何一つ思い煩いが、心配ことが、悩みが、不安が入る余地はない。真理が自由にするからだ。









2023年2月26日日曜日

外なる人と内なる人

 


だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。(コリント二4:16

For which cause we faint not; but though our outward man perish, yet the inward man is renewed day by day.(2 CORINTHIANS 4:16)

Darum werden wir nicht müde; sondern, ob unser äußerlicher Mensch verdirbt, so wird doch der innerliche von Tag zu Tag erneuert.(2 KORINTHER 4:16)

二者択一という言葉がある。しかしどちらも大事な場合がある。それが今日の聖書のみ言葉が伝えている「外なる人」と「内なる人」である。かつてグノーシス主義者たちは外なる人、つまり、肉体などの物質は救いに対してまったく役に立たず、罪の塊、悪の存在であると見なしていた。

しかし聖書は究極的には霊の救いを語っているが、だからといって身体は重要でないとは言っていない。むしろ大事であると教えている。だから主イエスは病気の癒しと共に飢えている者たちを食べさせ、飲ませてくださった。そのために奇跡も行ったのである。さらに主イエスの復活が語っているように身体の甦りを示し、それを使徒たちは使徒信条の中で明確に示している。・・・「身体の甦り」・・・・・

ただ、あえて言えば霊のために体が存在し、体が霊を支えることもあることだ。信仰生活はまさにこの二つの共同生活であり、人生最後まで続けられるパートナーである。だから健康のためにも力を注ぐことが大事である。しかし多くの場合、このバランスが崩れた形で信仰生活を行うキリスト者たちは多い。つまり、主に身体中心の生活をしていることだ。だから健康な信仰生活が出来ず、バランスが崩れた形で信仰生活を送り、そのために真の喜び、自由と平和を味わえず、肉に縛られた生活を送っている。身体は大事であるが、しかしまず霊的な生活を優先して生きるべきである。それが心身共々元気で、健康な信仰生活のためのカギとなる。

肉の糧より、まず霊の糧を、・・・・・






2023年2月25日土曜日

練達は希望を生む



そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、

忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。(ローマ5:3-4

And not only so, but we glory in tribulations also: knowing that tribulation worketh patience;

And patience, experience; and experience, hope;(ROMANS 5:3-4)

Nicht allein aber das, sondern wir rühmen uns auch der Trübsale, dieweil wir wissen, daß Trübsal Geduld bringt; Geduld aber bringt Erfahrung; Erfahrung aber bringt Hoffnung;(Römer 5:3-4) 


雨が降っている。

その前にノアちゃんとの散歩が済んで感謝。

冬の雨もよし。


古代の知者は言う。人々に秘密にすべき七つのこと。

一、短所を言わない事。

二、自慢しない事。

三、私生活を言わない事。

四、弱点を言わない事。

五、財産を自慢しない事。

六、目標を言わない事。

七、聞いてないことは言わない事。

家族の間だけは言うが、外では言わないことにしている。結構、上のルールを守っているかも。雄弁は銀、沈黙は金!!!







2023年2月24日金曜日

神様に打ち明ける

 


どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。(フィリピ4:6

Be careful for nothing; but in every thing by prayer and supplication with thanksgiving let your requests be made known unto God.(PHILIPPIANS 4:6)

Sorget nicht! Sondern in allen Dingen lasset eure Bitten im Gebet und Flehen mit Danksagung vor Gott kund werden.(PHILIPPER 4:6)

この世の人生の中で悩まず、思い煩わず、心配せず、不安を持たずに生きる人はいない。

なぜなら「人」であるからである。人間が神様に対して罪を犯した以来、それらの気持ちを抱いて生きるようになり、そして生まれるようになったからだ。しかし神様はそういう人間の姿を見て、憐れみ、もう一度、イエス・キリストによって悩まず、思い煩わず、心配せず、不安にならず生きる道を与えてくださった。それがイエス・キリストを心に中に迎え入れて共に生きることである。具体的には日頃のみ言葉と祈りの生活を通して聖霊に満たされるようになり、それが罪深い世界の中でも、真の自由と平和と喜びと感謝に満ちた生活を可能にしたのである。だから聖霊に満たされる日々を送らなければならない。毎日、祈りとみ言葉の生活を送る事である。主の約束を信じて与えず祈り続けること。絶えず主なる神様の約束を信じてみ言葉を黙想し、心に留めながら歩むことである。



今日も主によって新しい命が与えられた。

感謝して精一杯に主の栄光のために生きるべし。

決して大切な時間を無駄にせず、主のために、家族のために、人々のために用いながら主の御心のままに生きるべし。ハレルヤ!

2023年2月23日木曜日

神様に願う

 


あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。(ヤコブの手紙1:5

If any of you lack wisdom, let him ask of God, that giveth to all men liberally, and upbraideth not; and it shall be given him.JAMES 1:5

So aber jemand unter euch Weisheit mangelt, der bitte Gott, der da gibt einfältig jedermann und rücket's niemand auf, so wird sie ihm gegeben werden.JAKOBUS 1:5

冷え込む夜を歩く。

同じ道を毎日歩く。

毎日、夜、道を歩く。

いつか、その道を歩く人も、犬も、消えて行く。・・・・・・



願い事があるならば、願い求めるべし。

ただその願いをかなえて下さる方に願うがよい。

誰にでも惜しみなく与えて下さる方がいることはありがたい。差別なしに誰にでも与えて下さる方である。しかし祈り求めることが先である。求めなさい。そうすれば与えられる、という。けれども神様に求めず、願わず、人に願い、求める人々が多い。あるいは神様に願う場合も切実に願うのでもなければ、別に与えてくれなくても問題はないという気持ちで願うのである。だから与えられないのは当然である。本当に必要なこと、ものであるならば熱心に求めるべきである。神様が見るのはその切実な心と姿である。


現代のキリスト者に一番欠けているのは熱心さである。今は熱心なキリスト者が少ない。熱心な祈りがささげられるのもまれである。熱心に伝道する人も少ない。熱心に奉仕する人もいない。使徒行伝の特徴は「熱心」である。初代教会の人々は熱心に祈り、熱心に集い、熱心に奉仕し、熱心にみ言葉に耳を傾け、熱心に伝道に励み、熱心に愛し合っていた。


今は何もかも冷めている。もう一度、聖霊の炎が冷めている教会の上に降るべし。

それが教会が生き続けるカギである。そして私たちの信仰が元気に生き続ける秘訣である。



2023年2月22日水曜日

日々、私たちを担う神

 


主をたたえよ/日々、わたしたちを担い、救われる神を。(詩編68:20

Blessed be the Lord, who daily loadeth us with benefits, even the God of our salvation. Selah(PSALMS 68:19)

Gelobet sei der HERR täglich. Gott legt uns eine Last auf; aber er hilft uns auch. (Sela.) (PSALM 68:20)

昨夜23時55分起床。いつものことだが4時間以上続けて眠ることは少なく、ノアちゃんのように何回か、分けて睡眠を取るようになる。自分の身体に合う睡眠と休息を取るようにすることが一番。一般論にとらわれず、自分流の体リズムと生活リズムに従って歩むべし。

今日からノアちゃんの散歩から帰ってきたらすぐランニングを始めた。3時に散歩、そして4時から6時まで21キロのランニングである。花粉の飛散の少ない時間帯に走るので花粉症対策にもなる。祈りながら走り続ける。今日から朝ランだ。!!!

人ぞれぞれ人生の重荷を背負って生きている。重荷なんかないよ、と言う人がいるかも知れない。けれどもない人は存在しない。この世で生きる人生の中で必ず重荷はある。しかし問題はその重荷を自力で背負えるかどうかである。この世には自力で背負えないために倒れてしまう人々が多い。それに対して私たちの代わりに背負ってくださる方がいると言う。ありがたい。しかしその重荷を引き渡すことが重要である。いくら代わりに背負ってくれる方がいるとしても自分の肩からその重荷を下ろして渡さないと何の問題の解決にもならない。

しかし、不思議にもそれを渡さず、いつまでも自分で背負い続けるキリスト者が多い。わたしが代わりに背負おうと言っても、わたしに渡しなさいと言っても渡さず自分で背負い続ける。なぜなら渡せる信仰がないためである。つまり、信じない不信仰のせいでいつまでも人生の重荷を自分で背負い続けて苦しい人生を生きている。この世のことやものに縛られて悪魔の虜になって生きている。

イエス・キリストがこの世に来られたのはその縛られている状態から解放し、真の自由を与えるためである。日々の思い煩いから解放され、自由に、平和に生きられる道がある。イエス・キリストと共に歩むことである。イエス・キリストと共に歩むとは、イエス・キリストを忘れずに生活の中で祈り、み言葉を読み、その約束を確認し、信じて、また、祈りながら生活することである。するとあらゆる悩み、不安、思い煩いから解放され自由になっている自分に気づくのである。本当の自由はイエス・キリストが与えて下さる自由である。完全で、不純物が少しも混じってない100%純度の真の自由である。今日も主の御手にすべてを委ねて自由に生きる一日でありますように。アーメン。


2023年2月21日火曜日

インマヌエルの神様

 


水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず/炎はあなたに燃えつかない。(イザヤ書43:2

When thou passest through the waters, I will be with thee; and through the rivers, they shall not overflow thee: when thou walkest through the fire, thou shalt not be burned; neither shall the flame kindle upon thee.(ISAIAH 43:2)

Denn so du durch Wasser gehst, will ich bei dir sein, daß dich die Ströme nicht sollen ersäufen; und so du ins Feuer gehst, sollst du nicht brennen, und die Flamme soll dich nicht versengen.(JESAJA 43:2)

パラパラと雪が降る中、ノアちゃんと散歩。255階段の内、最初の大年寺階段を走って上る。息が詰まるほど苦しみを感じるが、しかし、同時に体は燃えて寒気が消えて行く。今日と明日は冷え込みが続くという。まだ冬だ。

誰かが共にいてくれる。ありがたいと思うが、時には面倒臭いと感じる時もあると人は言う。あるいはいざっという時に傍にいてほしいと思う人がいない場合もある。要は共にいてくれる人が誰であるかが問題である。別にいてもいなくてもどうでもいい人がいれば、必ずいてほしいと思う人が存在する。

その意味でもインマヌエルの神様に感謝したい。またそういう神様をパパと呼んでいる人は幸せである。にもかかわらずその父なる神様を、たまに会う近所のおじいさんのように考えるキリスト者が少なくない。常に良い関係を保つ秘訣は日頃のコミュニケーションである。父なる神様との関係を正しく、さらに深めるためには日々の祈りとみ言葉の生活が欠かせない。それはキリスト者が生きるための日々の糧でもある。頭ではなく、実践によってその恵みを味わい、より豊かな人生を生きることが出来るのである。今日も主の恵みの日を送るべし。



2023年2月20日月曜日

試練に遭う

 

ちょっと季節外れの恰好だが、問題なし!!!

あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。(コリント一10:13

There hath no temptation taken you but such as is common to man: but God is faithful, who will not suffer you to be tempted above that ye are able; but will with the temptation also make a way to escape, that ye may be able to bear it.(1 CORINTHIANS 10:13)

Es hat euch noch keine denn menschliche Versuchung betreten; aber Gott ist getreu, der euch nicht läßt versuchen über euer Vermögen, sondern macht, daß die Versuchung so ein Ende gewinne, daß ihr's könnet ertragen.(1 KORINTHER 10:13)



春一番のような強風が吹いていた。2時ごろ散歩。今日はルートを変えてココスルート。週報投函の後、風に吹かれながら歩き続ける。

人生に突然襲ってくる試練に人は戸惑い、理性を失い、恐れる場合がある。しかしそういう時にこそ、冷静に考えることが重要である。信仰者としてまず主に祈り、主の御心を問う。この試練がどういう状況の中で襲ってきたのか?多くの場合、自分の過ちや誤りによって襲ってくることが多い。しかしそういう状況の中でも神様は助けてくださる。試練に耐えられるような力を与えてくださる方である。

人生の中で試練がなくなることはない。罪悪の世界の中で生きているからだ。そういう世界で生きている主の民を主なる神様はいつも見届け、寝ずの番をして守り、導いてくださる。だから試練が怖くない。ただ主のみを見上げて生きるべし。目の前にある試練に目を止めず、大いなる主を心に留めながら歩むべし。主こそ我が力である。アーメン。

2023年2月19日日曜日

世を愛された

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネによる福音書3:16

For God so loved the world, that he gave his only begotten Son, that whosoever believeth in him should not perish, but have everlasting life.(JOHN 3:16)

Also hat Gott die Welt geliebt, daß er seinen eingeborenen Sohn gab, auf daß alle, die an ihn glauben, nicht verloren werden, sondern das ewige Leben haben.(JOHANNES 3:16)



雨の前に散歩に行ってよかった。ノアちゃんも濡れずに帰ってきた。しかしノアちゃんには

長い夜が待っていた。食べずに・・・・夢を見る・・・食べ物の夢・・・

神様が世を、人々を愛していることを知る人は少ない。頭ではわかっていても本当に知るキリスト者も少ないだろう。それが神様とキリスト者との間の隔たりとなり、神様を遠い存在として感じさせるのである。その隔たりを埋めるのは毎日主のみ言葉を読み、その御声を聞き、心に留めながら思い出し、常に主と共に歩むことである。それは意識して行うことで出来る。そしてそれが聖なる習慣となって身に着き、世を愛していおられる神様を本当に知る事ができ、その神様の恵みの陰の下で喜びと感謝と平和に生きることが出来るのである。これ以上に望むことはない。主と共に歩む人生、これこそ真の幸せである。ハレルヤ!


 

2023年2月18日土曜日

可能な生き方

 


いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケの信徒への手紙一5:16-18

Rejoice evermore.Pray without ceasing.In every thing give thanks: for this is the will of God in Christ Jesus concerning you.1 Thessalonians 5:16-18

Seid allezeit fröhlich,betet ohne Unterlaß,seid dankbar in allen Dingen; denn das ist der Wille Gottes in Christo Jesu an euch.(1 Thessalonicher 5:16-18)

いつも喜ぶことが出来るだろうか?

休まずに祈ることが出来るだろうか?

すべての状況の中でも感謝することが出来るだろうか?

これらの疑問と問いに対して聖書は何も答えない。そもそも答える意図も見いだせない。

なぜなら聖書は人間の意見を求めないからだ。

天地創造の神様が、全知全能なる神様が、罪深い、愚かな人間の意見を求める自体がナンセンスである。だからそれでいいんだ。それがいい。そうするべきである。ただ罪深い、愚かな人間を神様は愛するという事実、これこそナンセンスだろう?でもこれは事実である。だから我々人間の知識では到底神様を理解することができない。ただその愛を受け入れればいい。



昨日は20キロランニングをクリアした。感謝。

ついに欲しがっていたバックパックを買った。しばらくはこのバックでサンティアゴ祈りの旅に出かけることにした。今度もこれで行く。

今日も最後まで主の栄光のために精一杯に生きる。ハレルヤ!生きる。


2023年2月17日金曜日

私たちの力の源

 


彼らは更に言った。「行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」(ネヘミヤ記8:10

Then he said unto them, Go your way, eat the fat, and drink the sweet, and send portions unto them for whom nothing is prepared: for this day is holy unto our Lord: neither be ye sorry; for the joy of the LORD is your strength.(NEHEMIAH 8:10)

Darum sprach er zu ihnen: Geht hin und eßt das Fette und trinkt das Süße und sendet denen auch Teile, die nichts für sich bereitet haben; denn dieser Tag ist heilig unserm HERRN. Und bekümmert euch nicht; denn die Freude am HERRN ist eure Stärke.(NEHEMIA 8:10)

生きる力がない。

歩く力がない。

走る力がない。

食べる力がない。

助ける力がない。

愛する力がない。

背負う力がない。

引っ張ていく力がない。

力・・・・・

これらの力の源となるのが主を喜び祝うことだと今日の聖書は教えている。

どこかで力を充電するのではなく、主を喜び、祝うことが力の源だという。

主を賛美し、主に祈り、主を礼拝し、主を喜ぶことだ。

ならば精一杯に主を賛美し、祈り、礼拝しよう。

力の源である主と共に歩む一日でありますように。


2023年2月16日木曜日

主はわたしの力

 


主はわたしの力、わたしの歌/主はわたしの救いとなってくださった。この方こそわたしの神。わたしは彼をたたえる。わたしの父の神、わたしは彼をあがめる。(出エジプト記15:2

The LORD is my strength and song, and he is become my salvation: he is my God, and I will prepare him an habitation; my father's God, and I will exalt him.(EXODUS 15:2)

Der HERR ist meine Stärke und mein Lobgesang und ist mein Heil. Das ist mein Gott, ich will ihn preisen; er ist meines Vaters Gott, ich will ihn erheben.(2 MOSE 15:2)


今日も冷え込む朝だ。

でも太陽が出ると日差しで温かくなる。人は出来るだけ自分の力で生きることを考える。当然だ。しかし自分の力では成し遂げられないことがある。救いだ。本当に救いを与えることが出来る方に頼まないと永遠の命は与えられない。まずそれを知る事が大事である。

今日も新しい命が与えられた。生きる。精一杯に生きる。頑張って生きよう、主のために、家族のために、人々のためにも。

トルコシリア地震によって苦しんでいる人々が助けられますように、まだ命があり、救助されていない人々が助けられますように、愛する家族を失った人々に慰めと癒しが与えられますように、今日も共に祈りながら、愛し合いながら、赦し合いながら、助け合いながら歩む一日でありますように・・・・

今日は、ランニングはどうかな?

2023年2月15日水曜日

なぜうなだれるのか

 


なぜうなだれるのか、わたしの魂よ/なぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう/「御顔こそ、わたしの救い」と。(詩編42:6

O my God, my soul is cast down within me: therefore will I remember thee from the land of Jordan, and of the Hermonites, from the hill Mizar.(PSALMS 42:6)

Was betrübst du dich, meine Seele, und bist so unruhig in mir? Harre auf Gott! denn ich werde ihm noch danken, daß er mir hilft mit seinem Angesicht.(PSALM 42:6)



人がうなだれる理由は、みじめな自分、自分の愚かな行為、どうしようもない人間だと自分自身を考えた時である。自分を責めることは自分を殺すことである。世の中で自分の味方はいないと考える。ならば自分だけでも自分の味方になるべし。決してせめてはならない。


だからといって自分の愚かな行為、社会で許されない罪を犯し、周りの人々に深い傷を負わせたことに対して、何の呵責もなく、平気にいるのはもっと悪い事だろう。それらのことを悔いたうえで、しかし自分を責めるのではなく、自分の行為を反省し、誓い、再び善を目指して歩み続けることである。そのためには主なる神様の助けが欠かさない。なぜなら我々人間は善を行う力がないからだ。利己的で、仮に利他的な要素があるとしても長続きしないからだ。常に聖霊の助けと導きによって我々は善を行い、主の御心に適った生き方で歩むことができる。それを信じて、今日も精一杯に生きる。


2023年2月14日火曜日

背中を押されて前に進む

 


見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」(創世記28:15

And, behold, I am with thee, and will keep thee in all places whither thou goest, and will bring thee again into this land; for I will not leave thee, until I have done that which I have spoken to thee of.(GENESIS 28:15)

Und siehe, ich bin mit dir und will dich behüten, wo du hin ziehst, und will dich wieder herbringen in dies Land. Denn ich will dich nicht lassen, bis daß ich tue alles, was ich dir geredet habe.(1 MOSE 28:15)


一人で生きる。

人の助けを求めず生きられる。そういう人生を願って人は頑張ってスキールやお金など財産を蓄積し、将来に備える。しかし思う通りに前に進まず、出来たことより、出来なかったことが多い人生を生きる。仕方なく人の助けを求める。でも助けてくれる人はいない。それでこれが人生だと考えてしまう。うまくいかないのが人生なのか?うまくいくのが人生なのか?どっちも人生である。

生き方。決まったことはない。ただ自分の足跡を振り向くと自分の人生が見える。

人生の教科書はないが、人生の源はある。命の根源。初めての生命。生きる。

再び寒くなった。

頑張るのも良いが、頑張らないのも良いと考える。

走るのも良いが、走らないのも良い。

これも人生。



2023年2月13日月曜日

諦めず生き続ける

 


何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。(コロサイ3:23

And whatsoever ye do, do it heartily, as to the Lord, and not unto men;(COLOSSIANS 3:23)

Alles, was ihr tut, das tut von Herzen als dem HERRN und nicht den Menschen,(KOLOSSER 3:23)

戦争、地震、紛争、内戦、飢餓、地球温暖化、自然破壊・・・・のみならず小さな群れ、

家族、コミュニティー、学校、職場、社会の中で起きているいじめ、差別、憎悪など人々は苦しみ、悩み、悲しみ、涙を流し、そして死を選ぶ。

こういった現象は終わらない。人間が生きている限り、いつまでも続くだろう。

終わらない戦いである。

その中で今日という日が与えられた。

今日は雨。

雪は溶ける。

計画を立て続ける。

今は計画ではなく、実行する時である。

生きる。

2023年2月12日日曜日

生きている言葉

 


というのは、神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。(ヘブライ4:12

For the word of God is quick, and powerful, and sharper than any twoedged sword, piercing even to the dividing asunder of soul and spirit, and of the joints and marrow, and is a discerner of the thoughts and intents of the heart.(HEBREWS 4:12)

Denn das Wort Gottes ist lebendig und kräftig und schärfer denn kein zweischneidig Schwert, und dringt durch, bis daß es scheidet Seele und Geist, auch Mark und Bein, und ist ein Richter der Gedanken und Sinne des Herzens.(Hebräer 4:12)


昨日は雪かけで少し疲れたが、生き甲斐を感じたので感謝。これで今日の礼拝に招かれた人々が躓くことなく会堂内に入られる。感謝。

ノアちゃんとの散歩は大年寺公園から大学ルート。255階段の内、半分少し足りないぐらいを走って上った。上まで走って上るようになるとすごい事になる。頑張ってみよう。

今日は主の日の礼拝だ。一週間の歩みはこの礼拝から始まる。

言葉が生きている。だから言葉で人を生かしたり、殺したりもする。

誉め言葉、励ます言葉、慰めの言葉・・・・人生の中で必要な言葉である。

非難、誹謗中傷、呪いの言葉、偽りの言葉、デマ、悪口・・・人生の中でまったく必要のない言葉である。しかしこちらのほうが多い世の中である。

今日は生きてある神様の言葉を語るべし。

その言葉を食べてこの一週間を元気に生きるべし。

すべては主の栄光のために。

生きる。



2023年2月11日土曜日

主が与える祝福

 


主は、あなたのために、あなたの穀倉に対しても、あなたの手の働きすべてに対しても祝福を定められ、あなたの神、主が与えられる土地であなたを祝福される。(申命記28:8

Behold, I have set the land before you: go in and possess the land which the LORD sware unto your fathers, Abraham, Isaac, and Jacob, to give unto them and to their seed after them.Deuteronomy 28:8

Der HERR wird gebieten dem Segen, daß er mit dir sei in deinem Keller und in allem, was du vornimmst, und wird dich segnen in dem Lande, das dir der HERR, dein Gott, gegeben hat.5 MOSE 28:8



昨日からの雪で道が埋もれている。日付が変わってノアちゃんとの散歩。しかし雪で歩き辛い。今日は週報投函だけの散歩であった。でも幸いに今日は晴れで8度まで上げるという。

溶けると思うが少し雪かけをしよう。

今週は月曜日から金曜日まで20キロランニングをクリアしたことに感謝。昨日は膝などの痛みで大変だったけど何とか走り続けた。感謝。

人は幸福を求める。幸福の内容は人それぞれであるが、基本的な事は健康で、平和で、自由が確保された上での生きるのに不自由なく、少し贅沢も入れての生活であるかも・・・しかし願う通りにならないことが多い世界である。そのために幸福の定義を人それぞれ自分に合わせて考える、定めることが必要である。どんな場合でも、どんなときにも幸福な人生を生きられる秘訣は主の御手にあると聖書は教えている。いつも喜び、感謝し、祈りながら生きることができる方法は主にすべてを委ねて生きることである。これが難しい。でも可能であると聖書は語っている。それを信じて今日も生きるべし。

2023年2月10日金曜日

共に泣く

 


喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。(ローマの信徒への手紙12:15

Rejoice with them that do rejoice, and weep with them that weep.(Romans 12:15)

Freut euch mit den Fröhlichen und weint mit den Weinenden.(Römer 12:15)



トルコ、シリアの大地震で多くの人が犠牲となった。

涙と、嘆きと、ため息が絶えない状況である。

愛する家族が死んでいく姿を目の前で見るのは耐えられないほど辛いだろう。

悲しみが続く。

泣く力もない。

慰めも、励ましも効き入れない。

ただ傍にいてほしい。

何も言わず、ただ傍で泣いているだけでいい。

今は共に泣いてくれる友が必要である。



2023年2月9日木曜日

自由人

 


「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。(ヨハネの黙示録3:15

I know thy works, that thou art neither cold nor hot: I would thou wert cold or hot.(Revelation 3:15)

Ich weiß deine Werke, daß du weder kalt noch warm bist. Ach, daß du kalt oder warm wärest!(Offenbarung 3:15)

昨日も20キロランニングをクリアした。

中立ほど曖昧な立場はない。

右か、左か、世間ではよく聞く話である。

偏り過ぎるのも良くないと言う。だからと言って中立も良いくない。

もともと人間社会では中立は成立できない。浮彫しないだけで本当はどちらかに属しているのである。にもかかわらずどちらかにも属さず生きたいという人は多い。なぜなら関りを持つと面倒臭いと考えるからだ。自由であってほしいからだ。自由人、自分も自由人になりたい。

人から、組織から、制度からの自由ではなく、罪からの自由である。これこそ真の自由人であろう。罪の奴隷とならず、束縛されず、自由になる人。それは真理があなたがたを自由にするとイエス・キリストが言われた言葉である。

真理がカギか?ならば真理を手に入れよう。真理とは何か?ポンテオ・ピラトは言った。

イエス・キリストが真の神の御子であり、人であり、人間の罪の赦しのために天から下った救い主であることである。このイエス・キリストこそ私たちに真の自由を与えることができる方である。



今日も真理に基づいて精一杯に生きる。自由に生きる。愛しながら生きる。悔いのない今日の人生を生きるべし。



2023年2月8日水曜日

主に望みをおいて生きる

 


主に望みをおく人は新たな力を得/鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。(イザヤ書40:31

But they that wait upon the LORD shall renew their strength; they shall mount up with wings as eagles; they shall run, and not be weary; and they shall walk, and not faint.(Isaiah 40:31)

aber die auf den HERRN harren, kriegen neue Kraft, daß sie auffahren mit Flügeln wie Adler, daß sie laufen und nicht matt werden, daß sie wandeln und nicht müde werden.(Jesaja 40:31)


生きるために衣食住以上に人間に必要なのは「希望」である。しかしすぐ消え去る希望はあまり意味がない。いつまでも変わらない希望が必要である。その希望を提供してくれるのが命の持ち主である全能なる神様である。その神様に望みをおいて今日も精一杯に生きる。

 

2023年2月7日火曜日

満足する人生を

 


食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。(テモテへの手紙一6:8

And having food and raiment let us be therewith content.1 Timothy 6:8

Wenn wir aber Nahrung und Kleider haben, so lasset uns genügen.(1 Timotheus 6:8)


人の問題は満足しないことにある。つまり、欲が人間を駄目にする主な原因の一つである。

すべてに関して満足するためには欲を捨てるべきであり、そして今の人生に満足し、感謝することである。しかし、これが難しい訳だ。訓練が必要である。日頃からある物に感謝して生きることである。最小限のもので満足できる人生がカギとなる。難しいが、しかし決して不可能でもない。実際にやっている人々がいるからだ。

あるものに満足して生きるように頑張ろう。



昨日は久々に20キロランニングをクリアした。このまま走り続ける。恐れず毎日のルーティンとして定着させよう。今日も走る。そして生きる。

2023年2月6日月曜日

生きるにしても、死ぬにしても

 


わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。(ローマの信徒への手紙14:8

For whether we live, we live unto the Lord; and whether we die, we die unto the Lord: whether we live therefore, or die, we are the Lord's.(ROMANS 14:8)

Leben wir, so leben wir dem HERRN; sterben wir, so sterben wir dem HERRN. Darum, wir leben oder sterben, so sind wir des HERRN.(Römer 14:8)

誰かに、そしてどこかに属して生きるのは安心感を与えることもあるが、それなりに不安感も与える。自分が属している構成人、組織が安定されており、外部からの攻撃に耐えられるか、どうかがポイントとなる。よく考えると、この世で頼れる完全な人、完ぺきな組織は存在しないことが分かる。自分を頼ればいいと考えるが、それは一番悪い例で、この世で一番頼れないのが自分自身である。その意味で頼れる存在があり、その存在に頼って生きるのは大きな力であり、希望である。イエス・キリストこそ私たちが頼って生きる方である。そしてその方に自分の命も委ねることが出来るのである。なぜなら自分のために十字架の上で苦しみと死を味わい、そして自分のために生き返ったからだ。これ以上にありがたいことはない。

今日も主のために生き、主のために死ぬ。



どちらにフォーカスを合わせて生きるか?

  さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠さ...